京都三大奇祭の一つである鞍馬の火祭。
奇祭といっても由緒正しい祭りで、地元の人に愛されています。
鞍馬の火祭はその名の通り炎の祭りで、松明を持って練り歩く姿が印象的なお祭りです。
京都三大奇祭といわれる鞍馬の火祭は、いったいどのような祭りなのか興味が湧いてきましたか?
この記事では鞍馬の火祭について詳しく解説していくので、興味がある方はぜひ読んでみてください。
鞍馬の火祭の歴史や由来、当日のスケジュールや見どころ、注意すべき点について解説していきます。
また、もっと鞍馬の火祭を楽しむためのトリビアについてもご紹介していくので、鞍馬の火祭を楽しみたいという人必見です。
歴史ある鞍馬の火祭についての知識を深め、もっと日本を好きになっていきましょう。
ダイナミックで荘厳な鞍馬の火祭は、日本の歴史を感じるお祭りです。
目次
鞍馬の火祭は例年10月22日開催!歴史や由来
鞍馬の火祭は毎年10月22日開催
鞍馬の火祭は毎年10月22日に開催されます。
この日京都では鞍馬の火祭を含めて、大きなお祭りが二つ開催されます。
昼間に行われるのが京都御所から始まる時代祭、そして夜陽が落ちてから開催されるのが由岐神社で行われる鞍馬の火祭です。
鞍馬の火祭は18時から始まり深夜まで続きます。
この奇祭を見たいと多くの人が集まりますが、鞍馬の集落は狭いため入れる人数には限りがあります。
鞍馬の火祭の歴史|940年に由岐神社への遷宮
鞍馬の火祭はとても歴史のある由緒正しいお祭りです。
そのお祭りが始まったのは今から千年以上も前のこと。
時は平安時代中期940年、動乱や不運が相次ぎ社会は非常に混乱していました。
そこで京都御所に祀っていた由岐明神を鞍馬寺の境内に遷宮することにしました。
御所から見て北に位置する鞍馬寺に由岐明神を遷宮することで、北から京の平穏を願おうとしたのだそうです。
遷宮式では松明を携えて人々は一キロ以上の大行列を成しました。
鞍馬の人々は御所からやってくるこの厳かな火の行列に心を奪われました。
そして、この感動を後世にも残したいと考えたのです。
「由岐明神の霊験とこの儀式を伝えていきたい」そう考えた鞍馬の人々によって鞍馬の火祭は始まり、現代にまで受け継がれてきました。
これほど火が使われる祭りは珍しく、見ている人に火の粉がふりかかることもあります。
この火は遷宮する由岐明神を守るための炎です。
その炎を再現することは、由岐明神への感謝を示すとともに平和への祈りが込められているのでしょう。
千年もの長きに渡って炎を灯し続けてきた鞍馬の人々。
その雄大な景色を見ようと何万人もの人が集まります。
歴史への興味をのぞいたとしても、これだけの炎を見られる機会はそうそうありません。
炎の力を感じられる鞍馬の火祭をぜひ体験してみてください。
鞍馬の火祭の由来は大地震や争いごとを静めるためだった
鞍馬の火祭の由来は京での混乱を鎮めるためでした。
では、具体的に940年にはどんな混乱が京都を襲ったのでしょうか。
940年には平将門の乱が鎮められましたが、藤原純友の乱が起こりました。
この二つの乱を総称して承平天慶の乱と呼びます。
これはただの反乱ではなく、律令国家の衰退と武士のおこりを示しているものです。
この二つの乱はほぼ同時に起こりました。
それゆえ都は大混乱したことでしょう。
さらにこの時期には大地震も起きました。
大地震に加えて争いごとが起きたこの時代を何とかするためには、もう神様に頼るしかないと昔の人は考えました。
そして、北方を鎮めるために京都御所から鞍馬寺・由岐神社に由岐明神を遷宮することとなったのです。
京都御所は当時、天皇が住み公務を執り行ったところ。
940年に朱雀天皇は皇室の守護神として御所に祀ってあった由岐大明神を、御所の北方に当たる鞍馬の地に天下泰平と万民の幸福を祈念し遷宮しました。
遷宮の大行列が手にしていたのが、鴨川の葦で作った松明です。
松明を手にした大行列は一キロほどの長さになり、その雄大さは見る人に感動を与えました。
