田植えは日本で昔から行われていることです。今でも日本人の主食はお米ですが、昔は食べるだけではありませんでした。
昔はお米が税金の支払いに使われることもあり、生死を分けることもあったはずです。そんな大切なお米を育てるには絶対に失敗できません。
だからこそ、田植えを行う時に約半年後の収穫の際に少しでもたくさんお米を収穫することができるように願ったのでしょう。
そんな田植えにまつわる神事を紹介していきます。また、日本以外の国における田植えについても調べてみます。
目次
日本の田植え祭りの由来と意味|豊作を祈る祭り
田植え祭りとは?
田植え祭りとは、田んぼに稲を植えるときに豊作を願って行われる儀式です。昔は個別の田んぼでも行われていた行事だったのかもしれませんが今では違うでしょう。
現代では田んぼよりは、神社の中や神社が関連する田んぼで行うことが増えてきたので見かけることも少なくなってしまっていますよね。
特に現代では秋にたくさんのお米を収穫することができることを当たり前に思うようになったかもしれませんね。
確かに今は昔と違い科学も進み強い稲の品種が登場したり、天気が予測できるようになったので大きなトラブルやリスクを避けることができるようになったかもしれません。
なので、意外と田植えにおいては神頼みである傾向は弱くなっているかもしれませんね。
それだけ、人々が美味しいお米を安定的に収穫するために努力を続けてきたということでもあるのかもしれませんね。
そんな米作りですが今と違い、田植え祭りが盛んに行われていた時代は、強い品種があったわけでもありません。
さらに、天気予報がなかったことから天気で判断して対策を打つということは不可能でした。それこそ、ツバメが低く飛んでいるから明日は雨程度しか予測ができなかった時代です。
なので、秋のお米の収穫量も左右されてしまうこともザラでした。実際に育てていく上で収穫量が見えてくるという形だったのでずっとドキドキしていたことでしょう。
だからこそ、田植えをするときに舞を踊ったり神社で神事を行ったりと田んぼで豊作を願ってきたのです。
特に今はお米は食料として利用されていることが多いでしょう。でも、はるか昔の時代においてはお金と同じ価値を持つものでした。
今では税金というものはお金で納めることになっていますが、田植え祭りができた頃の時代は税金もお米で納めていたのです。
そう考えるとお米の収穫量が生きていくにおいてとても大切なものであったことがよくわかると思います。
生きるために食べないといけないし、税金も納めないといけません。現代人が少しでも多くのお金を稼ぎたいように昔の人は少しでも多くのお米を収穫したかったのかもしれませんね。
こん本的には、現代人が宝くじを買う時に神頼みをするのと形としてはそこまで変わらないことなのかもしれませんね。
そんな田植え祭りは日本全国で形に変化を付けながら行われてきました。基本的には、田んぼで行われる祭りだけでなく田植えの時期に行われるお祭りを田植え祭りと呼ぶそうです。
始まった当初の田植え祭り
田植え祭りも始めは何かを願って始めた儀式ではなかったようです。秋のお米の収穫の時期にたくさんのお米を刈り取りたいという願いはもう少し後から出てきた思いだったそうです。
実は、元々は田植えの辛い作業を楽しい物に変えるための知恵だったみたいです。今でも田植えは苦しいものですが昔は機械もなかったことから、さらに厳しいものだったのでしょう。
今でも田植えではありませんが、体力がない小学生の子供たちが遠出をすると歩くのが辛くなってきてその辛さを歌で紛らわすという光景がよく見られます。
