5月のゴールデンウイークの中の1日である子供の日。
多くの人は、こいのぼりを空に泳がせてちまきや柏餅を食べる日というイメージのが強いかもしれません。
特に親族が集まりやすい時期でもあるので、何気なくみんなで集まって楽しむ行事になっているかもしれませんね。
でも、実はこの単語の節句には長い歴史や意味が隠されているのです。今回は、その端午の節句について迫っていきましょう。
目次
端午の節句の意味とは?
端午とは?
端午の節句の端午とは、5月の1番初めの午の日という意味があります。今の日本では、グレゴリオ暦が使われているので日付の数え方は数字ですよね。
でも、昔の日本では十二支が使われていました。子の日や午の日という形で日時を確認していたのです。
当時は、日付だけでなく時間も十二支でカウントしていたという話を聞いたことがある人も多いと思います。
その頃の時間のカウントの仕方の名残で八つどきに食べる間食のことを15時のおやつと言ったりもしますよね。
また、午を「ご」と読むことから5という数字が連想され奈良時代以降は5月5日を端午の節句と呼ぶようにしたそうです。
節句とは?
節句とは、暦を日本風にアレンジしたことによって生まれた暦の1つです。七十二候や二十四節気という暦の方がメジャーかもしれませんね。
でも、七十二候や二十四節気は中国から日本に入ってきた暦なので日本の文化や風土にはそぐわない部分もありました。
その欠点を改良した暦の1つが節句なのです。特に桃の節句と端午の節句が有名かもしれませんが、ほかにも節句はあるのです。
実は、節句は5種類となっています。1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽です。
これに別格である日として1月1日の元旦が加わっています。が、節句と呼ぶのは前述の5日です。
5つの節句のうち、半分くらいは普段の生活に行事として取り入れられていますよね。中には普段からなじみがある名前と少し呼び方が違っていたりもします。
1月の節句は、俗にいう春の七草の日です。何となく七草粥を食べているという人も多いかもしれません。
3月3日の上巳の節句は俗にいう桃の節句、5月5日は端午の節句です。どちらもそれぞれの性別の子供の成長を願う日になっていますよね。
7月7日は七夕、9月9日は、長寿を願う節句となっています。節句の日は、偶数がなく奇数日ばかりですがそれは偶然ではありません。
中国では奇数が重なると陽になると言われていました。それによって邪気払いをすることができると言われていたからこそ、奇数が重なる日になっているみたいです。
節句では、季節に合った旬のものを神様に備えてその後に自分たちで分け合いながら食べるという風習があります。
端午の節句は、大型連休の中の日程なのでみんなで分け合うという本来の意味を実行しやすい日程でもありますよね。
なぜ端午の節句は男の子の節句なのか?
端午の節句は、元は男の子の節句ではなかったようです。当初は、5月に行う田植えの前に女性を清めるという厄払いの時期だったそうです。
現代では、考えられないことでしたが大昔は女性の月のものが忌み嫌われておりケガレとされていました。
そのケガレを払うために一定期間の間だけ女性のみ小屋に閉じ込められていたそうです。その厄払いというものが徐々に変化していって男の子の節句になったそうです。
古代中国では、幼い頃に亡くなってしまう男の子が多く、それを祓うための厄払いの行事として端午の節句が利用されることになったという説が有力となっています。
特に年間を通して5月に亡くなる人が多かったという歴史があったみたいですよ。でも、男性ばかりが亡くなった訳でもなさそうなのであえて男の子の日にする必要はないですよね。
恐らく、昔の日本も中国も男の子の方が跡取りとして大切にされていたという歴史があったこともあるのかもしれませんね。
現代では、別に女の子の節句もある上に風習となっているのでそこまで違和感はないと思います。
それでも、家族みんなで大きくなった男の子を祝うという意味もあるはずなので男の子の成長を願うようにしましょう。
子どもの日と端午の節句の違い
5月5日と言えば、端午の節句というより子供の日というイメージの方が強い人も多いと思います。
実は、同じ日ではありますが少し意味や成り立ちが違うみたいです。まず、こどもの日は日本の祝日の名称です。
5月に祝日を決めるとなった時に5月5日が良いという声が多かったことからこの日に制定されたそうです。
こどもの日が国民の休日となったのは、1948年と戦後なので意外と歴史が新しい祝日だとも言えます。
一応、法律では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」という意味がこめられているようです。
子供の成長を願う日というイメージの方が強い人の方が多いと思うので意外ですよね。生んでくれた母に感謝する日とは新たな目線ですよね。
子供というどちらの性別でもOKな日になっているのは現代の日本にも合っていて良いですよね。
子供みんなにすることで家族みんなで楽しみやすい行事にもなったと言えます。
これからは、お母さんに感謝を伝える日でもあるということを心に留めておいても良いと思います。
でも、約1週間後に母の日があるのでそこまで気合を入れる必要もないのかもしれませんね。
尚武の節句とは?