天皇直々の命による国家的な一大儀式は、鞍馬の人々によってその後も続けられていきます。
京都三大奇祭、他の二つは「玄武やすらい祭り」「太秦の牛祭」
「鞍馬の火祭は京都三大奇祭の一つ」と聞くと、他の二つについても気になってきますよね。
では京都三大奇祭の他の二つについても説明していきましょう。
まず、一つ目は今宮神社で行われる玄武やすらい祭りです。
やすらい祭りが行われるのは毎年4月の第2日曜日です。
このお祭りが行われている理由は、春に花とともに流行する疫神を鎮めるためとされています。
疫神は花の精にあおられていたずらをすると考えられていました。
そのため、やすらい踊りによって疫神を花傘に引き寄せて、花の精から引き離し病気を鎮めていったのです。
やすらい祭りでは花傘を先頭に鬼たちが行列をなし、笛や太鼓の音に合わせて踊り歩きます。
花傘に入ると無病息災になると言われており、そのご利益を求めて多くの人が訪れます。
もう一つの奇祭は、京都市右京区太秦にある広隆寺で行われる太秦の牛祭です。
これは五穀豊穣、悪霊退散を願う祭りで10月に開催されますが、祭りに使う牛の調達が難しいため不定期となっています。
京都に住んでいる人でも見たことがないという人も多い、奇祭中の奇祭でしょう。
お祭りの様子も奇祭と言われるにふさわしい独特なものです。
太秦の牛祭では奇妙な白いお面をつけた摩陀羅神が牛に乗り、赤鬼青鬼のお面をつけた四天王が松明を持って境内を巡ります。
そして、薬師堂前で恵心僧都作の長い祭文を読み上げます。
この読み上げ方が独特の調子で、聞いている人を不思議な世界へ誘います。
変わっているのは参拝者の参加の仕方もです。
参拝者は長い祭文が読み上げられている間、摩陀羅神と四天王に対して悪口・雑言を浴びせます。
祭文が読み終わると摩陀羅神と四天王は堂内に駆け込みます。
悪口を言うという変わったお祭りはなかなか体験できるものではありません。
不定期開催なため参加は難しいですが、開催が決まったらぜひ逃さず参拝してみてください。
祭りの流れとスケジュールを確認
鞍馬の火祭は松明の点火から始まる
鞍馬の火祭はその名の通り、火を使ったお祭りです。
京都三大火祭の一つでもあり、火が主役となるお祭りです。
ゆえに、鞍馬の火祭は火がなければ始まりません。
鞍馬の火祭が始まるのは18時頃です。
10月22日の18時といえば、日没しており辺りはすっかり暗くなっているでしょう。
「神事に参らっしゃれ」という神事触れの合図から、鞍馬の火祭は始まります。
合図とともに鞍馬の集落の各戸に積まれたエジといわれる篝火や松明に点火されていきます。
この後、火はだんだん大きな松明に灯されていきますが、やはり最初も見逃せません。
真っ暗だった空間に合図とともに火が灯されていく様子は、鞍馬の火祭のみどころの一つです。
初めはとっくりと呼ばれる小さな松明を子供が持ち、その後大人の持つ比較的大きな松明へと火を移していきます。
鞍馬の火祭はこうして時間とともに変わっていく火の様子もみどころです。
最初は小さな松明に灯され子供が手にしていた明りが、大きな松明へと移され大人の手にバトンタッチしていきます。
松明は鞍馬の集落内を練り歩き、仲間と呼ばれる地域それぞれの宿へと向かっていきます。
宿とはその年の当番の家のことで、これは年によって変わるものです。
集落内を動く火の様子は見ている人の気持ちも浄化してくれるようでしょう。
火はだんだんと大きく!大松明が鞍馬寺山門へ
最初に灯された火はだんだんと大きくなっていきます。
集落内を巡り最終的に松明は、仲間と呼ばれるその年の当番の人の持つ大松明へと集約されていきます。
大松明に灯された火は各仲間が持っており、それが20時頃になると鞍馬寺の山門前へと集まってくるのです。
仲間の持つ松明が集結し、鞍馬寺山門前に集結する様子は圧巻。
鞍馬の火祭の中でも一番「火」を感じられる瞬間でもありますので、見逃さないようにしてください。
