「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」という行事を、知らない人も多いもの。
しかし歴史を紐解いていくと、実は私たちの生活には深く関係のあるものだといえるのです。
「五穀豊穣」を祈願して、私たちの食と繋がっている「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」は、大切な古来からの行事。
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」について、ここでは意味や始まり、どんなものなのか、おすすめの食べ方などを詳しくお伝えしていきます。
意味を知ってみると、改めてお団子を食べたい気持ちにもなる、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」です。
後半には、作り方やおすすめの食べ方を載せていますので、ぜひ参考にしてみてください。
「十六団子(じゅうろくだんご)」だけでなく、日頃のおやつにも使える食べ方でもあります。
目次
十六団子って何?行事について詳しく解説
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」は3月16日
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」というのは、農業を始める時期に、その年の豊作を願って行う行事のことです。
昔から農業を始める時期は、3月16日とされていました。
山に住んでいる神様が、人々が農業を始める頃に降りてくるのが3月16日で、農業を終えて収穫が終わり、秋になると山へとまた帰って行くというのが11月16日だとされていたことから、人々が農業をやっている間は、神様が田畑を見守ってくれているという言い伝えがあったことが、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」の始まりとなっているのです。
この言い伝えから、神様を田畑にお迎えする3月16日には、一年間の豊作を祈願する行事が行われ、また一年間見守ってくれてありがとうございました、の意味を込めて神様を山へとお見送りする行事が11月16日に行われるようになったということ。
ではその「五穀豊穣」の神事が行われる日が、なぜ「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」というのかというと、この日には神様に16個のお団子を供えるのが習わしとされているからなのです。
神様に田植えが始まる3月16日が来たことを、収穫が全部終わった11月16日が来たことを、杵(きね)と臼(うす)を使って、お餅をつく音でお知らせするために、お団子をお供え物とするようになったといわれています。
「十六団子(じゅうろくだんご)」の意味とは?
そもそも「十六団子(じゅうろくだんご)」というものは、どのようなものなのか。
「十六団子(じゅうろくだんご)」の作り方に、「これが正しい!」という決まりはないのですが、上新粉に片栗粉と砂糖を少し加えて、十六等分に分けたものを小さく丸めてゆでたものが多く、ちょっと甘みのあるお団子なのです。
ゆでるのではなく、蒸す地域もあるそうで、作り方は地域によってさまざまだといえます。
16日だから、「十六団子(じゅうろくだんご)」とされているもので、日にちが由来となっていて、「十六団子(じゅうろくだんご)」の盛り付け方はキレイに山のように盛られます。
一番下の段に9個、その上が4個、そして2個、最後に1個と盛り付けることで、キレイな山にすることが出来るのです。
現在では、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」自体は、知っている人が少なくなってきたといえますが、地域によっては受け継がれているものでもあります。
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」に、神様をお迎えする準備が整ったことを知らせるために、お餅をつく音は、大切なもの。
お団子の作り方は上新粉や、白玉粉などを使うなど、現代では作る方法はいろいろありますが、昔はお餅といえば杵(きね)と臼(うす)を使って、お米をついて作っていたものです。
「十六団子(じゅうろくだんご)」を作らなければ、一年間田畑を守ってくれる神様を呼ぶことが出来なくなってしまうという、とても重要なものだったのだといえます。
北陸地方と東北地方では、現在も残っている
昔は全国的に行われていたとされる、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」ですが、現在となっては、稲作が盛んだとされている、北陸地方や東北地方に残っている行事だといえます。
