お正月の行事を締めくくるとされている日である、「二十日正月」。
1月20日のことを指していますが、現在は1月20日といえば、もうすでに通常の生活を送っているころなので、あまりなじみのない行事かもしれません。
しかし昔の人は、年末から、1月20日までの長い間をお正月としてきたのです。
二十日正月と知らずに、行っていることも、実は二十日正月の行事だった、ということも意外とあるもの。
二十日正月について知識を深めてみると、おもしろいかもしれません。
お正月から二十日正月までのお正月行事の流れや、沖縄との違い、二十日正月に食べるものなども紹介していきます。
目次
二十日正月は正月納めをする日!2022年は1月20日
二十日正月というのは、歳神様(年神様)がお帰りになる日であり、お正月の行事がすべて終わるとされる正月納めの日
二十日正月というのは、日本の行事の一つで、お正月の終わりの日となる節目の日のことをいいます。
毎年1月20日になると、お正月にお迎えをした歳神様(年神様)がお帰りになることから、正月納めをする日だとされているのです。
1月20は、正月行事の総仕上げとして、お正月に飾っていた飾りなど全て片付けたりして、締めくくります。
お正月の準備からいえば、1か月続いてきたお正月に関することが、すべて終了するとされる日なのです。
お正月に用意した食べ物をすべて食べてしまうことから、西日本では「骨正月」と呼ばれることもあり、「実りへの感謝」と「今年の豊作」を願う日でもあります。
12月13日の正月事始めから始まった、お正月の行事も、さまざまな行事を行いながら1月20日まで行われているのです。
現在の私たちはその年にもよりますが、一週間から10日くらいでお正月気分が抜けてしまうことを考えると、昔の人たちは1か月以上という長い時間をかけて、大切に過ごしてきていたと感じることが出来るといえます。
7日は松の内が明けて、七草がゆを食べる日
年が明けて、元旦から7日までの期間を「松の内」と呼びます。
「松の内」というのは、お正月にお迎えをした歳神様(年神様)が、家に滞在している期間であり、歳神様(年神様)のよりしろとされている門松を立てておく期間のこと。
そのため松の内が明ける1月7日には、家に飾っている門松やしめ縄を片付ける「松送り」をするのです。
また1月7日の行事食といえば、「七草がゆ」。
お正月料理から日常食べるものへと戻っていく区切りの食事ともいうことが出来る、七草がゆですが、お正月にごちそうをたくさん食べて、お酒もたくさん飲んだ胃や腸にとっては、ひと休みのための食事ともいえます。
七草がゆには、「邪気を払う」という意味も込められていて、「無病息災」などを願って食べられていたのです。
七草がゆの始まりは、平安時代までさかのぼるとされていて、昔からなるの七草である「セリ」「ナズナ」「ゴギョウ」「ハコベラ」「ホトケノザ」「スズナ」「スズシロ」を入れた七草がゆが食べられていたとされています。
11日頃に行うのは、神様の霊力を分けてもらうための「鏡開き」
「松の内」が明けると、やって来る「鏡開き」の日。
地域によって日にちの違いがありますが、毎年1月11日ごろに、歳神様(年神様)のよりしろでもある、飾っていた鏡餅をいただくことで、その霊力をわけてもらい、一年がいい年になることを願う、というもの。
鏡開きというのは、木づちで鏡餅を割って、お餅をいただきます。
これはもともと戦国時代の頃に、甲冑の前にお餅を供えてお正月が明けたら食べるという「具足祝い」という行事があったのです。
この時に刀を使ってお餅を切るということは、武士にとって切腹を連想させてしまい、縁起が悪いとされていたことから、木づちでお餅を割るというスタイルになったことが、現在でも続いているとされています。
木づちで割ることから、「割る」という言葉が使われてもおかしくないといえますが、これも縁起が悪いという理由で、「開く」が使われたとされているのです。
しかし昔ながらの鏡開きが行われているところもありますが、現在では衛生的な観点から、お店で買ってきた真空パックの鏡餅を飾っている家庭がほとんどなので、昔ながらの鏡開きは、あまり見られなくなってきました。