小さな松明に灯された火は各集落を周り、最終的に大松明に灯されて鞍馬寺の山門に集まってきます。
そして、火の役割はここで終了です。
山門前に集まったたくさんの火は、その後石段の下の決められた場所に焼き捨てられます。
ただし、すべての火が消えてしまうわけではなく、篝火や大松明以外の松明の火はついていますので火祭の荘厳な雰囲気はまだまだ健在です。
そして、いよいよここから鞍馬の火祭のクライマックスといわれる行事が始まっていきます。
鞍馬の火祭のクライマックス!神輿
大松明が山門前に集結した後で、石段奥で注連縄が切られて神輿が出発します。
鞍馬の火祭で使われる神輿は2基。
まず、最初に由岐神社から下るのは八所大明神、その次に由岐大明神が下ります。
由岐神社に祀られているのは主祭神として大己貴命と少彦名命でこの二つを合わせて由岐大明神と呼びます。
相殿には八所大明神が祀られており、この二つの大明神を乗せた神輿が下っていくというわけなのです。
鞍馬は山道なので、神輿のスピードが出てしまうと大変危険です。
そのため、神輿の縄を引くのは女性が多くなっています。
単にスピードの面だけでなく、この神輿の縄を引くと安産になるという言い伝えがあります。
だから、このご利益を求めて若い女性がたくさん神輿の縄を引くのです。
神社から参道を下って神輿は集落内を練り歩きます。
神輿はお祭りの日には神社には帰りません。
集落内を練り歩いた後は御旅所に安置され、最後には神楽松明と呼ばれる大松明が奉納されます。
神楽松明は境内を周り、神幸祭は終了します。
氏子たちも帰宅をし、18時から始まったお祭りは24時頃に終了となるのです。
夜遅くまで続くお祭りで、夜が更けるほど人も増えてきます。
鞍馬の火祭ではチョッペンと呼ばれる元服の行事も行われる
鞍馬の火祭では鞍馬に生きる男性にとって一生に一度の重大な行事も行われます。
それはチョッペンと呼ばれるもので、昔は元服の行事として行われていました。
元服というのは奈良時代以降に行われるようになったもので、成人になったことを示す通過儀礼です。
男性の元服としてメジャーなのは、氏神の社前で大人の服装・髪型に改め冠をつけるというもの。
しかし、鞍馬の男性の元服の儀式は、一風変わったものです。
それは火祭の際に下りてくる神輿の担ぎ棒に、ふんどし姿でぶら下がるというもの。
メジャーな元服が成人の服装に身を包むのに対し、鞍馬の元服は服を脱いで神輿にしがみつかなければならないのだから、その大変さがわかるでしょう。
しかし、元服の儀は大人になったことを周囲に示す大切な行事であり、鞍馬の男性にとってとても大切な行事です。
チョッペンは今でも鞍馬の男性にとって一生に一度の成人の儀式として行われています。
鞍馬の火祭の神輿の写真を見ると、神輿の棒にふんどし姿の男性がぶら下がっているのが確認できるでしょう。
鞍馬の火祭はたくさんの人がくる有名な行事となりましたが、チョッペンのような地域住民のための行事も行われています。
鞍馬に生まれた男性は、成人した証に鞍馬の火祭に参加したくましくなった体を見せつけ、
神輿にしがみつけるだけの腕力があることをお祭りの参加者に見せつけます。
鞍馬の火祭はたくさんの人が全国から集まる行事です。
鞍馬の新成人は多くの人に成人の儀式を見守ってもらうことができるのです。
そして、参拝者も歴史的な神事に参加するだけでなく、成人の儀式という大切な場に立ち会うことができます。
鞍馬の火祭ではぜひチョッペンにも注目してみてください。
鞍馬の火祭は翌日も続く|還幸祭
昨夜、神輿は御旅所に安置され、お祭りは終わったかに見えました。
しかし、翌日に行われる還幸祭で神輿が神社に戻って、鞍馬の火祭はすべて終了となります。
昨夜は燃えるようだった鞍馬山の様子も、一日経てばまた静かな風景に戻っています。
神輿が戻るのを見届けたいのなら、還幸祭にも参加してみましょう。
鞍馬の火祭の見どころは燃え盛る炎!
鞍馬の火祭で使われる松明は300本!