「五穀豊穣」を祈願している「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」なので、稲作が盛んな地域では、代々伝わってきていた行事なので、現在でも残っているということがいえるのです。
とはいえ杵(きね)と臼(うす)を使ってお米からお餅をついて、「十六団子(じゅうろくだんご)」を作っているところは、ごくわずかになってきています。
北陸地方や東北地方など、現在でも「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」の風習が残っている地域でも、上新粉や白玉粉を使って作ったもの、お店で買ってきた「十六団子(じゅうろくだんご)」をお供えしているところが多いのです。
また「十六団子(じゅうろくだんご)」はもともと16個のお団子を供えますが、16個だけに限らず、行事に参加する人数によってたくさん作ったり、日にちも3月16日に限らず、農業を始める日に合わせて行っていたりと、少し変化しているところもあるといえます。
しかし「五穀豊穣」を願うための行事としての風習は、受け継がれているといえるのです。
伊勢神宮の「五穀豊穣」祈願
「五穀豊穣の祈願」「農耕の神様」といえば、伊勢神宮を思い浮かべる人も多いものです。
伊勢神宮では、「五穀豊穣」を祈願するさまざまな儀式が、一年に何度か行われていますが、この時期にも、行われています。
「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」を祀っている伊勢神宮ですが、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」といえば、知らない人はいないともいえる、日本の「最高神」でもあり、「農耕の神様」でもあるのです。
伊勢神宮で毎年、2月17日から2月23日まで行われる「祈年祭(きねんさい)」は「としごいのまつり」ともいわれていて、「大御饌の儀(おおみけのぎ)」が行われます。
「とし」というのは、稲のことを指していて、「こい」には、祈りや願いという意味があるので、「としごいのまつり」とも呼ばれるのです。
「大御饌の儀(おおみけのぎ)」というのは、「五穀豊穣」を祈願して、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」をはじめとする神様たちに、お食事をお供えするというもの。
そして11月23日には、収穫を感謝して新穀を神様に奉る「新嘗祭(にいなめさい)」が行われるのです。
「新嘗祭(にいなめさい)」は、「しんじょうさい」とも呼ばれているもので、「新」は新穀を意味していて、「嘗」はお召し上がりいただくという意味があります。
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」とされているのは、3月16日と11月16日なので、伊勢神宮の「祈年祭(きねんさい)」や「新嘗祭(にいなめさい)」とは、日にちに少しのズレはありますが、伊勢神宮でも同じような神事が行われているといえるのです。
十六団子はどうして16?数にまつわる歴史
16日にまつわる神話
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」に、なぜ16個のお団子をお供えするようになったのか、なぜ「16」なのか。
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」にまつわる話は、いくつかあります。
それは平安時代に始まることとなった、「嘉祥喰い(かじょうぐい)」という行事や、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」、「和菓子の日」ですが、これらはすべて16日なのです。
この「16日」という日にちから、すべてのことが始まっているから、「十六団子(じゅうろくだんご)」は「16」だといえるということ。
そして「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」には、山の神の「神去来(かみきょらい)」の伝承があります。
これは、山は神聖な場所として考えてきた昔の人たちは、山の神様が農業の時期には降りてきて、「農耕の神様」として、実りを与えてくれて、また秋には山の神様として帰って行くというものです。
平安時代から室町時代にかけての「嘉祥喰い(かじょうぐい)」
室町時代から「嘉祥喰い(かじょうぐい)」という風習が広まっていきました。
「嘉祥喰い(かじょうぐい)」の始まりは、平安時代にまでさかのぼります。
平安時代の中頃、人々の間では疫病が流行っていたことで、たくさんの人が命を落としていました。
この疫病が、なかなか収まらなかった状況の打開策として、当時の天皇であった「仁明天皇(にんみょうてんのう)」が、元号を「承和(じょうわ)」から「嘉祥(かしょう)」へと変更したのが、848年6月16日のこと。
この時に「厄除け」と「健康招福」を祈願して、16個のお菓子やお餅を、神前にお供えするという儀式、「嘉祥の儀式(かじょうのぎしき)」を行ったのです。