鏡開きには、お餅をお料理に使ったり、そのままお餅をいただいてもいいので、食べて神様の霊力をいただきましょう。
15日は「小正月」と言って、地域ごとにたくさんの行事が行われている
1月1日を元旦と呼ぶのに対して、1月15日に行う行事のことを「小正月」と呼びます。
現在ではあまり呼ばれることがなくなっているといえますが、元旦のことを「大正月」と呼ぶことに対して「小正月」、元旦を「男正月」と呼ぶことに対して、小正月のことを「女正月」と呼んだりもしているのです。
小正月に行われる行事で、一番なじみ深いものといえば、「とんど焼き」。
お正月に飾っていた門松や、しめ縄といったお正月飾りや、前年度まで守っていただいていたお守り、破魔矢や熊手、縁起物に、お正月に行った書初めなどをお焚き上げして「家内安全」や「無病息災」を祈願するものです。
この時に書初めを燃やす理由は、字が上手くなる願いが込められているといわれています。
地域によってさまざまな行事が行われる小正月ですが、ほかにも「なまはげ」や豊作占い・吉凶占いなどが有名です。
小正月に飾られるものには、「餅花」があり、「小豆粥」を食べる地域も広く見られます。
魔除けの意味を持つ小豆を食べることで、「厄除け」や「無病息災」を願うのです。
同じ意味で、ぜんざいを食べる風習があるところも。
とんど焼きでは、お焚き上げの炎で焼いたお餅を、ぜんざいに入れて振る舞う神社もあるのは、このことが理由なのです。
20日は「二十日正月」で、お嫁さんが里帰りから戻る日
一通りのお正月行事が小正月で終わりを迎えることから、「藪入り」という期間が16日から始まります。
「藪入り」というのは、もともと奉公人が主人から休暇をもらって、里帰りをする日のことを指していました。
この風習が時代が流れるとともに、お嫁さんが里帰りをする日へと変わっていったのです。
そのため、小正月が終わった16日には、お嫁さんが里帰りをして、20日はお嫁さんが里帰りから戻ってくる日とされています。
結婚して嫁いだ先のご先祖様の供養が終わって、次は自分の実家のご先祖様を供養するというものがもとになっていたので、「藪入り」というのはお正月だけでなく、お盆が終わった16日から20日といった時期にもみられるものです。
関西では「仏の正月」と呼んでいる地域もあり、この名残が残っていることから呼ばれているもの。
お正月は女性にとって、とても忙しい日が続きます。
年末からずっと働きっぱなしだった女性が、やっと身体を休めることが出来る日でもあったのです。
お嫁さんにとっては、実家に帰って、ゆっくりと過ごすことが出来る唯一の期間だった、ともいえます。
二十日正月は土地によっても呼び名が違う
主に関西で呼ばれている「二十日正月」、関東では「正月納め」が多い
二十日正月は、地域によって呼び方が違うこともあります。
多くの地域で一般的に二十日正月といわれている呼び方ですが、主に関西で呼ばれていることが多く、関東の方では「正月納め」と呼ばれることの方が多いかもしれません。
二十日正月というのは、お正月行事の総仕上げであって、お正月の片づけを終わらせたり、お正月に用意した食べ物をすべて食べ切るということが行われるのです。
お正月をお祝いする最後の日であることから、昔の人は仕事を休んでいたとされています。
二十日正月だから仕事を休む、というのは、現代社会ではなかなか難しいといえますが、有給を使ったり、希望休が取れる人は、お休みを取ってみてもいいかもしれません。
現在では二十日正月の風習が残っている地域は、少なくなっているといえますが、昔は呼び名が違ったとしても、全国的に二十日正月にすることは変わらなかったとされています。
西日本では「骨正月」「頭正月」と呼ばれている
二十日正月のことを「骨正月」または「頭正月」と呼ぶ地域があります。
西日本で多く見られるのですが、これは二十日正月に食べる「魚」に由来があるのです。
魚はほとんどの神事や祭事でお供え物として欠かせない存在であり、縁起ものであることから、お正月に魚を丸ごと一尾用意する地域も少なくありません。
年越しのために準備する魚のことは、「年取魚(としとりざかな)」と呼ばれていて、その代表的なものが、東日本では「栄える」に通じるとして「鮭」であり、西日本では出世魚である「鰤」だとされています。