鞍馬の火祭での見どころはやはり松明に灯った炎でしょう。
最初は晴れ着姿の幼子や少年が松明を持ちます。
20時頃になると主役の青年が現れ、大松明を担ぎ上げます。
青年たちの格好は下帯に前垂れ・肩当てをつけた格好をしており、4~5名で大松明を持ち上げるのです。
最初は子どもがかつげるほどの大きさだった松明ですが、大松明となるとその大きさは4メートルほどになります。
21時頃には大松明は鞍馬寺の山門に集合します。
たくさんの松明が集まりますが、その数はおよそ300本ほどだそうです。
300本の4メートルの大きさの松明がひとところに集まる様子は圧巻。
京都は由緒ある土地柄であることもあり、365日どこかでお祭りが行われていると言われる地域ですが、その中でもこの光景は異彩を放っています。
静かで荘厳なお祭りが多い中、この炎の雄大さは目を見張るものがあるでしょう。
300本の炎が燃えさかる様子は、鞍馬の火祭でしか見ることができません。
鞍馬の火祭を見に出かけるのなら、大松明が鞍馬の山門に集まる光景はぜひ見てほしいものです。
大松明を手に練り歩く時の掛け声「サレイヤ サイリョウ」
鞍馬の火祭では独特な掛け声もみどころの一つです。
現代の言葉ではなく昔の言葉を聞くとタイムスリップしたような気持ちになりますが、鞍馬の火祭でもまるで現代ではない世界に迷い込んだような気持ちになることができます。
まず「神事に参らっしゃれ」という言葉から、お祭りはスタートします。
こうした言葉遣いも現代では聞くことのないものでしょう。
集落内を松明を持って練り歩くわけですが、その時にも独特の掛け声があります。
それは「サレイヤ、サイリョウ」というもの。
これは「祭礼や、祭礼」という意味で、この掛け声とともに鞍馬の集落内を松明は巡ります。
前提知識がなければ、ただの不思議な言葉を唱えているだけですが、意味を知っているとまた違って見えるでしょう。
お祭りといえば「わっしょい」がメジャーですが、それとは一風違う掛け声を楽しんでみてください。
繰り返されるサレイヤ、サイリョウの掛け声は、あなたを不思議な世界へと連れていってくれるはずです。
大松明が鞍馬寺に集まる|火の力を得た神輿の雄大さ
大松明が集落内を練り歩く様子もいいのですが、やはり大松明が集合する様子を見て欲しいものです。
大松明の最終目的地は鞍馬寺の山門です。
男たちの威勢のいい掛け声とともに、太鼓や鐘のおはやしも合わさって大松明が集まってくる様子は豪快そのもの。
そして、集まってきた火の力を得て、神輿が下ってきます。
神輿が山門前までやってきて激しく揺さぶられる時、この時が一番炎が激しくなります。
鞍馬山は炎で包まれたようになり、熱気も最高潮となるでしょう。
沿道で見ている人にもその熱気は届き、炎を熱いと感じるほどの距離感で祭りを見ることができます。
下ってくる神輿とそれを受け入れるたくさんの大松明。
この2つが合わさる瞬間を見逃さないようにしてください。
鞍馬の男性の成人の儀|チョッペンの儀
鞍馬の火祭で燃えるのは松明の炎だけではありません。
火祭では男気も燃えています。
鞍馬の男性には古くから伝わるチョッペンの儀という、人生で一度きりの成人の儀式があります。
これは神輿が山門から急な階段を下る時に行われるものです。
神輿が階段を下りるときというのは、かなりの揺れがあることは誰にでも容易に想像がつくでしょう。
鞍馬の若い男性は、神輿の先端に伸びた担ぎ棒にぶら下がります。
下から巻き付く形でぶら下がり、足を広げて大の字が逆さになったような形をとります。
その形ができた後は、別の人が下から支え担ぎ棒から降りていくのです。
不思議な行動ですが、これが鞍馬の成人の儀式となっています。
当然ながら、担ぎ棒の先端でぶら下がり逆さまになるなど、とても危険な行為です。
このチョッペンを任せることができるのは大人である証拠。
だから、チョッペンの儀は成人の儀式となっていったのでしょう。
これは階段を下りるときにだけ行われるものです。
チョッペンの儀に興味があるのなら、鞍馬寺の山門近くにいるようにするのがいいでしょう。
チョッペンの儀は不思議なものですが、実は理にかなっているのだとする文献もあります。
神輿が階段を下るとき、あまりに急角度だと危険です。
それを避けるためには、神輿の先端を持ち上げるのがいいでしょう。
だから、神輿の先端の担ぎ棒の下からぶら下がり、さらに別の人から支えてもらうことで安全を保っていたのだそうです。
いずれにせよ、男たちが神輿にぶら下がる様子は雄々しく見ごたえのあるものです。
鞍馬の火祭は火難よけに効果アリ
燃えさかる炎が印象的な鞍馬の火祭ですが、実は火難よけのご利益があるとされています。
すべてを燃え尽くしてしまう炎は、火祭として見ている分には神聖で見ごたえのあるものですが、火災という形でふりかかることは大変な悲劇です。
鞍馬の火祭で火難よけのご利益をしっかりと得てください。
由岐神社はほかにも安産・子宝のご利益があるとされています。
重要文化財にも指定されている狛犬は日本で唯一子を抱いている形をしています。
余裕があれば狛犬にも注目してみてください。
由岐神社の語源は武具にあった
御所の北を守るために建てられた由岐神社。
由岐の由来は、矢を納めておく武具のゆきです。
この地に遷宮された由岐明神は元来は疫神であり、天皇の病を治し世の平安を願う対象でした。
鞍馬の火祭に参加するときに注意すること
ストップ禁止!立ち止まれないところがある
歴史ある奇祭、鞍馬の火祭を見てみたい!
