青森の夏の風物詩と言えば、ねぶた祭りです。日本全国の人が知っている日本を代表するお祭りであるとも言えます。
ねぶた祭は、大きなねぶたが華やかでにぎやかなお祭りですよね。祭当日はもちろん、祭りの日までに作成するねぶたについても気になる人が多いはずです。
そもそも、ねぶたなのかねぷたなのか?というところが気になっている人もいるでしょう。そんなねぶた祭について見て行きましょう。
目次
青森のねぶた祭りと全国のねぶた祭
ねぶた祭は大型ねぶたに注目
青森のねぶた祭は、俗にいう眠り流しと呼ばれる七夕行事となっています。眠り流しというのは、この季節に農作業中に襲ってくる眠気を追い払うという意味があります。
農作業中に襲ってくる睡魔は秋の収穫を控えた大事な時期では大敵となります。居眠りしてしまうと事故にもつながってしまいますよね。
その眠りを人形などの形代にゆだねて祓い流す習慣が眠り流しなのです。とにかく、起源は厄払いという意味あいが強いでしょう。
その眠り流しの習慣が各地に伝わり、夏のお祭りとして発展しています。
ねぶた祭と言えば、大きな灯篭と共に街を練り歩くお祭りです。青森でのねぶた祭りを「ねぶた」と呼び青森の中でも弘前で行われるねぶたを「ねぷた」と呼ぶみたいです。
どちらも1980年に重要無形文化財に指定されています。青森ねぶた祭は凱旋のねぶたで華々しい雰囲気を持っています。
弘前のねぷたは、出陣のねぷたで勇壮とされているという違いがあります。
灯篭は、坂上田村麻呂が蝦夷征伐に際して、敵を呼び寄せるために作ったことが始まりと言われています。
灯篭は、竹、木、針金などで作った骨組みに和紙を張ったもので武者人形などをかたどった人形ねぶた、金魚の形をした金魚ねぶた、扇形の扇ねぶたなどがあります。
デザインも様々なので、見るのも楽しいはずです。弘前のねぷた祭では青森と違い扇形のねぶたがメインとなっています。
日本一有名な青森ねぶた祭は8月2日~7日
日本一有名な青森ねぶた祭は、8月2日~7日の期間に開催されるお祭りです。ねぶた祭と言えば、青森のねぶた祭りを思い浮かべる人が多いはずです。
青森ねぶた祭は、前述の通り眠り流しの行事と言われています。中国から日本に入ってきたと言われている七夕と津軽に昔からあった精霊送りなどの習慣が組み合わさったものだと言われています。
そのうち、紙と竹やローソクによって灯籠となった後にねぶたができたと考えられています。
ねぶた祭が始まった頃は、七夕祭らしいお祭りだったと言われています。その時点で既にねぶたと呼ばれている灯篭を海や川に流してケガレを祓っていたと言われています。
今は、川の上を流すのでなく道を練り歩くようになっています。
仙台の七夕祭りは8月6日~8月8日
仙台の七夕祭も眠り流しのお祭りの1つです。七夕と言えば、7月7日をイメージしている人の方が多いと思います。
でも、仙台の七夕祭りは旧暦の7月7日に行うので現代では8月7日に行います。その8月7日の2日前から3日間をかけて行います。
一般的に七夕と言えば笹を飾る地域が多いでしょう。でも、こちらの仙台七夕祭では、竹を飾るのです。
その竹のことを七夕竹と呼んでいます。その七夕竹に、5色の短冊を吊るします。その短冊には歌や願い事などを書きます。
最近では眠り流しや七夕のお祭りというだけでなく、商店街を盛り上げるイベントの1つとしても盛り上がっています。
今では、日本各地から人が訪れるくらいの大きなイベントになっています。その仙台七夕祭の中で1番の見せ場と言われているのが豪華な飾りです。
その飾りは商店街に入っている店舗の人たちが自ら作るものです。準備は8月に入ってから始まり、4日の早朝に竹を切り出してきます。
そして、小枝を取ってから加工を始めるのです。商店街の人たちの手作りの飾りですが
一本の価格は数十万~数百万円と高額です。
そして、この飾りはコンテストも行っています。そういったこともあり、当日までどのような飾りを飾るか秘密になっているのでワクワク感も高まるでしょう。
コンテストは商店街毎に審査が行われます。美しさなどを競い結果は、、8月6日の午後に発表されるのです。
その後の1日は賞の名前が添えられます。大きくて美しい七夕飾りですが雨が降ってしまったら台無しですよね。