それと同じく、苦しくて辛い田植えの作業を楽しく行う知恵として編み出された方法の1つだったみたいです。
古代の田植えでは田植えの作業の苦しさを紛らわすためにみんなで歌を歌いながら作業を行っていたのです。
その時に歌われていた歌が今では田植え歌と呼ばれています。歌を歌いながら田植えをするというのは第三者から見ると楽しそうにも見えてきますよね。
そんな風習が徐々に意味を持つようになり最終的には儀式となっていったのです。のちにお米をたくさん収穫したいという想いと結びつけられて田植え祭りになったとも言われていますよ。
その田植え歌や田遊びのバリエーションも奈良県周辺で多いと言われています。奈良県は、古代の頃に都があったことが大きく関係しているのかもしれません。
都があったことにより稲作が盛んに行われていたそうです。そして、奈良県だけでなく日本全国で田植え歌が歌われながら田植えが行われてきたのです。
田植え歌が広まるにつれて、徐々に田んぼそのものでなく違う場所で五穀豊穣を祈願して水田を模した場所などで祈願が行われたのですがその前儀として田遊びなどが行われます。
歌を歌うだけでなく、舞を踊ったりもするのです。儀式としては、そのように何かしらも芸術を表現するパターンと実際に田植えを実演するパターンの2種類となっています。
当初は、芸術を表現するパターンの方がよく行われていたようです。実際に田植えを行う方がわかりやすいと言えばそうかもしれません。
いつしか豊作祈願の神事に
田植え祭りも始まった当初は、民間の人によるジンクス的な要素が強かったようです。また、田植えの作業をより楽しく行うための工夫でもあったと言われています。
でも、徐々に五穀豊穣や方策を神様に祈願するための神事となっていきました。現代においても実施されている田植え祭りは神事の要素が強いものの方が多いです。
神社内で行われる田植祭もあり神事としての形が定着してきましたよね。でも、神に豊作を願うようになったことも自然なことなのかもしれません。
今でも人の力だけでどうにもならないことは神頼みすることも多いです。仕事などの勝負事では努力した上でさらに高みを目指すためや予期せぬトラブルを防ぐために祈願しますよね。
それらと同じく秋の米の収穫が少しでも増えるように神頼みを行っていたことが起源になっていると言えます。
田植え祭りの起源は、田んぼの神を祀って豊穣を願う農耕儀礼が元になっている祭礼と言われています。
歴史的には今でいう役人のような人が農業をすることを庶民に進めて行ったことが大きな要素となっています。
その勧められた農業の方法の真似や実施よって多くの地域に御田植祭も広まっていったと言われています。
そんな流れがあるので地域を代表する場所に伝わることが多かったみたいです。今でも流行りは、県庁所在地から広まっていったりもしますよね。
なので、御田植祭は地域で最も伝統がある神社やお寺の行事になっていることが多いですよ。どこの田植祭り農作業の工程を模倣したものが多いと言われています。
農作業の工程を芸術で表現していると言えばわかりやすいでしょう。実際に田植えを行う祭もありますが、芸術として田植えを表現する祭りの方が多いと言えます。
その田植え祭りでも日本三大田植え祭りというものがあります。その3つは、千葉県香取市の香取神社、三重県伊勢市の伊雑宮、大阪府大阪市の住江大社になっています。
その3つのお祭りに関しては後で紹介させて頂きます。
宮中祭祀の御田植祭とは?
恒例宮中行事にも田植えの行事がある!?