この「年取魚(としとりざかな)」を時間をかけて煮込んで、味付けをした料理が、お正月に準備されるのです。
西日本では、ゆっくりと時間をかけて煮込んだことにより、骨まで柔らかく仕上がることから、骨も残さずすべて食べてしまう、ということから「骨正月」と呼ばれるようになったとされています。
また魚を頭を残さずに食べ切ることから、「頭正月」と呼んでいる地域もあるのです。
現在のスタイルとしては、西日本で二十日正月の日、粕汁やあら炊きを用意して食べるという風習がある地域も多いといえます。
石川県では「乞食正月」と呼ばれている
二十日正月のことを石川県では、「乞食正月」と呼んでいます。
呼び方は違っても、「乞食正月」にすることは同じで、お正月の片づけをして、お正月料理を食べ切ってしまう日です。
お正月の豪華な食事から、日常の質素な食事へと切り替わる日という意味で、「乞食正月」と呼ぶようになったとされています。
神棚にお供えするものも、質素なものを供えるのです。
そのため「奴正月」と呼ばれることもあります。
また乞食が、あちこちの家を回ってお正月料理の残り物をもらうといった地域も、昔にはあったといわれていることも「乞食正月」と呼ばれるようになったとされている一つの理由です。
石川県は東日本ですが、西日本と同じ「鰤」を食べる文化があり、「かぶらずし」や「ぶり大根」が欠かせない正月料理になっています。
群馬県では「棚探し」と呼んでいる
群馬県では二十日正月のことを、「棚探し」と呼んでいます。
これは食べるものをかき集める、という意味もありますが、お正月に飾り付けた、神棚の飾りをすべて取り払って、片づけをすることから名づけられたものだといわれているのです。
「正月二十日の棚探し」ということわざもありますが、ここからきています。
お正月の残り物を食べるという意味では、二十日正月と同じですが、群馬県の棚探しでは、正月の残り物を「おじや」にして食べるという風習があり、お雑煮にうどんやご飯を入れたものを食べるのです。
「フセ正月」と呼ぶのは岐阜県
二十日正月のことを、岐阜県では「フセ正月」と呼んでいます。
二十日正月と、変わっているところは特になく、お正月の片づけを締めくくる日であり、お正月の料理を残すことなく食べ切ってしまう日です。
小正月に飾った「餅花」を外したり、二十日正月には仕事を休んで、次の日から本格的に仕事に精を出したりと、お正月から通常の生活への切り替えとなる日。
「餅花」の餅を使って、お雑煮を作って食べる地域もあるとされています。
沖縄は全国と異なる|小正月から二十日正月の流れ
旧暦の1月20日を節目としている「ハチカソーグヮッチ」
沖縄にも二十日正月をお祝いするという文化はありますが、ちょっと違うっているのが特徴です。
沖縄では二十日正月のことを「ハチカソーグヮッチ」といい、旧暦の1月20日を節目としています。
年末に作った豚のスーチカと呼ばれる塩漬けを食べ終わって、甕を洗うことから「カーミアレー正月」や終わり正月という意味の「ウワイソーグヮチ」と呼ばれたりも。
ハチカソーグヮッチには、お正月の飾りを片付けるだけではなく、ヒヌカン(火の神)やご先祖様にもお供え物をして拝むのです。
現在では新暦のお正月をお祝いする過程が増えてきつつありますが、まだまだ新正月から旧正月までという長い期間にわたって、お正月飾りを飾ってお祝いをしている家庭も多く残っています。
沖縄の二十日正月としては、山開きが行われ、「五穀豊穣」を祈願する儀式が行われていたことが始まりだと考えられているのです。
ハチカソーグヮッチには、那覇市の辻町で「ジュリ馬行列」が行われています。
ジュリというのは、辻町に1672年、琉球王府によって公設された遊郭で働いていた遊女たちのこと。
借金の返済が終わるまで、家に帰ることが許されなかったジュリですが、辻遊郭の「豊年」と「商売繁盛」を願って行われるジュリ馬行列の日は、一年に一度だけ遊郭から出て家族に姿を見せることが出来たとされている貴重な日でした。
華やかな紅型の衣装を身にまとい、春駒をつけて着飾った女性が、三味線と歌に合わせて「ユイユイ」と声を上げながら踊り、街を練り歩きます。