そう思ったのなら鞍馬の火祭の注意事項を知っておきましょう。
鞍馬の火祭はたくさんの人が狭い集落に集まるので、見るためにはルールがあるのです。
まず、集落内にはたくさんの警官が動員されています。
これはお祭りの混乱を防ぐため。
鞍馬の火祭の間はお祭りの掛け声とともに、警官の大声も聞こえてきます。
お祭りの基本的なルールとして、お祭りの最中は集落内での立ち止まりは禁止されています。
特に鞍馬寺の山門前では絶対に立ち止まってはいけません。
立ち止まることを許可してしまうと、鞍馬の集落は大変混雑になってしまうでしょう。
立ち止まりたい人と進みたい人がもみ合い、将棋倒しのようなことも起きてしまうかもしれません。
そういった危険を防ぐために、鞍馬の火祭は立ち止まりが禁止されているのです。
目の前に広がる火の景色に心を奪われて足を立ち止まってしまうと、あちこちにいる警官に注意されてしまいます。
鞍馬の火祭の見学は足を止めてはいけないことを頭に入れておき、歩きながらの見学を心掛けていきましょう。
また、足を止めてはならないだけではなく、自由に動き回ることはまずできないと思っておいた方がいいでしょう。
警官の誘導によって進むことになるので、自分の見たい順路で見ることはできません。
混雑を覚悟し、立ち止まって見ることはできないことを知っておいてください。
鞍馬の火祭では交通規制が行われる|歩行者も一方通行
鞍馬の火祭は混雑を防ぐため、交通規制や一方通行が行われます。
参加しようと思うのなら、そのことも知っておかなければなりません。
交通規制が始まるのは鞍馬の火祭当日の午後3時からです。
午後3時になると貴船口から鞍馬温泉を経て百井別れまでの区間では自転車を含む一般車両の通行が禁止になります。
この規制は午後3時から翌日の午前2時まで続くので、車で鞍馬の火祭に行くことは無理でしょう。
さらに、歩行者も鞍馬寺山門周辺の道路は一方通行となります。
鞍馬の火祭のルートは次の通りです。
鞍馬駅より山門前を経由し、鞍馬温泉方面へ向かう。
その途中で道路を外れ、沿道の民家の裏側を流れる川の対岸へ渡ったあと、南へ下って鞍馬駅へ。
これを逆方向に進むことは許されません。
鞍馬駅に到着したら、山門方向に進めば、正しい流れに乗ることができるでしょう。
逆流してしまわないように、歩行者のルートはチェックしておいてくださいね。
鞍馬の火祭は車両進入禁止
鞍馬の火祭に車で行こうと考えているのなら、それは止めておきましょう。
交通規制によって近くまで行くことは厳しいですし、鞍馬周辺には車が停められるような駐車場はありません。
乗り物を使って近くまで行くとしたら、唯一の手段は自転車となります。
自転車も通行禁止となりますが、鞍馬小学校付近までは通ることができます。
臨時の駐輪場が鞍馬小学校付近の貴船口に開設されるので、そこに自転車を停めて鞍馬の火祭に向かいましょう。
鞍馬の火祭は山にある集落で行われるお祭りです。
車の進入は絶対に禁止ですので覚えておいてください。
鞍馬の火祭に行くには叡電鞍馬線のみ
鞍馬の火祭では交通規制がされるため、鞍馬へと向かう手段は電車のみとなります。
鞍馬の火祭に参加するのなら、叡電鞍馬線を利用しましょう。
ただし、この叡電鞍馬線を普通の電車と同じように考えていてはいけません。
この路線は2両編成の山岳路線です。
だから、運べる人の数には限界があります。
鞍馬の火祭ではたくさんの人が来ることが分かっているため、増発はされますが2両で運ぶためかなりの待ち時間が発生します。
10月22日夕方、出町柳駅では鞍馬行きに乗りたい人で大混雑するのです。
そして乗車するまでにはかなりの待ち時間が発生してしまいます。