この出来事をキッカケとして、毎年6月16日には、16個のお餅を無言で食べることで「無病息災」を願うという、「嘉祥喰い(かじょうぐい)」という風習となったとされています。
16個のお餅を無言で食べきることが出来たら、その一年は元気に過ごすことが出来る、というものだったのです。
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」に供えるのが、16個のお団子だとされている理由は、日にちが3月16日であることと別に、この「嘉祥喰い(かじょうぐい)」が起源となっているといえます。
仁明天皇(にんみょうてんのう)が賀茂神社にお供えをして、願った疫病退散
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」に、16個のお団子を供えることの始まりともなった出来事である「仁明天皇(にんみょうてんのう)」の、「嘉祥の儀式(かじょうのぎしき)」。
当時人々の間で流行っていた、疫病を収めるために行ったもので、16個のお菓子を賀茂神社にお供えしたことで、疫病退散を願ったといわれています。
「嘉祥の儀式(かじょうのぎしき)」というのは、この時に「仁明天皇(にんみょうてんのう)」が元号を「承和(じょうわ)」から「嘉祥(かじょう)」へと変えたことから、きているものです。
この日が6月16日であったことから、16個のお菓子を神前に供えたのが、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」の由来ともなっているということ。
「仁明天皇(にんみょうてんのう)」が行った、この「嘉祥の儀式(かじょうのぎしき)」が、こののち長く伝統として伝わっていくことになるのです。
江戸時代の「嘉祥喰い(かじょうぐい)」は16文で16個のお菓子を買う
平安時代に始まり、室町時代になって広がっていった「嘉祥喰い(かじょうぐい)」という風習ですが、この時は16個のお菓子を無言で食べることで「無病息災」を祈願するものでした。
しかしこの風習が、時が経つとともに、変化をしてきたのです。
江戸時代に入ったころには、多くの庶民にも広まっていた「嘉祥喰い(かじょうぐい)」の風習。
いつしか「16個のお菓子を無言で食べることで無病息災を祈願する」というのが、「16文のお金で買った16個のお菓子を、笑わずに食べきることが出来たら病気にならない」に変化していったのです。
16文というのは、当時のお金で、1文が30円ちょっとの時代。
当時では、立ち食いそばの「かけそば」がちょうど16文ほどで売られていたとされているので、「嘉祥喰い(かじょうぐい)」の日には、「かけそば」と同じくらいのお金をかけて、お菓子を買って食べていた、ということになるのです。
この変化から「お饅頭」や「ちまき」、「ようかん」や「だんご」や「きんとん」など、さまざまなお菓子を16個揃えて食べることが、江戸時代の人々の間で主流になっていったとされています。
平安時代や室町時代から、変化はしてきていますが、ここでも「16」という数字は変わらず受け継がれてきたのです。
6月16日は「和菓子の日」
現在6月16日は「和菓子の日」とされています。
これは1979年に「全国和菓子協会」が制定したもので、「嘉祥の儀式(かじょうのぎしき)」にちなんで6月16日になったものです。
平安時代の中ごろから、ずっと続いてきた「嘉祥の日(かじょうのひ)」の習わしですが、明治時代以降、一旦途絶えていた時期があったとされています。
しかし1979年の「和菓子の日」の制定によって、毎年6月16日には「嘉祥の日(かじょうのひ)」にちなんだお菓子が和菓子屋さんに並んだり、各地でさまざまな行事が行われたりと、現在まで再び受け継がれることになったのです。
当時なぜ16個の和菓子を食べるようになったのか、ということはハッキリと解明されていません。
しかし6月16日、当時の気候でいえばとても暑かった時期になりますので、小豆で栄養を取るためだったのではないか、とも考えられています。
小豆はとても栄養価の高いものでありますし、現在でもおめでたい時にお赤飯を食べたり、地域によっては産後間もないお母さんには、ぼた餅を食べさせるという風習もあったりするのです。
それほど小豆は栄養が高いものだという認識がありますので、「厄除け」や「健康招福」の意味を持っているといえます。
そのため小豆を多く使った、和菓子を食べることに繋がっているのではないかという説もあるのです。
また日本にとってお団子やお餅というものは、切っても切れない程、さまざまなことに関わっているといえます。
「お正月」には「鏡餅」や「お雑煮」、「桃の節句」には「菱餅」や「桜餅」、「端午の節句」には「ちまき」や「柏餅」、「お月見」には「月見団子」。
春には「ヨモギ餅」夏には「わらび餅」、「お彼岸」には「ぼた餅やおはぎ」など、事あるごとに、私たちの身近には寄り添っています。
和菓子は、日本人にとっては大切なものだといえるのです。