尚武の節句という言葉を聞いたことがあるでしょうか?読み方は、「しょうぶ」です。しょうぶと言えば、尚武より菖蒲が頭に浮かぶ人も多いはずです。
実は、尚武と菖蒲はつながりがあります。江戸時代の頃から武家社会が日本の中心となっていきました。
しょうぶの音から端午の節句を尚武の節句として使うようになったみたいです。特に武家では跡継ぎの男の子の成長を願うという行事へと変化していったみたいです。
また、同じく同じ音の単語に「勝負」がありますよね。武士と言えば、貴族よりも戦い文化がある人たちです。
なので、何よりも勝負に勝つことが大切であるという考え方が根底にあっていたみたいですよね。
だから、その「勝負」ともかけていて縁起が良い日とも言われていますよ。確かにその時代に男の子だとこれからずっと勝ち続けていかないといけないですよね。
端午の節句と歴史と由来について
中国の逸話が起源
前述の通り、端午の節句自体は中国から日本に入ってきた行事であると紹介しました。その中国においての端午の節句の成り立ちについても紹介してみようと思います。
中国の王が屈原であった時代の話になりますが、当時の中国では正義感が強く人情味のある彼に人望がありました。
でも、何らかの陰謀により一気に立場が悪くなってしまい国を追われてしまうことにもなってしまいました。
屈原は王でもあり詩人でもあったのでこの時の気持ちは詩にも綴られています。国や国民を誰よりも1番に考えていた屈原は、その出来事により傷ついてしまいました。
そして、最終的には川に飛び込んで自らの命を絶ってしまったのです。当時の国民たちは、屈原のためにその川に小舟で向かいました。
そこで魚が屈原の遺体を食べてしまわないようにしたのです。太鼓を使って魚を脅してみたり、ちまきを投げてみたりと試行錯誤していたようです。
その行動がいつのまにか中国の行事になり、船が競争するイベントが生まれたりといったこともあったそうです。
この出来事から、中国の元国王である屈原の命日の5月5日が特別な日となっていきました。供養のための祭りだったのですが、徐々に中国全域へと広まっていきました。
屈原は存命の時も一定数の人に慕われていましたが、亡くなった後にさらに多くの人たちから慕われるようになったのです。
その屈原を慕う気持ちが徐々に国の安泰を願う気持ちへ移り変わっていき、最終的には、粽を川に投げるという風習へとなりました。
その粽を川に投げ入れる行事こそ端午の節句の元になった行事なのです。現代では国のためというよりは病気や災厄を避けるために行う行事となっていますよね。
ちなみに、5月5日が端午の節句であるというのは日本だけでなく中国でも同じです。中国から日本へ伝わった際も日にちは変わらなかったということですね。
武家では尚武の節句
尚武の節句という言葉は、日本において武家が中心的な存在になってきた頃に生まれたと言われています。
元々は、尚武と菖蒲の音の響きが同じであったからという理由で漢字が当てはめられたという説もあります。
尚武は、軍事などを重んじるという意味あいがある単語です。その文字通り、主に武士の家系での行事と言われています。
