「自分の子供なのに嫌いで、愛することができない…」「どうして私は我が子を嫌いにしかなれないのかな…」「自分が産んだ子だけど、子供との接し方がわからない」と悩むあなた。
自分の子供にどう向き合えば良いのか、どのようにすれば愛することができるのかと悩む親へ向けた対処法をご紹介します。
我が子だからこそ、愛情を抱けない現実に自分を責め立てる親。
自分の子どもを愛することができて当然という概念があるから、嫌いになる我が子を見続けると心が苦しくなります。
大人になり、親になっても一人の人間であり、心を持つ者です。
あなたが子供を愛せない理由や嫌いだからつい出てしまう言葉や態度も併せてご紹介しますので、何か一つでも悩む方の気持ちを軽くできるよう願っています。
我が子を愛せなくて、どうすればいいのかわからない時の対処法を参考にし、親子関係に少しでも変化をもたらす一歩となれば幸いです。
目次
「自分の子供が嫌い…愛せない…どう接していいかわからない」と思う方のご相談
「我が子を一度も心の底から愛することができない…」(20代/女性/J様)
妊娠中はもちろんですが、生まれてきた我が子を目の前にしても「愛おしい」「大好き」と思う事が未だにできません。
妊娠中は、まだ顔も声も聞いていないから、愛情が沸かないのだと単純に思っていました。
生まれてきてくれて、声を聞き、赤ちゃんの顔を見れば、この子の事を愛せるようになると信じていたのです。
しかし、声を聞いても、抱っこしても「手放したくない」「私の宝物だ」と感じることができませんでした。
夫は子供を溺愛しているため、私の口から「子供が可愛いと思えない…」「この子を愛することができない」と言うことさえできない現状です。
私が変わっているのかもしれないけど、自分自身でも生まれてくる我が子には期待を抱いていました。
それが上手くはいかったのです。
なかなか愛せない子供の成長は私にとって、恐怖でしかありません。
徐々に言葉を覚え、私の言うことも理解し始め、物事が分かるようになってきました。
会話ができるようになったからこそ、余計に「可愛くない」と感じることも増えてきています。
泣かれることにもイライラする自分がいて、私にだけ向けられる愛情を求める言葉には嫌気が差してしまうほど…。
この場から逃げ出したいと思う瞬間がどんどん増えてきています。
「ママ、誰が一番可愛い?」「ママ、私のこと好き?」この質問が毎日のように繰り返されるのです。
愛せない子供に対して、「好きじゃない」と言い放ったこともあります。
でも、その言葉は私の本心であり、ずっと伝えたかったことです。
自分から生まれた子であっても、愛することができないのはどうして?
このまま子供を好きになれず、一緒にいることに違和感を抱きながら成長を見届けなければならないの?
この子を見ているだけで胸が苦しくなる瞬間があり、顔さえ見たくない時があります。
私の前から消えてほしい…。
私が、彼女の前から消えようかなと思うこともあります。
まだ子供が小さくて物事が何も分からないうちは「ごめんね…」と自分が母親として失格だなと感じていました。
それなのに、月日が経つにつれ、「私が愛せないなのは自分が悪いわけじゃない」と思うようにもなってきたのです。
きっと自分の心を守るための方法だと思います。
だけど、私にとっては今を壊さないために必要な考え方です。
今から子供を本気で愛せるようになるとは思っていません。
これからどんどん成長していく我が子に費やす時間やお金を考えると、このままではこの子を捨ててしまう可能性だってゼロではないかもしれないと思ってしまいます。
自分を犠牲にしてでも守りたいとは思えない、愛せない娘を前に、私がどこまでお世話をしていけるのかが分からないから怖いのです。
我が子を出産して育てていても、本当に可愛いと、愛おしいと思えることが一度もないから、この先に待つ未来が恐ろしくなります。
「どうして自分の子供なのに可愛いと思えないのかな」と何度も悩み、考えてきました。
だけど、そこに答えはなく、不安や恐怖心しか残されていません。
誰にも相談ができずに、夫が娘を可愛がる行動さえ苦しくて堪らなく、私は何をしているのか分からなくなります。
娘を見ると苦しくて、言葉をかけられると逃げ出したくなる自分が怖いです。
私は、この先どうすればいいのか…何も見えない未来だからこそ怖くて堪りません。
「この子がいるから私が周りから可哀想だと思われる…娘が憎い」(30代/女性/A様)
生まれてきた時には本当に可愛くて、私にやっと守るべき大事なものができたことに嬉しく思っていたのです。
しかし、3歳と2歳の娘がいるのですが、どうしても長女の性格が私とは合わないと感じ始めてきました。