十六団子と田の神迎えについて
「神去来(かみきょらい)」という信仰
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」というのは、山から神様をお迎えして、田畑を守ってもらうための、「五穀豊穣」を祈願する行事ですが、日本には昔から「神去来(かみきょらい)」という信仰があります。
「神去来(かみきょらい)」の信仰とは、山には神様がいると信じられていて、季節の移り変わりとともに、神様のいる場所が変わっていくというものです。
農業が始まる春になると、山の神様が降りてきて、田畑を見守る神様となり、収穫を終えた秋には、また山の神様として山に帰って行くとされているのです。
稲作や農業を行う人々の間では、この「神去来(かみきょらい)」の信仰が強く、全国的にあった信仰だとされています。
そのため神様が山から降りてくる時には、神様をお迎えする儀式を行い、神様が山へ帰る時には、感謝の気持ちを込めてお見送りの儀式を行うという習わしがあるということなのです。
このように一人の神様が、季節によって所在を変えて人々を見守ってくれるという信仰は、珍しいものとされています。
「神去来(かみきょらい)」の信仰は「山の神信仰」とも呼ばれていて、稲作や農業に携わっている人たちの間だけに限らず、山に関係している仕事を生業としている人たち、つまりは炭鉱業、林業、狩りをする人や、木を使った製品を作る人などに幅広く伝わっていったとされているのです。
「神去来(かみきょらい)」の信仰があったから生まれたといえる、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」だといえます。
田の神様や農業神とは?
日本で「農業神」とされているのは、「倉稲魂(うかのみたま)」や「豊受媛神(とようけびめのかみ)」や「大歳神(おおとしのかみ)」が有名です。
昔の人々の間では「農業神」のことを「田の神」と呼んでいて、その呼び方は地方によってさまざまありました。
「農神(のうがみ)」「作神(さくがみ)」「作り神(つくりがみ)」「亥の神(いのかみ)」「サンバイ様」「地神(じがみ)」などが、その代表的な呼び方です。
「農業神」と「漁業神」や「福徳神」は完全に区別されているものではありますが、地域によっては、「農業神」はほかの神様と混同されている場合もあるといわれています。
東日本では「えびす様」、西日本では「大黒天様」、全国的にはその土地の神様や、人々に身近な存在である「稲荷神様」が「田の神」だという信仰もあるのです。
どの神様でも「五穀豊穣」のご利益がある神様だというところには変わりなく、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」としてだけでなく、「田の神様」をお迎え、お見送りする際には、儀式を行っているものだといえます。
またお迎え、お見送りだけでなく、農業を行っている間には、作業の節目ごとに神事を行うことも頻繁に見受けられるもの。
現在では、すべてが残っている地域はごくわずかですが、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」は形に変化があるものの、北陸地方や東北地方など、稲作が盛んな地域では根強く残っている行事です。
女性の役目「早乙女」と田植え歌
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」には、「十六団子(じゅうろくだんご)」を作るために杵(きね)と臼(うす)でお餅をついてお供えをするだけではありません。
神様が山から降りてくることを「さおり」と呼び、神様が山に帰って行くことを「さのぼり」と呼んでいます。
そして、神様をお迎えする人のことを「早乙女(さおとめ)」と呼び、女性が役目を務めることになっているのです。
「早乙女(さおとめ)」は、晴れ着となる、紺色の単衣に、赤いタスキをかけて着飾って、白い手ぬぐいと、新しい「菅笠(すげがさ)」を被ります。
そして太鼓や笛などの囃子や、音頭に合わせて、田植え歌を歌いながら、苗を植え付けていくのです。
この「早乙女(さおとめ)」の役目は、朝早くに始まり、夕方過ぎまで続くとされる長時間に及びます。
現在では、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」に「早乙女(さおとめ)」が田植え歌を歌いながら苗を植え付けていく姿は見ることが出来なくなっていますが、地域の行事や神事として、この様子を見ることが出来るイベントが行われていたりするところもあるのです。
昔の「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」を見ることが出来ると同時に、神様へのお供えの儀式が行われ、「十六団子(じゅうろくだんご)」が振る舞われたりするところもあるなど、古くから伝わる伝統を感じることが出来るものとなっています。
十六団子を作ってみたい!