雨の対策に関しても商店街の人たちが自力で行います。飾りにビニール袋をかけて雨から守るのです。
仙台の七夕祭は華やかなイメージしかないお祭りかもしれません。でも、実際は地域の人たちの手がたくさんかかっているお祭りなのです。
弘前の五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぶた)祭は8月1日~8月7日
五所川原立佞武多祭りは、青森県五所川原市で行われる祭です。青森のねぶた、弘前のねぷたと並ぶ青森三大佞武多の1つです。
実は、一度途絶えてしまったお祭りなのですが約80年ぶりに平成10年に入ってから復活しました。
8月4日から8月8日に開催される祭りです。五所川原立佞武多の魅力は、大きな山車の運行です。
その山車の高さは最大で20mもの大きさになります。重さは約19トンです。そんな大きな山車を「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」の掛け声で練り歩きます。
その練り歩く様子は迫力があり眺めている観客のことを楽しませています。総勢15台ものねぶたを運行します。
15台のうちに3台は立佞武多の館に展示している大型のものです。残りのねぶたが町内、学校、愛好会などが作る小型や中型のねぶたです。
秋田の秋田竿燈(かんとう)まつりは8月3日~8月6日
秋田県秋田市では、8月3日~8月6日にかけて秋田竿灯まつりが行われています。この竿灯祭もねぶた祭りと同じく、眠り流しの行事の1つです。
稲穂のような形をしている竿灯の形から五穀豊穣を願う行事という説もあります。9段にもなる竿灯は10mあまりにもなる竹竿に9本の横竹を渡し46個の提灯を吊り下げたものです。
場合によっては、提灯の数が48個になることもあります。これを法被に鉢巻をまいた姿の若者たちが、額、肩、腰、手、指などで支えながら練り歩きます。
笛や太鼓のことに合わせて囃子言葉を掛け合いながら町を練り歩きます。その様子は職人技としか言えない技術によって成り立っています。
ねぶた祭りの由来や意味を知ろう
ねぶた祭りは七夕の灯篭流しを変形させた儀式
ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形だと言われています。でも、実際ははっきりとはしていないそうです。
七夕が中国から日本に入ってくる前から青森では精霊流しの習慣はあったと言われています。
なので、時期が同じくらいに行われていたということもあり中国から入ってきた七夕と青森お精霊流しの文化が組み合わさったと言われているのです。
青森は、恐山もあり昔から霊などを強く信じてきた土地ということもあり、精霊流しの文化があったのかもしれません。
当時から道をねぶたと呼ばれるものを引いて歩いていたそうです。まだ精霊流しの重きが強く、紙と竹、ローソクで作った灯籠と共にねぶたを川や海に流していたと言われています。
それによって、ケガレを流し無病息災を願っていたと言われていますよ。その儀式をねぶた流しと呼ばれ、今の青森ねぶたの海上運行の元になっているそうです。
そんなねぶたの形も徐々に変化していきます。そのねぶたの形が変化して今の人形や扇の形のねぶたになったそうです。初期のねぶたの形態は「七夕祭」であったのでしょう。
ねぶた祭りは厄除けの意味を持つ
ねぶた祭には、ケガレを祓うという厄除けの意味があります。当初は、眠り流しという眠りによる災いを祓うための儀式だったみたいです。
今でもそうですが昔から眠ってはいけない場面で眠ってしまうというのは良くないことでした。
事故やミスを誘発してしまいますよね。それによってのトラブルを防ぐために眠りを祓うことから始まった行事と言われています。
そこから、1年の厄を追い払うという意味のある厄除けの行事だったのです。花火大会が目で楽しむ祭というだけでなく、死者の慰霊という意味も持つのと同じなのかもしれませんね。
青森県では、このねぶた祭りは盛り上がるお祭りだけでなく1年の厄を祓うという意味があるお祭りなのです。このねぶた祭が過ぎると徐々に季節が秋へと入っていきます。
担ぎねぶたから大型ねぶたへ変化
明治時代から昭和の初め頃までは今の大型ねぶたでなく、担ぎねぶたの方が主流でした。今のような大型ねぶたが一般的になったのは戦後からです。