宮中祭祀は、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的に行う儀式となります。天皇にしかできない儀式ですね。
皇居宮中三殿で行われる祭祀には、2種類あります。1つ目は、天皇が自ら祭典を斎行し、御告文を奏上するものです。
それを大祭と呼びます。2つ目が、掌典と呼ばれる皇室祭祀に奉仕する者が祭典を行い、天皇が親拝するものがあります。
後者の方を小祭と呼んでいます。歴史の中で宮中祭祀が行われるのは病が流行ったり、戦が盛んになったりと国の状況があまり良くない時が多かった傾向にあります。
途中で神社から道具を借りることがあり、そこから宗教色が濃くなっていったのです。その後、日本は第二次世界大戦にて敗戦し日本国憲法下において宮中祭祀が行われるようになりました。
日本国憲法やその下の法律には、宮中祭祀についての規定がありません。基本的に現在の宮中祭祀は過去と違い皇室祭祀令に基づいて行われています。
また、宮中祭祀に必要な予算に関しても皇室の内廷費と呼ばれる天皇を含めた皇族の生活費に必要な費用から出されています。
になので、第二次世界大戦後の宮中祭祀を天皇が個人的に行っている儀式であると解釈する学者もいるくらいになっています。
その宮中祭祀の中に新嘗祭と呼ばれる儀式がありその儀式が今の皇室の中で最も重要な行事と言われています。
実はこの新嘗祭は日本の祝日にもなっている日に行われます。それは11月23日です。そうです、勤労感謝の日ですよね。
この新嘗祭は田植えに関係するというよりは収穫後にお礼を伝えるという意味を持つ儀式となっています。特に昭和天皇が熱心に行われていたと言われていますよ。
昭和天皇は、高齢を理由に祭祀を簡略化されましたが、晩年の1986年まで新嘗祭を行い続けたのです。
ちなみに、明治時代の改歴前は毎年旧暦の11月の第二の卯の日に行われていた儀式です。
宮中祭祀の田植え祭りは何をする
宮中祭祀の中にも田んぼに関係する儀式があります。その儀式のことを新嘗祭と呼びます。
これは天皇が取り仕切る儀式である大祭に位置する儀式となります。新嘗祭は、天皇がその年に収穫された作物を天神地祇に供えて感謝の奉告を行います。
その後に、自ら供えた物を神からの賜りものとして食べる儀式でもあるのです。新嘗祭の嘗という字は口で味わうという意味がありますが、食べ物を調えてもてなすという意味を持つ言葉が変化したという説があります。
また新穀を意味する贄という時から変化したという説もありますよ。いずれにしても農業が中心だった日本において非常に重要な儀式であったことは間違いないと言えます。
また、同じ日に全国の神社でも同じように新嘗祭が行われるのです。この新嘗祭の中でも天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭のことを大嘗祭と呼びます。
田植え祭りと言えば、田んぼに稲を植える頃の5月前後に行う儀式ですが、新嘗祭は収穫後に行う儀式となっています。
実は新嘗祭も前日の11月22日から始まっています。22日に鎮魂祭を行うことから始まります。
この鎮魂祭りは文字のままの意味を持ち、神々を鎮めるという意味と共に神と向き合う天皇の霊力を高めるという意味を持つ儀式となっています。
鎮魂祭は、宮中内にある綾綺殿で行われます。次にその年の新米であるお米を宮中にある神嘉殿に献上米として供えるのです。
収穫された新米や五穀を供えるのは神々に対する感謝の気持ちを表現するために毎年献上されます。
そのお供えされるものは、各都道府県から2軒ずつの農家を選び、献納します。次に天皇が感謝の言葉や祈りを天照大御神などの天や神々に捧げます。
その後、新嘗祭の準備にあたる儀式が始まります。その儀式では皇室の宮中祭祀担当が代拝を行うのです。
儀式の時に神様にお供えしたお供え物がどうなるのかも気になりますよね。神々にお供えしたものは神饌と呼ばれます。
神様にお供えしたものと同じ食材を使った食事を天皇が食べるのです。神様と食事を一緒にすることで神々をおもてなしすることになるそうです。