それから今は長女が7歳になっているのですが、未だに彼女の性格を理解できず、下の子の方が可愛いと思ってしまうのです。
姉妹間に愛情の差を付けてはいけないことは十分理解しています。
それでも長女の事が受け付けられません。
私は誰とでもコミュニケーションが取れるし、楽しい時には表情にも行動にも出ます。
分かりやすい性格で、とにかく楽しいことややらないといけないことがあれば、まず先に行うことがほとんどです。
長女は、人見知りで誰かが話しかけてくれても逃げるし、私の友達とも何度も会っているのにも関わらず、一言も喋りません。
この行動にイライラすることも多く、「外に出したくない」「恥ずかしい」「本当に嫌だ」と思う日々が多くあります。
それでも子供同士であれば、最初は人見知りをしていても時間が経てば一緒に遊ぶことが出きます。
保育園の時には、赤ちゃんから行っていたので、先生と話さないということがなかったのですが、学校に行き始めてからの1年間の間で担任の先生と言葉を交わしたのは数回だけです。
家の中では妹を力でねじ伏せるのに、外に出れば喋らない。
もう長女の性格を受け入れることができなくなってきたのです。
反対に末っ子が可愛くて堪りません。
今までは年齢的にも場所見知りや人見知りがあったのですが、徐々に良くなってきました。
同じ娘を持つのに、性格が自分と合わないだけでここまで受け付けられなくなるのかと思うと怖いです。
小さい頃は本当に可愛くて、愛情も注いできました。
物事が分かるようになってきて、言葉を発することができると段々イライラすることばかりが増えてきています。
最初の頃は、二人とも同じように育てないといけない、比べてはいけないという思いもきちんとありました。
それでも次第に自分の感情を優先することの方が増えていくようになったのです。
私が良いように言えば調子に乗って言葉遣いも汚くなり、平気で顔面を殴ってくる子です。
もう私はこの子に愛情を注げるほど、良い母親ではいられなくなりました。
どうして私は長女のことが嫌いで嫌いで仕方ないのかな…。
好きになりたいと今は思わないけど、末っ子の事を考えると私がきちんとしなければ将来が心配になってしまいます。
こういう考えを持っている時点で私は、きっと長女のことを信用していないし、信じられていないのでしょうか…。
信じる、信じないよりもまずは自分が受け入れていないだけなのかも分かりません。
姉妹間で好き嫌いができるのは、普通の事なのですか?
私も二人兄妹だったけど、自分の方が親に甘やかされていることには気付いていました。
だけど、私は自分の母親のように傍から見れば同じだと思えるように接することができません。
下の子が「手を繋ごう」と言ってくれば繋ぐし、私から求めることもあります。
それなのに、長女が手を差し伸べてきた時には繋ぐことができないのです…。
手を繋ぎたくないし、触れたくもないと感じてしまうのです。
本当に母親として失格なのは分かっているけれど、どうしても好きになれず、日に日に嫌いになっていっているような気がします。
時間は戻せないし、彼女の性格を変えることもできません。
このまま愛情のない子供を育てていくことは私にとってストレスでしかありません。
嫌いな顔を毎日見て、嫌いな声を聞き続ける、あの子のために自分の時間を費やすことが許せないとさえ思ってしまいます。
「酷い母親」「子供が可哀想」と言われることは分かっていて、いつどこにいても私の味方になってくれる人はいません。
もう今の生活が苦しくて、育てたくない子をいつまで面倒を見なければならないのか、それを考えるだけで嫌で仕方がないのです。
誰かが救ってくれるなら、救ってほしいと願っています。
長女はどこにいても逃げ回るし、人を叩き、暴言を吐く、優しく話しかけられれば違う方向を向いて無視をする子です。
この様子を間近で何度も見ている人は、「大変だね」「なんか、可哀想だね大丈夫?」と言ってきます。
大丈夫なわけがないし、大変どころじゃない。
可哀想だと思ってくれるなら、私を今の環境から連れ出してほしいと思ってしまいます。
我が子を嫌いになっていく生活は良いものではなく、心が保てなくなるほど辛いものです。
それでも受け入れられない自分は何かおかしいのかなと考え、私自身何がしたいのか分かりません。
「愛せるわけがない息子には早く死んでほしい」(50代/女性/N様)
だけど、小さい頃から親の言うことは聞かず、反抗期を迎えたことろからは好き放題。
悪いことをしては夫婦で頭を下げに行き、それでも反省する様子のない息子は何度も過ちを繰り返す。
どうしてこれほどまでに人に迷惑を掛け、邪魔な事を繰り返すのか私には分かりません。