現在の大型ねぶたと呼ばれるものは台車に乗せて動かしています。でも、昔のねぶたは人が担ぐものが主流となっていました。
今でも子供が作るねぶたは担ぎねぶたが多いですが、大型ねぶたと比べると小さいものが多いですよね。
実は、明治時代は高さが20mくらいあるねぶたを担いで動かしていたそうです。さすがに20mもの大型ねぶたは数人で運べる訳もなく100人くらいの人が関わったと言われています。
この時代は、どんな大きなねぶたでも担いで動かしていたと言われています。当時も小さなねぶたもあり、そちらに関しては1人や4人などの少人数で担いでいました。
少人数で担ぐねぶたは大型ねぶたと構造も少し違っています。一人で担ぐ一人担ぎの方は、中心に棒が通っており、その心棒には肩当てを付けます。
これを肩にのせて担ぐのです。四人担ぎの方は、四隅には竹の棒がついている構造になっています。
それを4人もの人が支えて担ぐのです。四人担ぎは、高欄の最下部に丸太を渡します。そして、その丸太を担ぐのです。
ねぶたを下に下ろす時は倒れぬようにする飛鳥がありました。そのため倒れないようにねぶたに脚を付けていたと言われています。
当時のねぶたの骨組みには竹を使っていたと言われています。現代のねぶたでは針金を使っていますよね。
比べてみるとわかりますが、竹は針金よりも太く思い素材です。だから、今のねぶたよりも重いものだったと思われます。
当時のねぶたを担ぐには体力がないと務まらなかったのです。昭和初期は、明治時代と違い一人担ぎの方が多かったそうです。
大型のねぶたが少なくなり、現代のように台車で動かすタイプが増えてきました。もちろん、子供や商店街などの小規模な場所では小型ねぶたが変わらず使われています。
実は、ねぶたをのせる台車の材質も昔と現代では違います。当時のタイヤは木製の車だったそうです。
戦後には、担ぎねぶたがほとんどなくなり台車にのせるタイプのねぶたの方が多くなりました。
現代は、時代の移り変わりとともに担ぎねぶただけでなく灯篭の灯りの種類も火から電気へと移り変わっています。
今では電球に灯りを灯すために発電機も載せているため、さらに重くなってしまっています。
ねぶたが大きく華やかになっていくにつれて、あかりをつけるための道具も重くなり大型ねぶたじゃないと動かすことができなくなっていったのです。
そういった理由もあり一時は担ぎねぶたが全て消えてしまっていた時代もあったそうです。でも、明治時代から続いてきた伝統を復活させようという動きがありました。
その動きによって現代でも担ぎねぶたが残っているのです。現代でも子供たちや地域の方が作るねぶたは担ぎねぶたとなっています。
大型ねぶたは華やかでダイナミックですが、担ぎねぶたも趣があって良いと言えるでしょう。
担ぎねぶたは、どちらかというと人の手で押すという形が近いでしょう。そして、昭和55年に国の重要無形民俗文化財にも指定されたのです。
重要無形民俗文化財に認定
青森のねぶた祭りは、重要無形民俗文化財に指定されています。それは、青森を代表する青森ねぶた祭だけでなく弘前のねぷた祭も同じです。
青森ねぶたは、青森市と共に成長してきた伝統ある文化です。このお祭りに誇りを持っている青森市の人も多いでしょう。
ねぶた祭も他の文化や行事と同じく色々なトラブルにも遭ってきました。災害や戦争などで傷ついた心の傷を埋め励ましてくれたのもねぶたでしょう。
この青森ねぶた祭りは青森市の象徴とも言える存在なのです。
自らがねぶた祭を楽しみ、ある時は救われるというだけでなく、ねぶたを通して文化を発信していきたいということから世界や日本に向けても様々な働きかけをしてきました。
このような経緯が国に認められて、青森市の青森ねぶた祭の日本の伝統的な文化であると認められたのです。
今では日本だけでなく、世界に対しても誇るべきお祭りとなっています。
青森のねぶた祭りのスケジュール
子どもねぶたを見るなら8月2日~8月3日
子供ねぶたをメインとした担ぎねぶたを運行する日程は祭の最初の2日間となります。いまでは、担ぎねぶたはこのタイミングでしか見ることができなくなりました。
この時の子供ねぶたのデザインは伝統的なものだけではありません。流行りのキャラクターから伝統的な人形まで色々なものを眺めることができます。