武家も含めて古い日本では男の子が家を継いでいくとされてきました。なので、家を繁栄させてくれる跡継ぎの男の子の成長を祝う行事としての意味が強くなっていったのです。
その流れは現代にも引き継がれており、端午の節句では鎧や兜などを飾ります。
兜や鎧は武家発祥の文化
端午の節句では、兜や鎧を飾ります。元々は、武家の男の子の成長を願う行事だったということも理由の1つです。
そもそも、江戸時代の幕府の重要な儀式を執り行う日を5月5日に決められたことから始まります。
各地の大名たちが正式な服装で江戸に集まって将軍にお祝いを奉じるようになったのが始まりなのです。
そのことを武士の家では門や玄関に家紋の入った旗指物やのぼりを出して祝ったようです。現代の国民の休日に国旗を飾るのと似たようなものを感じますね。
そののぼりのデザインに武士の姿が描かれたものがありました。その武士のデザインののぼりが節句のぼりと呼んでいたそうです。
最初は、鎧や兜でなく強い武士が描かれていたのぼりで男の子の誕生や成長を祝っていたみたいです。
最初は、その習慣も武士たちの間だけでなく庶民へも広がっていきました。武士の世界では、戦いの前に神社に勝利や安全を願って参拝する習慣がありました。
元々、武士にとって兜や鎧は大切なものだったのでそれを神社へ奉納するというしきたりがありました。
鎧や兜は戦いにおいても自分たちを守る防具であるだけでなく、家を表すものでもあったのです。
でも、ほかにも理由があるとされています。鎧や兜の使い方を想像してみるようにしてください。
鎧と兜は、攻撃道具でなく守備道具ですよね。それは物理的なものを守るだけでなく、病気や邪気などから子供を守ってくれると言われています。
いつしか戦いが行われなくなり、本来の意味で鎧や兜を使うことは少なくなっていきました。なので、戦いでの勝利のためでなく男の子の成長を願うシンボルへとなったのです。
昔は跡継ぎが男の子だったから家のシンボルである兜や鎧を使ったということもあるのかもしれませんね。
その後、女の子の節句と同じく人形を飾るという習慣も生まれたそうです。今でも男の子が生まれると初節句に兜や鎧を用意しますよね。
こいのぼりは町人の願いが込められた文化
元々の端午の節句は武士を中心とした文化でした。それが町人にも広まってきた時に飾られるようになったのがこいのぼりです。確かに兜よりこいのぼりの方が用意しやすいですよね。
こいのぼりは、竜門伝説という言い伝えが元になっています。鯉が天に昇って龍になるという話から町人でもいつか大出世を果たそう!という願いが込められていました。
現代の端午の節句では、兜、鎧、こいのぼり、五月人形を飾ることが多いです。この中では、こいのぼりと兜を用意している家が多いかもしれませんね。
昔の日本家屋は広い家が多かったので、これらの縁起物を飾るスペースも十分にあったと思われます。
けど、最近は都会の狭いマンションで暮らしている人も多いです。なので、小さいサイズのものも販売されていたります。
昔は、何でも大きい方が良いとされてきましたが現代ではそうでもないでしょう。大きさよりも用意しておくということが大切ですよ。
端午の節句は何をする日?何を飾る?
端午の節句に飾るアイテムは?