かつては那覇の三大祭りの一つだったジュリ馬行列ですが、反対意見が強くなったことから1988年以降は途絶えていました。
しかし伝統を守るためとして2000年に復活してから、現在も見ることが出来るようになったのです。
沖縄の小正月は1月14日、御願とウサギムンを供える
小正月は旧暦の1月14日のこと。
沖縄では小正月は、「ソーグワッチグァー」や「ワラビソーグァッチ」と呼ばれているのです。
御願を行って、お供え物をする日でもあり、お供え物のことを「ウサギムン」と呼びます。
沖縄では「ウイミ(折り目)」には「芋」をお供えするという風習がありますので、ソーグワッチグァーも芋をお供えするのです。
ソーグワッチグァーに準備するお供え膳には、「ンムニー」と「豚料理」と「ウサチ」を乗せます。
「ンムニー」というのは、ハレの日の御馳走として、定番。
芋を水炊きして練り上げ、きんとん状にした芋料理です。
ターンムと呼ばれる、いわゆる田芋で作ることが多いのですが、家庭によってはサツマイモを使ったり、紫芋を使って作ることもあります。
「豚料理」はオーソドックスな豚足の煮物が多いのですが、これは昔の沖縄の人々にとって豚料理はとても貴重なものだったことがお供え物として、お膳に乗るようになった理由だとされているのです。
「ウサチ」とは、酢の物のこと。
沖縄ではお膳に酢の物を添えることは、定番とされています。
昆布やミミガーなどの酢の物が準備されることが多いですが、これに限らず酢の物ならなんでもよいとされているのです。
これらを乗せたお膳を、ヒヌカン(火の神)とご先祖様にお供えをして、御願をします。
ハチカソーグヮッチにはヒヌカン(火の神)とご先祖様にウサギムンと御願をする
ハチカソーグヮッチに有名な行事は、ジュリ馬行列ですが、この日もソーグワッチグァーと同じように、ウサギムンをヒヌカン(火の神)とご先祖様にお供えします。
ソーグワッチグァーには決まったウサギムンがありますが、ハチカソーグヮッチにはまた違ったウサギムンをお供えするのです。
ヒヌカン(火の神)にお供えするウサギムンは、基本のお供え物とおかず膳を用意します。
基本のお供え物は、「お酒」「ミジトゥ(水)」「お塩」「供え葉」です。
おかず膳には、私たちが食べるものと同じものを、お皿に盛りつけます。
ご先祖様にお供えするウサギムンは、基本のお供え物とおかず膳ですが、ヒヌカン(火の神)にお供えするウサギムンと葉またちょっと内容が変わるのです。
この時の基本のお供え物は、「お酒」「対のウチャトゥ」「供え花」になります。
おかず膳は、「ウチャワキ」「ウサチ」です。
ウチャワキというのは、おかずを盛りつけたお皿のこと。
地域によっては、芋料理が追加されることもあるそうです。
それぞれのウサギムンをお供えしながら、お正月が終わり片づけをすることと、今後についての祈願をします。
この時の言葉は、ヒヌカン(火の神)には「ウートゥートゥー ヒヌカンヌウガミガナシー、おかげさまで本日無事にハチカソーグヮッチの日となりました。本日をもって、正月の行事が終わります。無事に正月の行事を終えさせていただきありがとうございました。」とお伝えするのです。
ご先祖様には、「ウートゥートゥー ウヤフジガナシー、おかげさまで無事にハチカソーグヮッチを迎えさせていただきました。家族みんなが安全で健やかにお正月のおもてなしが出来ましたことを、感謝申し上げます。ありがとうございました。本日をもって、正月飾りを下ろさせていただきます。どうぞこれからも家族一同、安全に健やかに、穏やかに過ごすことが出来ますように。ミーマンティー ウタビミスーリー ウートゥートゥー」とお伝えします。
この御願を持って、ハチカソーグヮッチが終わるのです。
お線香も、独特な形をしている
沖縄のお線香は、私たちが知っているものとは形なども異なっています。
「ヒラウコー」と呼ばれている沖縄のお線香は、私たちの知っているお線香を6本くっつけたような形をしていて、香りはあまりありません。
ヒラウコーは一般的な呼び方ですが、本数や拝し方によっても、呼び方が変わっていきます。