その中にはかなり本格的なものもあるので眺めているだけでも楽しめるでしょう。子どもねぶたのスタート地点は、国道4号線です。そして、観光通りの近くから国道7号線あたりに待機している子供ねぶたもあります。
待機している子供ねぶたの方は、JR青森駅前を通って、新町通りから平和公園通りへと行きます。
可愛い子どもねぶたや大人に混ざってねぶたを引くことども達の姿を楽しむことができます。
両日とも運行する時間は夜です。夜の19時10分から21時にかけて青森の市街地を練り歩きます。
大型ねぶたは8月2日~8月7日
大型ねぶたに関しては、ねぶた祭の期間の最中はずっと見かけることができるねぶたになります。
大型ねぶたは、前述した通り台車でしか動かすことができない大きなねぶたのことを指します。
具体的には、高さが5m、幅が9m、奥行きが7mにもなります。想像するだけで大きいことがわかりますよね。
そのねぶたは作る作業も手が込んでいます。ねぶたは製作にも3か月もの時間がかかるのです。
大型ねぶたが通るルートは毎日同じとなっています。全ての日程で新町通りからのスタートとなります。
そして、平和公園通りを抜けて国道4号線からJR青森駅前へ向かいます。子供ねぶたと反対ルートですね。
時間にしては子供ねぶたと同じく約2時間となっています。8月6日は、ねぶた大賞などの各賞を発表する場にもなります。
最初、子供ねぶたと一緒に見ることができたねぶたは2日間だけです。4日になると違うねぶたが登場するのでバリエーションを楽しむこともできるでしょう。
大型ねぶたが運行する時間は、毎日一定ではないので注意しましょう。最初の4日間は夜の19時10分から21時までです。
最終日は、昼間からねぶたが運行する様子を眺めることができます。13時から15時までの昼の間、ねぶたを見ることができます。
この日の夜に関しては賞を受賞したねぶたが順番に青森港へ進んでいきます。大型ねぶたは、華やかでデザインが凝ったものも多いです。
ねぶたに欠かせないお囃子やハネト
青森ねぶた祭のハネトとは、ねぶた祭で踊る人のことを指します。漢字では跳人と書くそうです。
跳ねる人という漢字を見ると楽しそうな雰囲気を感じますよね。だけど、日本のほかのお祭りで聞くことはない言葉かもしれません。
青森の人以外にはなじみがないかもしれませんね。実は、ハネトは観光客を含めて志願すれば誰でも楽しむことができるのです。
だからと言って、祭にとってどうでも良い役割という訳ではありません。ハネトは青森ねぶた祭りを盛り上げるために必要な人材です。
ハネトは、祭の時に他の山車や囃子と一緒に練り歩きながら踊ります。
その踊り方も特徴があります。実は跳人という名前の通り、飛び跳ねながら踊るのです。片足で2回跳ねるのを繰り返していくのです。
この踊りは足に負担がかかってしまうので、足腰が強いということが条件になります。アキレス腱などにも負担がかかりがちになるので準備体操はしっかり行ってください。
そして、ハネトには掛け声もあります。「ラッセラー」という掛け声と共に踊るのです。アハネトもねぶたのように賞があるので、賞を目指して頑張ってみるのも良いでしょう。
ハネトはねぶた1台に対して500人から2000人もの人が参加します。なので、お祭りの期間の延べ数の参加者は9万人にもなると言われていますよ。
お囃子の方は、音に意味があるのでねぶたに参加している人はみんなじっくり聞いています。
音が動き方の指示になっているのです。音で祭の全てを動かすと思うとすごいですよね。
海上運航ねぶたを見るなら8月7日
青森ねぶた祭の最後のイベントが海上運行です。こちらは最終日である8月7日の夜に行われます。
場所は名前の通り海なので青森港となっています。大型ねぶたを海に浮かべるのです。夜の海に灯るねぶたは美しいでしょう。
これは、元々青森にあった習慣の1つである精霊流しの名残であるとも言われています。海に流すということでケガレを祓うのです。
最終的にはねぶたの後ろの方の海で花火を打ち上げます。花火とねぶたの組み合わせを楽しむこともできます。
どちらも楽しい夏の風物詩ですよね。最終日は、それまでと違う雰囲気のねぶたを見ることができ、新たな楽しみ方となるはずです。
海、花火、ねぶたの組み合わせはすごく幻想的です。
クライマックスは8月7日!