上新粉や米粉など、何を使う?
「十六団子(じゅうろくだんご)」の作り方には、特に決まっているものがあるわけではありません。
本来は杵(きね)と臼(うす)を使って、お米をついてお餅を作りますが、現在では上新粉や米粉、白玉粉を使って作られることが多くなった「十六団子(じゅうろくだんご)」。
使う粉によってお団子の食感が変わってきますので、好きなものを使って作ってみるといいといえます。
「上新粉」は、うるち米を水洗いしたのちに、乾燥させてから粉にしたものです。
出来上がりは歯切れのよいお団子となります。
上新粉が使われている和菓子はたくさんあって、「お団子」「柏餅」「草餅」や「ういろう」などが代表的です。
次に「米粉」や「もち粉」というものは、お米やもち米を水洗いして乾燥させたもののことをいいます。
もち粉が使われている和菓子には、「大福」や「求肥」があり、きめ細かく滑らかな食感になるのです。
「白玉粉」は、もち米を水洗いした後、石臼を使って水びきして出来た、沈殿物を乾燥させたもののことをいいます。
もちもちとした食感が強く、「白玉団子」や「大福」に使われているもの。
「だんご粉」は、うるち米ともち米を半分ずつの割合で、水洗いして乾燥させたものを粉にしたものです。
白玉粉で作ったものよりも少し固めのものになり、上新粉だけのものよりは柔らかく仕上がるので、上新粉と白玉粉の間くらいの固さになります。
「十六団子(じゅうろくだんご)」も、粉によって好きな固さのものを作って問題ありませんので、挑戦してみましょう。
基本的な「十六団子(じゅうろくだんご)」の作り方
「十六団子(じゅうろくだんご)」ですが、作り方はとても簡単です。
「上新粉」「米粉」「もち粉」「白玉粉」「だんご粉」など、自分の好みの粉と、お好みでお砂糖を用意します。
粉をボウルに入れて、お好みの量のお砂糖と混ぜ合わせますが、砂糖が要らないという人は、お砂糖を入れなくても大丈夫。
出来上がりをちょっと甘めのお団子にしたい場合は、好みの甘さになるように調節して入れてください。
粉が200グラムに対して、160ccの熱湯を用意します。
熱湯を2回に分けて粉に入れ、かき混ぜてください。
触れる温度にまで下がったら、手で良くこねます。
この時に、熱湯が足りなければ、少しずつ足していきましょう。
良くこねて粘りが出てきたら、好みの大きさに分けて丸めます。
蒸し上げる場合は、蒸し気に濡れ布巾をかけて、等間隔に並べ蓋をし、強火で10分程度蒸したら出来上がりです。
ゆでる場合は、鍋にお湯を沸かし、沸騰したところに団子を入れてゆでます。
ぷかぷかと団子が浮いてきたら、冷水にあげて冷やしてください。
これで「十六団子(じゅうろくだんご)」の出来上がりです。
お供えをする時の、飾り方
「十六団子(じゅうろくだんご)」の飾り方は、16個のお団子を山のように積み上げてお供えします。
よくお月見団子が盛られているイメージを思い浮かべますが、まさにその通りです。
「十六団子(じゅうろくだんご)」は、神様へのお供え物なので、神事に使う「三方(さんぽう)」に白い紙を敷いてお供えするのが、本来の形といえます。
「三方(さんぽう)」には、3方向に穴が開いているのですが、穴が開いていない方を神様側に向けてお供えするのです。
しかしながら現在では一般家庭に「三方(さんぽう)」がない場合が多いといえますので、その場合はお盆やお皿を代用してお供えしても構いません。
お盆やお皿に白い紙を敷いて、お団子を乗せるのです。
お団子の乗せ方ですが、お団子が16個なので、一段目に9個、二段目に4個、三段目に2個、四段目に1個、と積んでいけば、キレイな山に積みあがります。
一段目と二段目はそれぞれ、縦横3個ずつ、2個ずつと並べることが出来ますが、三段目は2個を並べるしかありません。