端午の節句でも桃の節句のように人形を飾るという風習が生まれました。日本では古くから人形という存在が特別視されてきたという歴史があります。
人形は、人の代わりにその人が受けるべき厄災などを代わりに受けてくれると言われています。
厄災などの良くないことから男の子を守るという意味では鎧や兜と人形の役割は変わらないのかもしれないですね。
でも、少しだけ意味あいが違います。鎧や兜は厄災から身を守るための防具ですが、人形は身代わりになってくれる存在でした。
なので、五月人形にも子供の代わりに厄災を受けてくれるという役割を持っているのです。そういったことから、できれば子供の数だけ人形を用意した方が良いとも言えます。
現代では、飾るアイテムにもバリエーションが出ており五月人形だけでなく、金太郎や牛若丸のような武者人形を飾ることも増えています。
それは身代わりという意味だけでなく金太郎のように強い子になって欲しいという親の願いがこめられた結果らしいですよ。
強さという意味では攻撃をするための武具を五月人形の横に飾るという方法で表現することもあります。
その中でも弓や太刀は魔よけの効果もあるとされてきましたよ。弓や太刀は戦いのなくなった現代でも儀式の道具として使われることも多いですよね。
改めて見ると、細かいところまで魔よけの意味を持っているのはすごいですよね。
こいのぼり
こいのぼりは端午の節句より、子供の日に飾るアイテムというイメージが強いかもしれませんね。
5月の爽やかに晴れた青空に泳ぐ鯉はダイナミックかつ美しいのでいつの時代も人の目を惹きます。
そんなこいのぼりを飾るという文化も中国から日本へ入ってきた文化なのです。最初は、鯉でなく中国の神様である鍾馗を描いたのぼりを立てていたそうです。
その後、中国では立身出世や無病息災の意味がある鯉をモチーフにした鯉のぼりを使うようになったようです。
鯉が立身出世のシンボルになったのは中国の「龍門」と呼ばれている激流での伝説が元になっています。
その激流を上り切ることができた鯉は龍になって天に昇ることができるという伝説があったのです。
登竜門という言葉の語源もこの伝説が元になっていると言われていますよ。武士が立身出世を願って武者人形を飾ったことに対して庶民はこいのぼりを飾っていたそうです。
怖い神様の絵柄ののぼりよりも可愛い鯉のぼりの方が子供たちも楽しむことができて良かったのかもしれませんね。
日本の童謡のこいのぼりも可愛いい姿で泳いでいる様子が歌われています。
最近では空を泳がせるというよりは川にロープを張って仲良くこいのぼりを泳がせているということの方が多いかもしれませんね。
住宅事情に合わせて小さなこいのぼりを選ぶ家庭も増えているでしょう。
こいのぼりが泳ぐ姿にも現代の姿が投影されているのかもしれません。
福島のいわき絵のぼり
いわき絵のぼりとは、江戸時代において一般的であった武者のぼりのことです。こいのぼりが主流になるよりも昔に端午の節句で使われていたのぼりです。
今では福島県でしか見かけることがなくなっているのぼりです。鯉の姿でなく、強い武士の姿を描かれています。
なんと、全て手書きなのです。昔は浮世絵師が描いていたそうです。こいのぼりと違い、かわいらしさは皆無と言っても良いかもしれません。
でも、いわき絵のぼりもこいのぼりと同じく力強く、幸せな人生を送ってほしいという願いがこめられています。
長崎の長崎式たいのぼり
長崎では、少し変わった姿のこいのぼりを見かけることができます。杉丸太の先端を残した支柱に、笹の旗竿を斜めにして鯉を吊り下げます。
見た目としては、しなっている釣り竿に近いような見た目になります。釣り竿の先から鯉が何匹か釣られていると考えるとわかりやすいかもしれません。
この方法を取ると、風が吹いてなくても鯉広がってよく見えます。逆に風が吹いている時は鯉が風になびいて泳ぎますよ。
高知のフラフ
高知では、こいのぼりと一緒にフラフというものを空に泳がせます。フラフは、諸説はありますがオランダ語で旗という意味を持つ言葉がなまったという説が有力らしいです。
文字通り、高知でのフラフも旗なのです。デザインとしては大漁旗をイメージしているそうなのです。