この食事は朝と晩の2回行われます。細かく見て行くとかなり細かい儀式ではありますよね。
田植え関係のお祭りと時期は少し違いますが五穀豊穣を願うという目的としては似ていますよね。
実際には新嘗祭では五穀豊穣を感謝する儀式なので少し違うかもしれません。だからこそ、5月に豊作を一方的に願うだけでなく、11月にその豊作に対してお礼を伝える儀式であると思えばわかりやすいのかもしれません。
神社でお願いをしても願いが叶ったらお礼参りをしに行きますよね。それと同じようなことであると思えばわかりやすいと言えるでしょう。
秋に行われる新嘗祭とは
新嘗祭は、収穫にまつわる儀式と言えます。5月に日本のあちこちで田植えを行うための儀式である田植え祭りと呼びます。
そして、新嘗祭は五穀豊穣に感謝するという意味あいの強い儀式でもあります。最近の天皇陛下で言うと昭和天皇が最も熱心に行われていた儀式でもあります。
ちなみに、五穀豊穣とは日本人が昔から食してきた5種の主要な穀物を指します。具体的には、米、麦、アワ、豆、キビをさします。
最近では食べられることが少なくなってきましたが、ミネラルが豊富で食物繊維が多いことから改めて食卓に取り入れてみようという動きもあります。
そんな五穀を収穫することができたことを感謝する日なのでしょう。今でこそ五穀を秋に収穫することは、もう流れ作業のようになってしまっているのかもしれません。
でも、新嘗祭や田植え祭りが始まった頃はそれさえも奇跡に近い出来事だったのです。そう考えるとお米は自然からの恵みであるということを実感することができますよね。
お祭りに参加することも大切ですが、まずは目の前のお米をしっかり無駄にせずに味わうということを意識してみましょう。
田植え祭りから生まれた文化&文化的価値
田楽
田植え祭りから生まれた文化の1つに田楽があります。田楽は平安時代頃に成立したと言われる日本の伝統芸能です。
田楽も元々は田植えを行う上で楽しみを見つけることから始まった遊びの1つだと言われています。
田植えの儀式の音楽と舞だったものが仏教や仏教音楽と結びついたのです。それから形が整えられることによって芸能として成立するようになりました。
今の田楽は田植えの時に踊られていた舞が洗練されていったものであると言われています。その後、専門的に田楽を踊る人たちが表れ田楽座となりました。
田楽座は地主たちと結びつき始め、神社での神事の演目にも取り入れられるようになったのです。
今では格式高い踊りとされる田楽も昔は田んぼで一般的に踊られていた踊りだと思うと不思議な気持ちになってきますよね。
田楽には他の舞とは少し違う特徴があります。びんざさらを用います。びんざさらは、竹や木の薄片数枚から百枚前後の上部を紐で束ねた楽器のことです。
現代も壬生の花田植えにおいては田楽が舞われています。現代の花田植えにおいても田楽を担っているのは田楽団です。
その田楽団は地域の人が参加しており、壬生田楽団と川東田楽団の2つの組織が歌や田植えを担っています。
団員たちも農業専従者ばかりではなく、ほかに仕事を持っている人も多いです。でも、1度入団すると引退するまでは団員なのです。
今では、新入団員時代に少し練習する程度となっています。
この田楽団が作られる前は腕に覚えのある人物があちこちの花田植えに自らの歌や踊りを披露しに出かけていったそうです。
現在は、踊り手の所作がぴったりと一致しておりそれが美しいと見どころにもなっています。田楽歌にて音頭を取るものはサンバイと呼ばれています。
そのサンバイとは、広島の壬生地方にて田んぼの神様と呼ばれている神様の名前です。なので、サンバイ役は田植えや田植え歌にとって欠かすことができない存在なのでしょう。
壬生の花田植え
広島県では壬生の花田植えと呼ばれる行事があります。その名前の通り、華やかな行事となっています。
このお祭りはユネスコ無形文化遺産にも指定されています。この田植え行事は今でも中国山地の北広島町壬生において行われている行事となっています。