ここで気をつけてほしいのは、神様にお供えをする時ですが、正面から見て「縦に2個」並ぶように気をつけましょう。
正面から見て横に2個並べるのは、仏事の時の並べ方になってしまいます。
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」は神事ですので、「縦に2個」並べるのが、正しい並べ方になるのです。
十六団子の飾り方、食べ方
みたらし
お供えした「十六団子(じゅうろくだんご)」ですが、どのように食べればいいのか、迷う人も少なくありません。
昔の人はそのまま食べていたことがほとんどだったようですが、砂糖を入れて作っていれば、ほんのりとしたあまさがあるものの、「ちょっと物足りない…」と感じてしまうことも。
「十六団子(じゅうろくだんご)」とおいしくいただくために、いろいろなアレンジ方法があります。
その一つに「みたらし団子」が挙げられるのです。
お醤油が80ccに対して、お砂糖を120グラム鍋に入れます。
そこに水を210ccと、みりんを30cc、片栗粉を30グラム入れて、よくかき混ぜてください。
鍋を火にかけて、ぐつぐつと湧いてきたら弱火にしてよく練ります。
焦げ付かないように、火加減には十分気をつけましょう。
これで「みたらし餡」の完成なので、とても簡単です。
お供えしたお団子をグリルやトースターなどで、焼いて焦げ目をつけて、みたらし餡をかければ、みたらし団子の出来上がり。
甘辛いみたらし団子は、好きな人も多いはずなので、小さな子どもから、お年寄りまで楽しめるものです。
みたらし餡もすぐできますので、「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」だけではなく、日頃のおやつにも大活躍しますので、覚えておいて損はありません。
きな粉・あんこをトッピング
お団子のアレンジ方法として、王道ともいえるのは、やっぱり「きな粉」と「あんこ」です。
「あんこ」には「粒あん」と「こしあん」のほかに、「白あん」や「ずんだ」といろいろあります。
「あんころ餅」や「おはぎ」や「大福」など、「あんこ」とお餅は相性バッチリだといえるのです。
伊勢の名物でお土産の定番でもある「赤福」も、お餅の上に「あんこ」が乗ったもの。
大福には「白あん」が使われることも多く、「あんこ派」と「白あん派」に分かれるほど、どちらも人気があります。
仙台の「ずんだ餅」もお土産としては定番です。
「あんこ」は万人に愛される、お餅の食べ方だといえます。
「あんこ」と人気を二分するほど、「きな粉」で食べるのが好きな人も多いものです。
「きな粉」といえば「きな粉餅」や「安倍川餅」、「おはぎ」や「わらび餅」などがあります。
山梨の銘菓でもある「信玄餅」は「きな粉」に加えて「黒蜜」もかけて食べるものですが、こちらも、もらうとうれしいお土産として人気です。
「きな粉」もまた子どもからお年寄りまで人気のある、お餅の食べ方だといえます。
また「あんこ」と「きな粉」は、昔から日本にある食べ方でもあり、古くから日本人になじみのある味でもあるのです。
「十六団子(じゅうろくだんご)」の食べ方としては、最もおすすめできる食べ方だといえます。
お汁粉・ぜんざい
「お汁粉」や「ぜんざい」もお餅の食べ方として、好きな人が多いものです。
「あんこ」との相性がいい事もありますし、まだ肌寒い日が続くこの時期には、あったかい「お汁粉」や「ぜんざい」を食べたくなる人も少なくありません。
「お汁粉」と「ぜんざい」ですが、明確な違いというものは難しく、地域によって解釈が変わってくるといえます。
一般的に言われているのは、汁があるものを「お汁粉」、汁がないものを「ぜんざい」と呼ぶ人が多いのですが、地域によってこれに限った分け方ではないのです。