なので、そのフラフに描かれている絵は、おとぎ話の主人公や武士の姿など強い男性や男の子がデザインされているものが多いです。
高知では男の子が生まれた時のお祝いとして、親戚などから家紋や名前を入れたフラフが贈られる慣習があるそうです。
そして、それを近所の人々が手伝って立てるそうですよ。酒好きな高知県民らしく、端午の節句ではそれを眺めながら皆でお酒を飲むという楽しいイベントでもあったそうです。
元々は、こいのぼりよりも上げ下ろしが簡単であるということから田植えなどの農業で忙しい農家で主流になっていったそうです。
そんなフラフは、木綿の布でできています。90cmか110cmの巾の布をつないでいきます。そのつながれた大きな1枚のキャンバスを染料などを使ってキレイに染め上げるのです。
絵柄は伝統的なものだけでなく、最近ではオリジナルのデザインで作る家庭も増えているそうです。
現在は、柱を立てる場所や収納する場所がないことを理由に室内用の小さなフラフの人気が高まっています。
そのフラフの絵は、全て手書きとなっています。だから、作り上げるのにも1枚あたりに約1か月半の時間を費やすほど手がこんでいます。
最初に下絵の上に布を広げます。そして、もち米の粉を蒸して煮た糊で筒描きをした後に染料や顔料が混ざらないよう堤防を作る。
支柱を2本立ててその間に布を張り、表から裏から色をつけていきます。染料が乾いたら背景となる部分を染めます。
その後に家紋や名前を入れ、色止めをしたら水洗いをして糊を落とします。最後に川で流し洗いをします。
折り紙での兜飾りの作り方
兜と言えば、和室に飾るような高級なものを想像してしまう人も多いでしょう。でも、折り紙で簡単に作ることも可能です。
幼稚園などの行事で利用されることも多いタイプですよね。誰でも簡単に作ることができるので作ってみましょう。
布や大きな紙で折れば実際にかぶることもできます。まずは、新聞紙で折ってサイズ感を確認してみてください。
兜飾りの作り方
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端午の節句に菖蒲湯に入る意味
菖蒲湯の中国での歴史
端午の節句と言えば、菖蒲湯に入るという習慣があると思います。こちらも中国から日本へ入ってきた文化なのです。
昔の中国では、5月頃に病気が流行ったり水害などの天災が起きて亡くなってしまう人が多かったという歴史があります。
だから、邪気を払うために菖蒲が使われていたそうですよ。菖蒲は香りが強い植物です。その香りが邪気払いに良いとされていたそうです。
なので、中国ではお酒に菖蒲を浮かべて飲むというようなことも行っていたそうです。日本に入ってきた時に、お風呂に浮かべるという方法へとアレンジされたみたいです。
菖蒲には薬効成分がある
菖蒲湯には、邪気払いという意味あいだけでなく薬湯のように薬効成分もあるといわれています。
菖蒲にはアサロンやオイゲノールという成分が含まれており、腰痛や神経痛を和らげると言われています。
また、菖蒲の爽やかで優しい香りにも効能があると言われていますよ。また、葉っぱだけでなく根の部分にも効果があるので捨ててはいけません。
根っこの部分は、血行促進や保湿にも良いそうですよ。
菖蒲湯の仕方
菖蒲湯は、菖蒲の葉を湯船に入れます。浴槽に湯を溜めた後に浮かべる場合が多いですが、湯を張るときから葉っぱと茎を束ねて入れておくと良いでしょう。
後で浴槽が汚れてしまうのが嫌なら目の細かいネットにいれておくと良いでしょう。葉っぱから香りが出て、茎が保温効果に役立つそうです。
ほかに、少し手間がかかってしまいますが薬効成分をより引き出す方法があります。乾燥させた菖蒲の根や漢方の白昌や菖蒲根を用意しましょう。
それらが手に入らない場合は、菖蒲の葉っぱの部分のみを使って同じ手順作業をしてみてください。
乾燥した菖蒲を布の袋や出汁のパックに入れてください。それを熱湯で10分ほど煮だします。
鍋で菖蒲を煮だした液体をそのまま浴槽に加えてください。煮だすことによって菖蒲のエキスや薬効成分がより抽出されます。
香りの方も強くなるのでより香りを楽しむこともできるでしょう。
季節の変わり目の体調を整える効果も