さらに、鞍馬集落は狭いので、鞍馬集落に収容できるであろう人数を超えた時点で鞍馬行きの乗車券は販売を停止します。
この電車に乗れなければ、この日鞍馬に行く手段はありませんから、確実に祭りに参加するためには早めに駅に向かうようにしましょう。
夜間、鞍馬から帰るための乗車も混雑するので、帰る時間には余裕を持って行動してください。
ちなみに2019年の鞍馬から出町柳へ向かう最終電車は0時1分発でした。
松明・太鼓・神輿には一切触ってはいけない
鞍馬の火祭では目の前を松明や太鼓や神輿が通りすぎます。
普段は見慣れないこれらのものを、つい触りたくなってしまうこともあるでしょう。
しかし、鞍馬の火祭では祭りに関するすべてのものは触れてはいけないという決まりがあります。
これは祭関係のものにはすべて神様が宿っていると考えられているからです。
松明・太鼓・神輿には関係者以外は一切触れてはいけないことになっているので、そのルールをきちんと守って参加するようにしましょう。
鞍馬の火祭には屋台がない|水分はあらかじめ自分で用意
お祭りといえば屋台が立ち並び、現地で飲み物も食べ物も手に入れられるというイメージがあるのではないでしょうか。
しかし、鞍馬の火祭はそのようなお祭りとは一線を画す祭りです。
屋台は出ておらず、もし途中で喉が渇いたとしても飲み物を買うところはありません。
鞍馬の火祭に行くなら、鞍馬入りの前に必ず水分を用意しておくようにしましょう。
季節は秋で涼しいですが、炎のお祭りだけあって沿道でもかなりの熱気を感じます。
予定外に喉が渇くことも十分に想定されるので、飲み物は必ず持っていきましょう。
鞍馬の火祭をもっと楽しむために知っておくべきトリビア
鞍馬寺の歴史
鞍馬寺の歴史は770年に始まります。
寺に伝わる話によると鑑真の高弟である鑑禎が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりだそうです。
二年後の宝亀三年、鑑禎はある夢を見ます。
それは予知夢のようなもので、北方に霊山があるというものでした。
その夢を確かめに行った鑑禎が見たのが鞍馬山だったのです。
この山で鑑禎は鬼に襲われますが間一髪助かり、そこには毘沙門天像があったのでこれを祀ることを決めたのです。
この話がどこまで真実なのかは分かりませんが、鞍馬寺が由緒正しい寺であることは間違いありません。
昔から霊験あらたかな場所であった鞍馬で行われる祭りだと知れば、鞍馬の火祭ももっと楽しめるようになるでしょう。
鞍馬寺に伝わる天狗伝説と源義経
鞍馬山は天狗で有名な場所です。
鞍馬駅に降り立つと巨大な天狗の像が出迎えてくれるのも印象的です。
源義経は子どもの頃、鞍馬寺に預けられていました。
鞍馬寺では学問や武芸にはげみ、義経は成長していきます。
ですが、源氏の生き残りである義経は、平家に疎まれ辛い思いをしていました。
そんな気持ちを話すことができたのが、山伏の格好をしていた天狗だったのです。
天狗は義経の理解者となり、義経に武芸や兵法を授けてくれたとされています。
これが鞍馬寺に伝わる天狗伝説です。
義経は天狗に教えてもらったことを活かし、神がかった強さで平家に勝ちついには平家を滅亡させることになりました。
天狗は実はお面をかぶった協力者だったとする説や、外国人であったのではないかとする説などさまざまなものがあります。
ただ、義経の強さを見ていると、義経が何らかの特別な修行をしていたことは明らか。
義経の桁違いの強さもあって、天狗伝説は信ぴょう性を増していったのでしょう。
この天狗伝説は能の演目にもなっており、「鞍馬天狗」という演目では天狗に剣術を習う義経の様子が描かれています。
鞍馬寺の毘沙門天は国宝|冬季以外は拝観可能