関東では、汁があるか、ないかで分けられるのが主流ですが、関西や九州などでは、粒の入っていない汁があるものを「お汁粉」と呼び、粒が入っている汁のあるものを「ぜんざい」と呼んでいます。
関東でいう汁のない「ぜんざい」のことは、関西では、「亀山」や「金時」と呼ばれているのです。
九州ではさらに、お餅で作っているものを「お汁粉」、白玉団子で作っているものを「ぜんざい」と呼ぶ地域もあるそう。
ところ変わって北海道では、特殊な分け方といえるのですが、「お汁粉」はお餅ではなく、カボチャが入っているものを言います。
全国に共通して「ぜんざい」や「お汁粉」に入れるお餅も、種類の違いや、焼くか焼かないかといった違いなど、細かく見ていくとさまざまあるようです。
「十六団子(じゅうろくだんご)」の食べ方としては、「ぜんざい」や「お汁粉」も候補として挙げられますが、地域によって作り方はさまざまだといえます。
ヨモギ
ここまではオーソドックスな「十六団子(じゅうろくだんご)」について紹介してきましたが、ちょっと変わった「十六団子(じゅうろくだんご)」の紹介もしていきます。
この時期に春の訪れを感じさせてくれる「ヨモギ」を使った、「十六団子(じゅうろくだんご)」もいいものです。
昔は杵(きね)と臼(うす)でお餅をつく音で、神様にお知らせをしていましたが、現在ではなかなかお餅をつくことがなくなってきました。
「十六団子(じゅうろくだんご)」をお供えするときに、「ヨモギ」で作った「十六団子(じゅうろくだんご)」にすることで、「ヨモギ」の香りを神様に伝えて、お知らせするというのも、現代のやり方といってもいいものです。
神様に、春の訪れを少しでも感じてもらうことが出来ます。
「ヨモギ」で作る時は、「十六団子(じゅうろくだんご)」の作り方の工程の初めで、粉に「ヨモギ」を追加するだけです。
食べ方も、そのまま食べてもいいですし、「ヨモギの苦味が苦手だな…」という人は「あんこ」や「きな粉」と一緒に食べることで、苦みが和らぎます。
とても香りのよい「ヨモギ」で作った「十六団子(じゅうろくだんご)」おおすすめです。
ささだんご
一風変わったお供え物として「ささだんご」を「十六団子(じゅうろくだんご)」に見立ててお供えするのも一つです。
「どうしても作る時間がない!」となると、買ってくるしかなくなる「十六団子(じゅうろくだんご)」ですが、そんな時に選択肢として挙がってくるのが、「ささだんご」だといえます。
「ささだんご」は中に「あんこ」の入っているお餅一つ一つが、笹に包まれているものです。
笹を開けた中に見えてくるお餅の形は、「米俵」にも似ています。
「五穀豊穣」を祈願する「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」なので、たくさんのお米が収穫できる願いを込めて、「米俵」の形をしたお餅を、神様にお供えしてみるのも、いいものです。
「十六団子の日(じゅうろくだんごのひ)」も、時代の移り変わりとともに、変化してきているところはありますし、「五穀豊穣」を願うといった意味では、間違っていません。
「十六団子(じゅうろくだんご)」はこうでなければいけない、という明確な決まりもないので、自分の思う形で、願いを込めてお供えすることが大切だといえます。
「ささだんご」から香ってくる笹の香りも、神様へのお供え物としても、いいものです。
占い師 RINのワンポイントアドバイス「日本人の食に欠かせないお米を使った団子を行事食として楽しむ」
季節ごとのものであったり、神事には欠かせないものでもあるのです。
これも私たち日本人にとっての主食である、お米から作られるものだから、ということも出来ます。
今まで以上に、季節を感じながら、お団子やお餅を楽しむことが出来たら、素晴らしいことです。