端午の節句は、二十四節気でいう立夏の時期になります。立夏は春から夏へと季節が移り変わる区切りの日でもあるのです。
そんな季節の変わり目なので体調にも気を付ける必要があると言えるでしょう。昔の中国で5月に亡くなる人が多かったのも季節の変わり目だったからということもあるかもしれません。
現代でも季節の変わり目は体調を崩しやすいですよね。気温の変化などによって風邪をひいたりしてしまうこともあるでしょう。
現代医療で治る病気でも暦ができた頃であれば命取りだったのかもしれません。そのため自然治癒力を高めるために菖蒲湯に入ったのかもしれませんね。
菖蒲湯は体を温めて、血行をよくしてくれると言われています。なので、体の調子も上げてくれるでしょう。
菖蒲湯にゆったりと入浴して、心の方も落ち着かせてみましょう。季節の変わり目は忙しいことが多いですが、ここではあえてゆっくり休養を取ることを意識してみてください。
端午の節句に食べる縁起の良い食べ物
初節句のお祝い膳
端午の節句でも生まれてから初めて迎える端午の節句のことを初節句と呼びます。初節句は家族で集まって食事会をすることが多いみたいです。
その初節句では柏餅やちまきを食べます。柏餅やちまきは、初節句だけでなく毎年食べるものでもあるのでそこまで特別感もないかもしれませんね。
でも、現代は笹が使われていることが多いですよね。実際のところ、主役の子供は柏餅を食べる年齢ではないので周囲の大人たちが食べることになります。
端午の節句の料理は、桃の節句のように決まったお祝い膳はありません。なので、一般的に縁起が良いと言われている食材を取り入れると良いと言われています。
出世魚と呼ばれる鰤や鱸、めでたいに通じる鯛、まっすぐ伸びるたけのこなどです。また、色々なお祝い事で食べる赤飯などもおすすめです。
赤飯は、小豆に邪気払いの力があると言われています。
柏餅
柏餅は、柏の葉で小豆入りの餅を包んだ和菓子です。桜餅と違い、ほぼ地域差のないお菓子であると言えるでしょう。
柏餅を包む柏の葉は、冬を越し新芽が出るまで葉が落ちないという特徴がある植物です。その様子を見て、後継ぎができるまで葉を落とさないと言われています。
要は、跡継ぎが生まれるまで親は死なないという意味につながるのです。
子孫繁栄の意味を持っておりめでたい木であると言われています。そして、柏の葉だけでなく神事に欠かせない餅も使われています。
良く考えると、日本でのお祝い事においては餅を食べることが多いですよね。そんな縁起の良いもの2つを組み合わせたものを食べることで男の子が元気に育つと言われていますよ。
実は、柏の木は西日本ではなかなかか見かけません。江戸時代の江戸では、跡継ぎを大事に考える武家が多かったことからできたものみたいです。
だから、柏餅を食べるというのは関東から東のエリアにあった風習みたいです。
ちまき
ちまきは、茅の葉でもち米などを蒸して食べるものです。そのちまきを包む茅の葉の繁殖力が強くて神霊が宿っていることから邪気を払うことができる植物と言われていたから節句の食べ物になったそうです。
名前は、茅巻きがなまってちまきになったという説が有力です。
ちまき自体は、前述した通り中国の王である屈原を悼む儀式から始まった風習と言われています。
国や国民のことを誰よりも想っていた屈原が国を追われて身を投げた川に没後も国民がちまきを投げ続けたというエピソードから忠誠心のある子に育つようにという願いが込められています。
こちらは、京都に都があったこともあり西日本で広まった風習になっています。現代は東西の風習が組み合わさっているみたいですね。
たけのこ
たけのこは、春の旬のものです。さらに、たけのこは縁起の良い食べ物と言われていることもあり、端午の節句でよく使われている食材です。
たけのこは、まっすぐと育っていくことから素直にすくすく子供に育ってほしいという想いがこめられています。
食べ方としてはたけのこの煮物やたけのこご飯が多いでしょう。たけのこは、あくを取って食べないといけないこともあり調理には手間がかかってしまいます。
だからこそ、お祝い膳にぴったりな食材であるともいえるでしょう。
ほおばまき