火を灯さないで拝する時には、「ヒジュルウコー」といい、年末に神様が天へと帰っていく時に拝するものを「フトゥチウコー」と呼ぶのです。
お仏壇にお供えするときは通常12本使うことから、「ジュウニフン」、ヒヌカン(火の神)など神様に対しては15本使うことから「ジュウゴホン」「ジュウゴコー」と呼んでいます。
これに対して、私たちの知っているお線香は1本だということから「イッポンコー」、香り高い線香のことを「カバシウコー」と呼ばれているのです。
またヒラウコーを拝するために使う香炉のことを「ウコール」と言いますが、これも通常使うものは「ウトゥーシウコール」、ヒヌカン(火の神)などに使う白い香炉になると「カミウコール」と呼んでいます。
ヒラウコーの数え方も独特なものがあって、6本をくっつけているものを通常「二片」使うことから、「タヒラ」というのです。
これは「タ」が「二」、「ヒラ」が「片」という沖縄の言葉からきています。
ヒヌカン(火の神)に使うのは15本ですから、「タヒラ」で12本、半ヒラが3本となるのです。
お仏壇に供えるウサギムン「ンムニー」と細かい決まりごと
ウサギムンに欠かせないものの一つとされている、「ンムニー」ですが、お仏壇に供えるものとして、定番ともいえる芋料理です。
ターンムと呼ばれる田芋で作る家庭も多いのですが、サツマイモを使ったり、紫芋を使ったりと、家庭によってさまざま。
その作り方は、芋の皮をむいてゆでやすい大きさに切った芋を、鍋でゆでていきます。
芋が柔らかくなったら、その煮汁を1カップ程取り分けておくのです。
水が少なくなってきて、潰せるくらいの固さになったら、マッシュポテトを作る要領で潰していきます。
砂糖と塩で味をととのえたら、取っておいた煮汁を加えて弱火にかけるのです。
水で溶いた白玉粉を加えて、さらに潰すように練り続けます。
きんとんのような状態になったら、「ンムニー」の出来上がりです。
またお仏壇に供える時には、お線香の本数や、お膳にお箸を何本添えるか、またはお箸は添えないなど、行事によって細かい決まりごとがあります。
ソーグワッチグァーでは、お箸を添えること、お線香は2本と決まっているのです。
ハチカソーグヮッチでは、ヒヌカン(火の神)に供える場合は、お箸は用意せず、線香は15本となっています。
ご先祖様には、お箸を添えて、線香は12本になるのです。
お正月のお飾りは、お焚き上げしないで、塩で清めてから捨てる
ハチカソーグヮッチに外した、お正月のお飾り。
私たちは、一般的には神社やお寺に持っていって、お焚き上げをしてもらいます。
しかし沖縄では、お正月のお飾りの処理方法も異なるのです。
沖縄の神社やお寺には、日頃無人のところも多く、必ずしも神主さんやご住職が常駐しているとは限りません。
現在では、大きな神社やお寺には、神主さんやご住職がいらっしゃいますので、近所に常駐している神社やお寺がない場合は、わざわざ常駐しているところまで持っていって、お焚き上げをしてもらう家庭もあります。
ところがそうもいかない場合もありますので、多くの家庭ではお焚き上げをしない代わりに、塩をかけてお清めをしてから、ごみ袋に入れて捨てるのが一般的となっているのです。
私たちからすれば、お正月のお飾りはお焚き上げをしてもらうのが当たり前という意識ですが、沖縄の人たちにとっては、塩をかけて清めてから捨てるのが、昔から続いている一般的な方法だといえます。
二十日正月に食べるもの
「小豆粥」はとても栄養価の高い食べ物
二十日正月に食べるとされている行事食の一つに「小豆粥」があります。
「小豆粥」は15日の小正月に食べられることが比較的多いですが、二十日正月で食べられることも少なくありません。
小豆は赤いことから、昔から邪気を払う力があるとされていて、食べることで一年間の「無病息災」や「厄除け」といった意味があります。
通常は早朝に食べるものとされていたので、「あかつき粥」と呼ばれたり、小豆粥の色から「紅調粥(うんじょうがゆ)」や「さくら粥」とも呼ばれているのです。
小正月や二十日正月だけではなく、さまざまな農業の神事で食べられることも多い、「小豆粥」には、「五穀豊穣」や「子孫繁栄」といった意味も込められています。