息子が未成年のうちにやってきた事は、成長過程として仕方のないことだと考えればそれで良のかもしれないけど、私はこれまでの事を許すことができません。
人を傷つけて、それでいて自分は何事もなかったように生活している。
見えない所で苦しむ子がいるのに、この子は何も感じていない。
我が子だからこそ、本当に嫌になってしまいます。
誰も教えなくても分かることなのに、人の痛みを感じられない息子は今でも平気で人を傷つけることを辞められていません。
いつかもっと大きな事件を起こすのではないかと不安で溜まりません。
夫は、この子が成人するとともに離婚を突き出してきました。
「俺の人生の邪魔になる」と言われ、私は何も返す言葉がなかったのです。
私もそう思っているから。
この子はいつか家族を巻き込む事をしでかすし、このまま放っておけば好き放題にする。
自分の息子だけど、血も繋がっているけど、愛せない。
もう本当に愛することができない。
この子が憎くて仕方がない…。
夫婦関係が悪かったわけではなく、むしろ仲が良かった方です。
それなのに、私にとって最愛の人を失った原因は息子です。
許せないし、幸せになろうとすれば邪魔だってしたくなるほど憎くて堪らないのです。
この子を捨てて、夫と一緒にいたかった。
どうして私はこの子を捨てきれなかったのか、今でも分かりません。
世間体を気にして捨てられなかったのか、「母親」という肩書きを残しておきたかったのか、今でも分かりません。
息子はもう30歳を目前にした成人男性です。
仕事はしているけど、給料を遊びに使いたいから家を出ていきません。
何度も「一人で生活してみたら?」と話はしてきたけど、「お金かかるし、面倒だからいらない」とばかり。
機嫌の良い日には、こうやってまともに会話をすることもできます。
だけど、機嫌の悪い日には、暴力を振るわれることも少なくないのです。
息子のために今私が働かなければならないと考えると悔しくて、情けなくて仕方がない。
逃げ出せないのは、行く場所もないし、私に残っているのはこの家だけだから絶対に出ていくことができません。
もう年齢的にも頑張って働くことができる年数が短いのに、貯金が一切ありません。
貯金をしても息子に使われ、隠していることでまた殴られる…。
自分の身を守るためにはお金を出さないといけないのです。
もうこの苦痛から逃げ出したい。
子供は死ぬまで可愛いと思えるのは、本当に幸せな家庭だけが言えること。
小さい頃いくら可愛くても、変な子育てをしていなくても、我が子を殺したいほど憎いと感じる事があるのです。
私の思いが一般的に通用しないことは分かっているし、誰かに分かってもらおうと思ってはいません。
だけど一人で抱え込むには現実が苦しすぎるのです。
自由のない生活、これから年齢を重ねていくのに楽になるわけではありません。
大切なものを失い、それでも愛せない息子のためにどこまで自分がやるべきなのか。
逃げ出したいのに、逃げ出せない現実に苦しくなってしまいます。
今更息子と仲良くしようとは思っていません。
死ぬ前に良い行いをしたところで、自分に得となることはないから。
息子が生きているだけで、私はこの苦しさから逃れられないと思っています。
これまでの人生で一度も息子を失ったことがないけど、今言えることは「早く死んでほしいそして、私を自由にしてほしい」ということです。
我が子をここまで憎いと思うとは考えもしなかった。
昔のアルバムを開けば、家族でいつも一緒にいて、みんなが笑顔の写真ばかりです。
あの頃は本当に幸せで楽しかった。
今はもう訪れることのない日々だと思うと涙が流れます。
だから、もう望まないし、期待もしていません。
このまま息子を愛せないままなら、いつあの子が死んでも構わないし、いっその事早くあの世に逝ってほしい。
自分の子供を愛せないと思う方への僧念師匠のアドバイス
J様へ「我が子を愛することはあなたがすべて背負う責任ではありません」
J様は、我が子に期待し、それでも自分の子供を愛することができずに苦しまれているのですね。
子供は罪もなく、大人の心を抉る言葉も放ちます。
無垢であり、善意などは知らない幼さがあるからこそ、子供は自分の感情だけを親にだけ向けたくなるのです。
それはJ様を母親として見ているからであり、子供にとってあなたが唯一の存在だからと言えます。
子供が愛せない状況では苦しく感じることもたくさん訪れることです。
愛することができる方が本当に楽な子育てだと言えます。
自分自身を優先すべきなのか、子供のやりたいように、言いたいように言わせるべきなのかさえ分からなくなることも。
それは、J様がお子様を愛せない現状を理解しているからこそ、悩み続け、そこから逃げ出したくなる感情が沸き起こります。