ほおばまきというのは、長野で食べられている和菓子のことです。漢字で書くと「朴葉巻き」です。
長野や岐阜エリアの名物である朴葉味噌なら聞いたことがあるという人も多いでしょう。朴葉巻きは、その朴葉味噌と同じく朴葉を使ったものです。
朴葉で餅を巻いた和菓子なので、見た目としては柏餅のようなものです。朴葉の葉の香りが良い和菓子となっています。
朴の木はモクレン科の樹木です。高さは15m以上になる高さがある木なので山中に植わっている木というイメージのものです。
でも、ほおばまきが食べられている地域では庭に植えることもあったそうです。葉も木と同じく大きくて長さ30cm以上になります。
餅を包むには大きすぎるくらいのサイズです。また、朴葉はアクが強いため殺菌力も高いからお弁当代わりのおにぎりを包むなど保存にも向いていたそうです。
元々は、西日本と同じく木曽地方も柏の木がなかったことから柏の代わりとして使われるようになったそうです。
柏餅と違う朴葉巻きの大きな特徴は、ひと枝に何枚かの葉がついたままで餅を包むという部分です。
なので、ちまきのように美しく立ちます。餅をくるんだらそのまま枝ごと蒸し器へ入れるのもほおばまきの特徴です。
そのため、もちもちの食感に仕上がるそうです。中の餡は柏餅と違いバリエーションがあります。基本は、つぶあん、こしあん、白みそくるみあんです。
最近では、柚子餡などの変わり種フレーバも増えてきていますよ。
べこもち
べこもちは、北海道や東北の一部地方で食べられている和菓子です。北海道で食べられている和菓子というイメージの方が強いかもしれませんが、こちらも端午の節句の和菓子なのです。
主にカラーが特徴的で白と黒の2色になっています。形が木の葉になっており、模様も葉脈が再現されています。
地域によっては木の葉形ではなく、花形、丸形などの少し違った形のべこ餅を見かけることもあります。
また、色も黒糖の黒一色、よもぎの緑色、人工着色料の鮮やかな色などカラーバリエーションも豊富です。
べこ餅の発祥は諸説ありますが、道南でべこ餅をくじら餅と呼ぶ地域があることから山形県の郷土菓子の「くじら餅」が元になっているという説が有力です。
べこ餅の名前の由来も牛の模様に似ているからべこという名がついた節など複数あると言われています。
笹巻
笹巻は、山形県で柏餅と同じく端午の節句で食べられてきた和菓子です。見た目はちまきに似ています。
笹巻きの作り方は、ちまきと違い、水に浸した後のもち米の水を切ってからを笹の葉で巻きます。その後、結びひもをかけたて熱湯でゆで上げるので蒸し料理のちまきとは作り方も少し違います。
同じ山形県においても灰汁水で煮る笹巻きなどは全国的も珍しい郷土料理であると言われています。
あくまき
あくまきは、鹿児島県で端午の節句の時期に食べられている餅菓子です。俗にいうちまきとは見た目が全然違いまずがちまきと呼ぶこともあるそうです。
日持ちすることから昔から戦陣食としても食べられていたそうです。なので、たくましい男性のシンボルであると言われており端午の節句で食べられるようになったそうですよ。
あくまきの作り方は、もち米を灰汁に一晩浸します。その後にそのもち米を孟宗竹の皮で包んでから、さらに灰汁水で数時間煮込みます。
灰汁に含まれるアルカリ性物質がもち米を柔らかくするだけでなく、雑菌の繁殖を抑えてくれるようになるそうです。
占い師 秋桜のワンポイントアドバイス「端午の節句は男の子の成長を祝う歴史あるイベント」
現代ではみんなで柏餅を食べたり菖蒲湯に入ったりする行事になりつつあるけど、元は男の子の成長を願う行事だったのよ。
今も兜やこいのぼりを飾るし、何となく男の子の日みたいな雰囲気よね。けど、昔とは変わりつつあるわ。
今でこそ多様性のある世界だけど、昔は男は強いこそが全てみたいな感じだったのよね。だからこそ、兜などの強そうなものがシンボルになっているのよ。
あと、跡継ぎは男の子って決まってたことも理由の一つみたいだね。今はそんなこともないし、昔よりはみんなで楽しむ行事になっているわ。
時代の流れなのかもしれないわね。でも、そっちの方がみんなで楽しめるから絶対に良いと思うわよ。
歴史を知ることでわかってくることも多いわよね。