毎年、同じ時期に田んぼに下りてくると言われていた田んぼの神様であるサンバイに豊穣祈願をして、歌と囃子を伴った大掛かりな田植の儀式となっています。
稲を植える早乙女たちが笛、太鼓、ささらなどのお囃子に合わせて田植唄を歌いながら一列に並んで稲を植えていくのです。
ここでいうお囃子は、のちに洗練されて田楽となり、猿楽や能にも発展していった芸術的なものです。
この壬生の花まつりは、神祭りと共同農作業の要素を現代に伝えてくれているものでもあります。
現在は、毎年6月の第一日曜に「壬生の花田植と無形文化財合同まつり」として開催されています。
壬生の花田植えが始まる頃に壬生神社で神事が行われます。以前は、関係者が個別に参拝していましたが最近はみんなで集まり御祓いを受けるという形になっています。
そして、花田植えに出演する牛が各家庭から神社に運ばれてきます。牛を飼う家族などが牛のブラッシングを行い、額の飾りや主綱をつけて首玉と呼ばれ装飾を顔周りに結びます。
牛の準備と並行に地元の小学校の子供たちによる子供田楽が演じられます。子供田楽は舞台で披露する演目だけを演じます。
そして、牛の準備が終わったら子供田楽、金管バンド、本自我さ踊りに続いて牛が田んぼに入り田んぼの代搔きを行います。
ここでは、均等に田んぼを代搔きをすることより儀式を優先して行います。牛が田んぼを耕した後にエブリという道具を使い人が田んぼを耕します。
その後、田楽団が歌を歌いながら田んぼに向かい、田に入ると苗取歌を歌いながら苗取りを行います。
現代では歌に合わせながら作業を行うと間に合わないので既に苗が並べられており、早乙女が動作だけを演じます。
そして田植えを行っていき、最後に田楽団が歌を歌います。田植えが終わると耕す時に使ったエブリを逆さに立てて三束の苗が置かれます。
これは田植えを見守っていた田んぼの神様であるサンバイの居場所になると言われていますよ。
昔は、半夏生や七夕になるとここからサンバイが移動すると言われていました。現代は昔ほどサンバイの存在は意識されていないようです。
現代では、花田植えの儀式に向けてお祭りがない時期は、田楽の練習やお祭りに登場する牛の手入れなどが行われています。
田遊び
田遊びは、田植えの様子を田んぼで実践するのでなく模擬的に田んぼやそうでない場所で演じ、豊作を祈願する行事となっています。
田遊びという字面を見ると田んぼで遊ぶことかな?と思ってしまいますよね。実際に行うということでなく、演じるということを遊びと表現したのかもしれません。
田植え祭りと違い、お正月頃に行われることが多い行事です。この田遊びという呼び方は東海地方で使用されていることが多くなっています。
ほかの地方では、御田、御田植祭、春鍬、などという呼び名があります。田遊びの内容も地方によって少しずつ違いがあります。
でも、流れはそこまで変わらず田んぼの種まきから刈取りまでの栽培の過程を演じることは共通しています。
研究者によると田遊びだけで日本各地に300程度の数の言い伝えがあるそうです。ほとんどの田遊びでは、牛や馬などの動物が田んぼを耕す場面があります。
人間が牛を演じて、田起こしや代掻きなどを行うのです。ほかに、牛の人形などを使用して演じることもあります。
地域によっては、代搔きをしている牛が暴れる展開や逆に牛をねぎらう展開などがありバリエーションも豊富となっています。
田遊びの牛は田んぼの神様に対してのお供え物であり、そのお供えを持ってして五穀豊穣を祈願したのではないか?という説が有力です。
その田遊びの中でも最も有名なのが東京の東京都板橋区徳丸本町の北野天神社と言われています。
今でこそ田んぼが少ない地域なので不思議な感覚がしますよね。この北野天神社では、旧正月に田遊びが行われます。
米作りの作業内容を唱える言葉と動きをを田んぼの神様に奉納します。そして、豊作を祈願するのです。
そして、国の重要無形文化財にも指定されているくらい伝統的な儀式なのです。また、古くから稲作が行われてきたと言われている奈良県の田植え祭りは田遊びがメインとなっているそうです。
日本三代御田植祭とは?