8月7日のねぶた祭の最後は、青森花火大会が行われます。海から約11,000発もの花火を打ち上げます。
この花火が青森の夏の風物詩であるねぶた祭りをさらに華やかに彩ってくれるのです。花火の見せ場は、最後の大型スターマインです。
スターマインとは、小さめの打ち上げ花火を連発して打ち上げるという技法です。なので、花火が小さくても迫力を感じ取ることができます。
花火と海に浮かぶねぶたの組み合わせは幻想的で青森の夏の終わりを告げます。夏の終わりの空気がどことなく儚さを感じてしまいますよね。
山車以外にも楽しめる青森ねぶたの魅力
大型ねぶたは絢爛豪華!
青森ねぶた祭のメインは、やっぱり大型のねぶたです。ねぶたは、その製作にもかなり時間がかかっています。
専門のねぶた師によって約1年物期間がかかっている場合もあるのです。ねぶたを作るときは、どのようなねぶたを作るか?というところから始まります。
通常、ねぶたは伝説や歴史の人物や神仏などからチョイスされることが多いです。昭和の中頃までは歌舞伎や三国志などが人気だったと言われています。
最近は、バリエーションも豊富になっており地元の偉人や大河ドラマなどを題材としたねぶたが作られることが多くなってきました。
子供ねぶたの場合は、アニメキャラクターが選ばれることも多いです。ねぶたのデザインを決めて設計図が出来上がると、次は小屋を建てます。
ねぶたを収納する場所を1番先に建てるのです。同時にねぶたを作る場所でもあり、間口と奥行き共に12m程度、高さが7m程度と大きな小屋です。
最初に顔、足、手、やり、刀などを針金で作っておきます。角材で支柱を作り、針金や糸で紙を貼ることができる形を作ります。
現代では次に専門の電気屋さんが配線を作り、ねぶたの内側に1,000個以上にもなる照明を付けます。
電気の電源は、ねぶたに発電機を積むことでまかないます。昭和の頃は、ろうそくを載せていたそうです。
次は、いよいよのりや接着剤で紙を貼っていきます。実は、この作業が最も難しい作業であると言われているのです。
この時点で既にねぶたらしい風貌になっているはずです。紙を貼り終えたら次に墨で形を取ります。
部位によって、筆の使い方を変えて迫力を出していきます。次にろうを塗っていきます。表現力を高めるだけでなく、にじみなどを防ぐ効果もあります。
そして、色を付けます。筆を使って色付けを行う部分もあればスプレーで大胆に行う箇所もあります。
最後に50人くらいの人でねぶたを高さ2mになる台にのせると完成です。ねぶたを作るには、かなりの技術が必要です。
そんな青森ねぶたは、昔は町内会等で器用な人が集まって作っていたそうです。簡単に言えば手芸が好きな素人がやっていたということですね。
当時は、ねぶたで食べていくということもできずにねぶたを作っていた人は仕事よりもねぶたを優先していた人もいました。
傍から見ると道楽でしかなかったことから、ねぶたを作っていた人をねぶたを作るという意味の「ねぷたこへ」と呼んでいたそうです。
その後、徐々にねぶたのレベルが上がっていくにつれて作り手が固定化されていきねぶた師と呼ばれる存在が出てきました。
そのねぶた師の中でも特別素晴らしい技術を持っている人を「ねぶた名人」に推奨するようになったそうです。
現在はのべ6人のねぶた名人がいるそうです。内訳は戦後から平成初期までで4人、平成24年にさらに2人です。
お囃子もねぶた祭の醍醐味
青森ねぶた祭のお囃子には号令のような意味があります。お囃子の音によって、進行、戻り、大休止、小休止、集合、小屋入れ、小屋出しなど数種類にもなります。