余計な味付けをしないで作るのが、通常の「小豆粥」ですが、古くは江戸では砂糖を入れて作られていた、京阪では塩を入れて食べていた、と書かれている書物も残っているのです。
「小豆粥」は、「疲労回復」や「風邪の予防」「浮腫みの除去」にも効果があるといわれている、栄養価がとても高い食べ物。
寒い時期で、風邪が流行ったり、お正月でリズムの崩れた生活を送っていた私たちが食べるには、最適な食べ物だといえるのです。
「麦正月」と呼ぶ地域では、「麦飯」や「とろろ」を食べる
西日本の一部の地域では、二十日正月のことを「麦正月」と呼んでいます。
これは「麦」が「米」の次に大切な主食であることから、「麦」の豊作を願い意味も込めて、二十日正月に麦飯を食べる風習があることが由来となっているのです。
「麦正月」と呼んでいる西日本の地域では、麦飯にとろろをかけて食べたり、麦飯にとろろ汁といったメニューを食べます。
現代では、白米を食べることが当たり前となっていますが、昔は白米はとても贅沢なものだったこともあり、庶民が日常的に食べることが出来るものではありませんでした。
そのころは麦飯が庶民の主流となっていて、「パサパサとした食感を食べやすくするためにとろろをかけて食べるようになった」という説、「早く食べることが出来るように食べやすくした」といった説や、「貧しい時代だったのでとろろでかさましをして、空腹を満たしていた」といった説があります。
東日本は「鮭」、西日本は「鰤」を食べる
二十日正月のことを「骨正月」「頭正月」と呼ぶ地域では、魚料理を食べることが習わしとなっています。
東日本では「鮭」が食卓に上ることが多く、その理由は「鮭」が「栄える」に通じるとされているから。
一方で西日本では「鰤」が多く、これは「鰤」が「出世魚」だということから、「おめでたい魚」とされているからなのです。
お正月に食べられる魚ですが、すべて身が食べられてしまい、頭と骨しか残っていないことから、残った頭と骨を時間をかけて煮込み、柔らかくなったところに野菜を入れて、味付けをして最後までおいしくいただこうというもの。
現在では、お正月に準備していた料理が二十日正月まで残っていることはないので、魚料理を作って食べる形になっています。
ぶり大根や、粕汁、ちゃんちゃん焼きなど、各家庭によって料理が異なりますが、魚料理を食べるという文化は続いているのです。
佐賀県鹿島市では「鮒」で作る郷土料理「ふなんこぐい」を食べる
佐賀県の有明海の地域に根付いている文化は、「鮒」を食べるというもの。
一般的に「おめでたい魚」だとされている「鯛」がたくさん獲れず、買うにも高価だったことから、「鯛」の代わりに「鮒」を食べる習慣が根付いたとされています。
「ふなんこぐい」という料理が、郷土料理としてあるのですが、生きた鮒に昆布を巻き付け、野菜と一緒に丸一日以上に込んだ料理です。
二十日正月には、「えびす様」「大黒様」に「商売繁盛」や「無病息災」を願って「ふなんこぐい」をお供えするという風習も佐賀県の鹿島市にあります。
そのため毎年1月19日には鹿島市で「ふな市」が開催されていて、ここで買った鮒で「ふなんこぐい」を作る人が多いといえるのです。
いろいろな料理にアレンジ可能なお餅
鏡開きで残ったお餅を食べ切るのも、二十日正月の日だとされています。
昔はお餅を焼いて醤油やきな粉、あんこで食べたり、お雑煮にして食べていたとされていますが、現代では、お餅の食べ方もさまざまです。
年末になると、スーパーでお雑煮用にお餅を買ってくる人も多いものですが、意外と残ってしまうという人も少なくありません。
毎年残ったお餅の消費に困っている人もたくさんいますが、さまざまなアレンジ法があります。
お雑煮ばかり食べて飽きてしまったお餅も、二十日正月には食べ切ってしまいたいところ。
昔と同じ方法で焼いて食べたり、ぜんざいにするのも一つですが、お餅は料理にも使えます。
煮物に入れたり、スープに使ったり、洋風にピザにアレンジしたりと昔に比べれば選択肢は無限です。
二十日正月は、お正月に準備したものを食べ切る日でもありますので、お餅がたくさん余っているなら、いろいろな料理にアレンジして食べ切るようにしましょう。
二十日正月にすること|お正月気分を一新
正月飾りが残っていないかチェックしましょう