香取神社 千葉県香取市
御田植祭を行う神社の1つ目は、千葉県香取市にある香取神社です。この香取神社における御田植祭は日本三大御田植祭に入ります。
関東地方の神社として田植神社は香取神社が最も有名です。
香取神社の御田植祭では、ほかの田植え祭りと同じように五穀豊穣を祈ります。御田植祭は、地域の人たちからは、かとりまちとも呼ばれています。
日本三大御田植祭だけあり、600年以上もの歴史があるお祭りです。香取神社の御田植祭は2日にわたって行われる大きなお祭りです。
1日目は耕田式が行われます。主に田植え前の田んぼを耕すという意味にある儀式になってきます。
最初に神社の拝殿前で鎌、鍬、鋤、牛を使って田んぼを耕す風景を模した儀式を行うのです。そして、祭りが進むにつれて8人の児童による田舞や早乙女手代による植初め行事が行われ祭りの中心となっていきます。
2日目は田植式になります。香取神社の表参道を行列が進んでいきます。その行列は、神職が先頭を行きます。
その後ろに肩車され大華傘で覆われた稚児や田舞の女子など100名もの人々がついていきみんなで御神田へ向かうのです。
御神田では、早乙女手代が田植え歌を唄いながら苗を植えていきます。その風景は古き良き日本の田植えの風景です。
御田植祭では、昔ながらの日本の田植えの風景を眺めることができます。
伊雑宮 伊勢志摩
三重県伊勢市の伊雑宮でも田植え祭りが行われます。伊雑宮は、伊勢神宮の別神です。そこに伊雑宮が建立されたのは稲作に最も適していたからという説があります。
農家からだけでなく海女さんたちにも信仰されており、海に出る前にお守りを頂く習慣があるそうです。
そして、数多くの伊勢神宮の別宮の中でも宮内に田んぼがある神社は唯一らしいです。
田んぼに立てられた大忌竹を漁船に飾ると豊漁になると言われていました。
下帯1つになった漁師の人々が奪い合う竹取の神事があり、田がえぶりという田を耕す道具を使って慣らされた後に御田植となります。
1番から18番までの歌に合わせて早乙女が苗を植えていきます。御田植が終われば、最後に無事に終えることができた喜びをこめた歌を歌いながら伊雑宮に戻っていくのです。
住吉大社 大阪市
日本三大御田祭のうち1つは、大阪のお祭りです。大阪の住吉神社で行われ、「御田」と呼ばれています。
日程は、毎年6月14日で神社内の田んぼで行われます。田んぼの中央に設けられた舞台と
周囲のあぜ道で豊作を願う催しが繰り広げられます。
その様子は賑やかで楽しそうです。このお祭りの始まりは、1700年頃に神功皇后が住吉大社を創建した頃にさかのぼります。
五穀豊穣を祈願し、神社の田んぼを作って当時農業の技術が発展していた山口県から田植えを専門にしている人である植女を呼びよせて稲植えをさせたことが始まりとなっています。
それが今では御田植神事に引き継がれているのです。神事は神館で行う前儀として植女や稚児に祭に参加する許可を与える粉黛式や粉黛式などが行われるのです。
その次に本宮で五穀豊穣を祈願する本殿祭が行われます。本殿にお供えした早苗を8人の植女が受け取り、御田式場へ列を整えて向かうのです。
境内の南にある御田式場では、飾り鞍に草綿の増加を付けた牛が代搔きを行います。そして、植女が早苗を受け取って御田に苗を植えるのです。
中央舞台では御田植神事特有の田舞を8人の乙女が舞い、豊穣を祈願する水戸田代舞を御稔女が舞うのです。
舞台とあぜ道では歌に合わせて田植え踊りを行い、住吉踊りが踊られます。住吉踊りが終わる頃には広い御田の田植えも終わります。
植えた稲が風に揺れる様子は初夏らしくて美しいでしょう。
テレビでも有名に!タイの田植え祭
タイの田植え祭りの時期
タイは、日本と違いはっきりとした四季はありませんが田植えの時期は決まっています。地域によって少しずつ田植えの時期は違いますが日本と似たような時期に行われています。
タイの北部では6月前後に田植えを行い、10月頃に収穫するというサイクルになっています。
日本の田植えの時期が5月前後なのであまり違いがないとも言えますよね。また、同じタイでも東北部の方は北部より早めに田植えを始めます。
でも、一気に植えてしまうのでなく、徐々に植えることで収穫も徐々に行うという形で進めていくのです。