鞍馬寺には国宝である毘沙門天・吉祥天・善膩師童子立像があります。
毘沙門天を祀ったことが鞍馬寺の始まりですから、鞍馬に行くなら毘沙門天はチェックしたいものの一つです。
毘沙門天が既に祀られていたところに、またしても夢のお告げで観音も祀られるようになりました。
鞍馬は独自の宗派を築いており、鞍馬弘教という独立した宗派となっています。
本尊は毘沙門天・吉祥天・善膩師童子立像の三尊を合わせて尊天とされています。
鞍馬寺の毘沙門天は塔を持たず、棒状の武器を持っているのが特徴です。
左手は額に当てて、どこか遠くを眺めるようなポーズをしています。
毘沙門天は170㎝ほどで、吉祥天・善膩師童子は100㎝ほどのサイズです。
この3つを合わせて1つの国宝として指定されており、霊宝殿に移されています。
国宝の中には観覧不能のものもありますが、鞍馬寺のものは観覧することができます。
12月から2月の冬季だけは見ることができませんが、それ以外のときは休館日を除いて拝観が可能です。
鞍馬の火祭の時も月曜日でなければ、国宝を拝観することも可能でしょう。
9時から16時の間で拝観することができるので、早めに鞍馬に到着し鞍馬寺で国宝を見てから火祭に出かけるのもいいでしょう。
鞍馬という地域はかなりのパワースポットとして知られています。
せっかく鞍馬に行くのなら、火祭だけでなく他の貴重なものも見るようにしてみましょう。
由岐神社は鞍馬寺の鎮守社という位置づけ
鞍馬にはたくさんの見どころがあります。
鞍馬駅を出て左手に進むとすぐ目に入るのが、鞍馬寺の仁王門です。
この門を入り寺の内部へと進んでいくと、急な坂道が見えてきます。
ここからはケーブルカーを使うコースと、自分の足で歩くコースに分かれますがぜひ自分の足で行くことをおすすめします。
歩く途中では魔王が降り立ったとされる魔王の滝があり、10分ほどで由岐神社にたどりつくことができるでしょう。
由岐神社は鞍馬寺の鎮守社という位置づけになっており、都の平穏を守るため建立されました。
本殿は珍しい建築様式である割拝殿という方式になっており、国の重要文化財となっています。
そして、由岐神社には樹齢800年を超えるご神木が生えています。
願い事を叶えてくれるとされているので、ぜひ願いを託してみましょう。
さらに上ると鞍馬山の頂上には、鞍馬寺の本殿金堂があります。
火祭が始まるまでに、ぜひ山頂まで登って鞍馬寺を楽しんでおきましょう。
この他にも鞍馬山には義経が修行したとされる場所や、のどの渇きをいやした湧水などが残っています。
こうしたスポットを巡りパワーを高めておくことで、火祭もより楽しめるようになるでしょう。
占い師 小鳥のワンポイントアドバイ「鞍馬の火祭は地元に愛されている奇祭<」
鞍馬という山にある集落で行われるお祭りですが、多くの人が集まります。
そして、地元の人々は老いも若きもこの祭りに参加します。
火祭は始め子どもたちが持つ松明に点火することから始まるのです。
そして、子から大人へ松明の火は受け継がれ、それぞれの地域から大松明が集合します。
山が燃えるようだと表現されるほど火は集まり、神輿が出発します。
この神輿では地元の男性の成人の儀式も行われ、それはチョッペンと呼ばれる儀式です。
鞍馬に生まれた男性の一生に一度の成人の儀式で、成人を迎えた男性は神輿の先頭で担ぎ棒に逆さまにぶら下がり足を広げます。
不思議な儀式ですが、鞍馬の男性はこれができて一人前と認められます。
このように地元で愛され続けてきた奇祭である鞍馬の火祭は、鞍馬外の人々でも楽しむことが可能です。
ただし、鞍馬の火祭に参加するときは立ち止まってはいけない、触ってはいけないなどのルールを守った上で参加するようにしましょう。