大勢の人を言葉なしで統率するにはもってこいの手段かもしれませんね。大きな声で指示を出すよりは粋な演出でもあると言えます。
楽器は笛、太鼓、手振り鉦の3種になります。笛は力が要らないということもあり女性や子供などが奏でている場合も多いです。
笛をマスターし深みがある美しい音色を奏でるようになるには3年近くの修業が必要だとも言われています。
ねぶた祭の太鼓は締め太鼓を使用します。力強い音と同じく、音を奏でるためには強い力が必要だと言われています。
なので、ほかの楽器に比べて力がある男性が担当することも多いでしょう。天候によっても音の出方が変わってくるので技能も必要となります。
手振り鉦はジャガラギやテビラガネという別名もあります。この手振り鉦、太鼓、笛の3種の楽器が全て揃うことでねぶた囃子になります。
手振り鉦も力が必要ないので女性や子供が演奏することが多いです。シャンと鳴り響く鉦は粋そのものです。
ハネトは当日参加でもOK
ねぶた祭りのハネトは誰でも参加することができます。さらには、当日にハネトをやってみたいと思ってからでも参加できるくらい基準が緩いです。
ハネトはどこかに所属する必要もありません。衣装を揃えて、運行しようとしているねぶたの集団に30分前までに加わるだけなので参加も簡単です。
そうなると、衣装はどこで買えるのか?ということが気になってきますよね。衣装は、買取だけでなくレンタルもあるので安心してください。
ハネトの正装は、花笠、たすき、おこし、しごき、足袋、草履です。テレビなどのメディアで見かけたことがある人も多いと思います。
準備物が多くて面倒ですよね。だけど、ねぶた祭りのシーズンは、青森駅周辺のお店で簡単に見つけることができます。
さらには、全部揃えても1万円くらいなので夏祭りに出かけるために浴衣を用意する方が割高であるとも言えますね。
場所は、百貨店や洋服のお店など見つけることができます。ちなみにレンタルの場合は、約半額の4千円程度です。
ただ衣装の着方は単純とは言えないので浴衣のように着付けを利用した方が無難だと思います。
レンタルをする場合は、同時に着付けサービスの案内もあると思います。ねぶた祭の当日は鈴をたくさんつけて参加するという習慣があります。
そのハネトが落とした鈴のことを「幸運の鈴」と呼んでラッキーアイテムとなっているのです。
鈴は落とすことを前提として用意しておくと良いと思います。ハネトとして参加をするときは、きちんとした着こなしを意識してみてください。
地元の不良などが着崩して参加することもあり、着崩した人は嫌われがちになってしまいます。
あとは、スタッフの指示をきちんと聞き常識的なふるまいを意識すれば大丈夫です。参加するときは最初から最後まで体調不良などの理由がない限りは必ず参加してください。
最後にハネトの踊り方についても紹介しておきます。前述した通り、ハネトは飛び跳ねながら踊ります。
動画でも紹介しておくので、ハネトとしてねぶた祭に参加するときは事前に確認しておきましょう。
同時開催の花火大会
ねぶた祭のフィナーレのイベントとして花火大会も同時に開催されます。青森花火大会は8月7日の19時15分から21時までです。
花火の打ち上げ数は約1万発となっています。海の上に浮かんでいるねぶたと花火の組み合わせは美しいでしょう。
花火は、青森港の堤埠頭の近くから見ることができます。また、メモリアルシップ八甲田丸近辺でも見ることができるでしょう。
ただし、観覧席設置場所や危険区域などの入ることができない場所もあるので注意しましょう。
花火大会は有料の座席もあります。観覧席の購入は、7月上旬ごろから東奥日報社で可能になります。
チェックしてみてください。ただ、観覧席は全席指定ですがパイプ椅子です。