日本でいう二毛作が1番近い状態であると言えるでしょう。そして、タイの中央部では5月から6月に田植えを行い、11月~1月に収穫を行うというスタイルになっています。
なので、タイの田植え祭りも4月下旬から5月上旬に行われる場合が多いです。今の日本では神社など以外では田植え祭は行いませんよね。
ただ田んぼに稲を植える時は何も行わずに飢えていくことの方が多いかもしれません。
けど、タイでは広く行われているお祭りなのです。タイでは個別の田んぼにおいて田植え祭りが行われています。
内容も日本より儀式的な要素も強そうです。
農耕祭の1種
タイの田植え行事は比較的中国南部の田植え行事と似ているそうです。まず、豊作祈願の行事から始まります。
家の主人が田んぼの中に盛り土をして小さな家を建てて、供物をあげます。そして、呪文を唱えながら田植えを行うのです。
タイでは田植えだけでなく、いまだ直播も多いタイ北部でも田植えに先立ってヘークナーという行事が行われています。
家の主人が地母神に供物をささげて、特定の田んぼの東北隅に稲苗を3株ずる3列に植えます。
また、タイ北部のナーン県ラディン千穂では田植えに先立って最初の田植えと呼ばれる行事があります。
1平方メートルくらいの神聖な田んぼに小さな祠を立てて、稲の女神に供物をささげるのです。そして、呪文を唱えながら田植えを行います。
9本の稲苗を3列に植えて、最後に邪悪なものから守るために竹で編んだタレオという像を四隅にたてます。
この田んぼで収穫した稲は収穫後に感謝する最初の脱穀と呼ばれる行事で稲の女神に備えます。
ほかにも一部だけ翌年の最初の田植えの儀式で植えられるのです。タイの田植えは日本の田植えと比べると宗教的な部分が多いですね。
ロケット祭り
ロケット祭りと呼ばれる田植え祭りがタイには存在します。タイの中でも東北地方の昔ながらのイベントです。
タイ語でロケット祭りを意味するブン・バンファイという名前になっています。はタイの東北弁で「空へ打ち放す砲撃能力が充てんされた竹」という意味があるのです。
そして、豊作を願うだけでなく少し占い的な要素も秘めているお祭りになっています。その儀式で使われる手作りバンファイは田植え祭りよりもほかの場所で使われることが多いです。
手作りバンファイは、主に得度式で使われることが多いです。得度は日本でいうと出家するという意味になります。
日本においてもお坊さんになる人は得度をするので感覚としては似たようなものがあるのかもしれませんね。
そんなアイテムを田植えに関するお祭りで使用するのも仏教の国らしいですよね。そんな、ロケット祭りは毎年5月頃に行われます。
儀式的な意味としては、豊作を願うだけではありません。実は、このロケット祭りは雨ごいの儀式でもあります。
お米を育てるには雨が大切ですよね。だからこそ、十分な雨を得るために雨乞いの儀式を行うのです。
ロケット祭りだけあり、毎年50~60本のロケットが空に放たれます。空にたくさんのロケットが上がる様子は迫力もあるでしょう。
そして、そのロケットの上がり方で秋の収穫を占うことができると言われています。ロケットが空高く上がれば、雨に恵まれ五穀豊穣の年になると言われていますよ。
ロケットの飛び方で秋の収穫を占えるとなるとなかなか熱も入りますよね。
占い師秋桜のワンポイントアドバイス「田植え祭りは豊作祈願祭!全国各地でも開催」
でも、それでもお米は日本人に根強い人気があるわ。だって、日本人のソウルフードだもんね。ご飯のお供っていう言葉があるのも日本くらいじゃないのかしら?
そのお米が日本人のソウルフードになるまでには色々なことがあったみたいよ。お米を作るには田植えをすることから始めないといけないわよね。
その田植えも単純に植えるだけでなく田植え祭りという五穀豊穣を祈願する儀式だったのよ。今でも行われている場所は行われているわ。
でも、お米作りにおいて今でも残るような儀式やお祭りがあるってことはそれだけ日本人がお米を愛しているということでもあると思うわよ。
ほかにも新嘗祭、田遊びなどお米に関する儀式がたくさんあるわ。そのお米に関する儀式を学んで再びお米の大切さを感じ取ると良いと思うわよ。
お米に関する儀式を知ることによって少しお米に対する見方も変わってきたんじゃない?お米の美味しさをさらに噛みしめると良いわよ。
お米を作る作業が大変であることを知れば知るほどに美味しさも増すと思うわ。