二十日正月にすることは、お正月の片づけをする締めくくり。
そのためお正月の飾りはすべて外し忘れることなく、片付けてしまいましょう。
家の中や、玄関は忘れていることはあまりないかもしれませんが、車やバイクにつけているお飾りも、忘れないように外してください。
近年では昔ながらのお飾りだけではなく、自分で作ったお正月用のタペストリーや、その年の干支をモチーフとしたものを飾っている家庭も増えてきています。
年中飾るものでない限り、家の中をぐるりと一回りして、お正月飾りが残っていないか、チェックしてみましょう。
お餅も含めてお正月料理は、食べつくす
お正月の料理を食べ切る日でもある、二十日正月ですが、現在の生活スタイルを考えると、1月20日までお正月の料理が残っている、なんてことはあまりないかもしれません。
ただお餅は、食べ切れていない場合も多く、余っていがちだといえます。
二十日正月の日には、お餅も食べ切ること、となっていますので、さまざまな料理にアレンジして余っているお餅を消費していきましょう。
本来なら、お正月のために準備したものすべてを食べ切る、となっていますので、お正月のために準備したものは、全部食べてしまうのが風習です。
しかしながら現在では、昔に比べて保存期間が長いものもありますので、使わなかったものなどは、無理して食べなくてもいいといえます。
最低限この時期まで残りがちなお餅を残さず食べておけば、お正月の料理は食べ切れるといえるのです。
「厄除け」と「無病息災」のために、二十日団子を食べる
二十日正月に食べるものに、「二十日団子」というものがあります。
これは小豆の団子のことで、食べる所以としては、「小豆粥」と同じで、「厄除け」と「無病息災」の意味があるのです。
二十日正月の時期だからといって、二十日団子として売られている光景は見たことがないので、現在ではあまり残っていない風習だともいえます。
自分で作って食べてもいいですが、余っているお餅をリメイクしてもいいかもしれません。
二十日正月を身近に感じるためにも、二十日団子を食べて、「厄除け」と「無病息災」を願いましょう。
二十四節気で「大寒」を迎える時期なので「寒稽古」をする
二十四節気において、1月20日ごろは「大寒」だとされていて、一年で一番寒い時期となります。
「大寒」といえば、「寒稽古」や「寒中水泳」など、寒い中で行う「寒修行」です。
一番の厳しい寒さの中で早朝、鍛錬することによって、心身ともに強くなるとされているもの。
二十日正月の時期に「大寒」を迎えますので、「寒稽古」に二十日正月に参加することは、気持ちも身体も引き締めることに繋がります。
お正月で何となくダラけてしまった気持ちを、一新するためにはいい手段だといえるのです。
武道をたしなんでいる人は、毎年この時期には「寒稽古」を行いますが、武道をしていなくても、個人的に運動をしたりするなど、やってみてもいいものだといえます。
寒造りのお酒や醤油・味噌は、おいしいものが出来る
「寒稽古」と同じ時期に行うこととして、「寒仕込み」があります。
これは、一番寒い時期である「寒の内」に汲んだ水「寒の水」を使って、お酒や発酵して作る調味料の醤油、味噌などを仕込むことです。
寒さが厳しいこの時期の水には、雑菌や不純物が一番少ないと言われていることから、おいしく出来上がるとされています。
特にお酒に関しては、「寒造り」とも呼ばれていて、上質なお酒として流通しているのです。
お店で「寒仕込み」や「寒造り」と書いてあるお酒を見つけたら、ぜひ購入してみてください。
「寒の水」を手に入れることは難しいかもしれませんが、この時期に自家製のお酒や味噌を仕込んでみるといいといえます。
占い師 RINのワンポイントアドバイス「二十日正月は正月気分を一掃する日」
なかには二十日正月だと知らないまま、風習を受け継いで過ごしてきた人も少なくないといえます。
お正月気分がダラダラと続いていることに、区切りをつけるために、二十日正月の風習を取り入れて、切り替えていきましょう。
難しいものはありませんので、どれも取り入れやすいものです。
年末から1月20日までを一連のお正月の行事として、改めて新年をお祝いしてみるのも、いいものだといえます。