日本三大祭り|青森のねぶた祭の山車を知りたいなら
ねぶた祭当日
ねぶた見たいのであれば最も良いタイミングは、ねぶた祭です。本番のねぶたは、祭りの前に置いてあるねぶたよりも大きく見えるかもしれません。
当日は、夜の闇に浮かび上がるねぶたの様子が美しいでしょう。人々の熱気がさらにねぶたを熱く盛り上げてくれています。
掛け声やお囃子の音も祭り気分を盛り上げてくれるでしょう。最近では絵柄のバリエーションも増えていることから毎年見る楽しさもあるでしょう。
まずは、当日にねぶた祭を見に行くことを考えてみましょう。
ねぶたの家 ワ・ラッセ
青森市にはねぶた祭の博物館があります。こちらの内部にも原寸大のねぶたが展示されています。
展示されているねぶたの種類も4種類です。
天候や時期などに左右されないので自分の都合に合わせて見に行くことができるのもメリットです。
お祭りは時間や日程が決まっているのでピンポイントで予定を合わさないといけない上にみんなが参加するので宿泊費などもかさんでしまいます。
また、ねぶたの歴史に触れることもできるので学びという点でも良い場所だと思います。入館料は大人620円となっています。
山車の制作現場が見られる!ねぶたラッセランド
ねぶたを作る製作過程を見ることができる場所があります。その場所がねぶたラッセランドです。
毎年、ねぶた祭の前の春から夏に大型ねぶた22台の制作小屋が建てられます。そして、無料のガイドもあるのでねぶた祭について学ぶこともできます。
害とは無料ですが、起源や由来を説明してくれます。また、ねぶた自体のことだけでなく、祭の仕組みなどについての話を聞くこともできます。
海沿いなので観光のついでに立ち寄ってみると気持ち良いと思いますよ。ただ、12時から1時間は製作者の休憩なので見ることができません。
また、ガイドは事前に予約することができるので電話を使って、あらかじめ予約を行っておくとスムーズです。
やっぱり自分でもねぶたを作りたい
ねぶたを眺めていたら、自分も作ってみたいと感じ始めたかもしれないです。さすがに大型ねぶたを作ることはできませんが小さなねぶたであれば作ることも可能です。
ねぶたの紙貼り体験をすることができます。こちらでの題材は青森を代表する名物であるりんごのデザインのねぶたを作ります。
りんごを縁起物のだるまにした「だるまりんごねぶた」を作ります。リンク先の体験では和紙が貼られている状態に墨書き、ロウ書き、色付けを行うことができます。
ねぶた制作をミニサイズとは言え、一通り自分で行うことができるなんて最高ですよね。体験料金は、8,000円ですが、自分で作るねぶたは自分用のお土産にもぴったりでしょう。
基本は、専用の箱に入れて持ち帰るそうです。でも、有料で送ることができるので荷物が増えてしまうことを悩む必要はありませんよ。
せっかくなので、ねぶたに興味を持ったのであれば体験していきましょう。
占い師秋桜のワンポイントアドバイス「観て!踊って!作って!五感で楽しむねぶた祭りを堪能して」
写真や動画で見ても迫力満点のねぶたは、実際に見るとさらに迫力があるわよ。そんなねぶた祭は元は夏の厄払いのお祭りだったみたいよね。
確かに夏って体調を崩しやすい時期でもあると思うわ。だからこそ、各地で方法は違っても厄払いという意味を持つ祭があるのかもしれないわね。
祭と言えば地域独自のイメージが強くてハードルが高いかもしれないわ。でも、ねぶた祭は観光客も含めて誰でも参加できる祭なのは驚きよね。
衣装のレンタルもあるなんてすごいわ。祭を知るには、自分で体験してみるのが最もわかりやすい方法だと思うわよ。
祭の熱気を感じてみると良いわよ。