人間誰もが正しい母親、正しい選択をすることはできません。
それは親子関係であっても同じことです。
親は必ずしも我が子に深い愛情を抱けるとは限らないもの。
その時には、少しJ様の中にある固定概念を覆してみることも悪いことにはなりませんよ。
「我が子を絶対に愛さなければいけない」と思うほど、気持ちが遠ざかるのも人間の性。
”この世で一番大変な仕事は親でいること。いかなる時でも我慢が求められて休む暇もない。
時に限界がきて、子供に辛く当たることもある。
その度に謝りたいと思うこともあるかもしれない。
子供の笑顔を見て、後悔することもあるかもしれない。
大変かもしれないけど、そのぶんだけやりがいもある。
それができるのはあなただけ。子供にはあなたしかいないから。”
という言葉があります。
どれだけ辛い状況でも、あなたが子育てを仕事だと捉えることで、前に進むことができるのであれば、愛情を抱くことよりも義務として全うすることも悪くありません。
愛を抱くことは親子の関係であっても単純には行えず、毎日感じることで母親のストレスは大きなものとなるのです。
まずは、子供を愛すことに意味を探し求めるよりも、子育てがあなたにとって一番大変な仕事であり、難しいものだと考えるようにしましょう。
考え方、捉え方を変えることができれば、J様に見えてくる未来に希望を持てる可能性もあります。
今は何も見えない、孤独を感じる日々だとしても、毎日のことだから思い詰める日常が変わり、気持ちの持ち方を変えることで一つでもJ様の喜びを感じられることが出てくるのです。
J様は、「我が子なのに愛せない」と責任感も含まれている状況だから、苦しさを抱きます。
少し考え方を変えてみるようにしましょう。
いきなり状況を変えられなくても、徐々に心に変化が訪れるようになるのです。
親子だから一緒に楽しむことではなく、J様が好きなことにお子様を付き合わせることも良い行いとなります。
まずは、あなたの好きなことにお子様を誘い、これまでの視野が狭まっている日々から色々な事を見て広げていくようにしてください。
A様へ「子供は親が言うほど違う方向を見るものです」
A様は我が子であっても二人のお子さんを比べ、自分に近い存在である妹さんの方に情を抱いているのです。
しかし、A様が全く上のお子様を愛していないわけではありません。
人間は、自分を好きになることで、他人の行いを許せないと思うことがあります。
A様は、今自分の性格や生き方を好きになっている段階であり、それを否定されることが気に入らないのも事実です。
自分の性格や生き方に誇りを持つことができている人ほど、自分と違う生き方をする人に対して指摘したくなり、自身に寄せようと試みることがあります。
上のお子様は、A様から以前のように愛情を受けたいけど、なかなか上手くいかない現実に苛立ちを覚え、暴力で自分を見てもらおうとし、困らせることを行い存在を確かめようとしているのです。
これは、小さなお子さんが愛情を受けたい相手に取る行動。
自分自身を見ていてほしいから、良い子ではいられなくなるのです。
A様が一度行動を変えてみると、上のお子様の表現の仕方が確実に変わります。
ジョセフ・マーティーが残した名言には”子供にとって親の生き方こそが最高の教材になります。子供は「親の言う通りにはしないが、親のする通りにはする」からです。”とあります。
A様が上のお子様に「どうしてこうしないの?」「どうしてできないの?」と言えば言うほど、違う方向を向きたくなり、反対の事を行い続けることが自分のやるべきことだと感じるのです。
A様は上のお子様に「違う」「こうして」というニュアンスの言葉掛けを辞めてみてください。
言葉で伝えるのではなく、あなたが行動で示すことで徐々に同じように動くようになります。
同じ遺伝子を持つお子様には簡単にできること。
母親の姿はいくつになっても脳裏には残り、良いところをどんどん吸収しようとします。
A様の子育ての焦りが言葉や行動に出てしまっているので、少し心を休めてみましょう。
何も周囲を気にすることはありません。
外に出掛けた時でも、笑えない状況かもしれないけれど、あえて笑うことを行います。
それが上のお子様が母親からの愛情を感じられる行いになるから。
反抗した態度や行動を行わなくなる一歩となるのです。
N様へ「女性は孤独を味わってからこそが本当の幸福に辿り着ける時」
N様自身は、旦那さまにもお子様にも裏切られているという気持ちが強いのです。
一度家族として繋がりを持った以上は、その気持ちを消すことはできません。
幸福を感じ合った相手とは、苦しい状況を乗り越えるためには壁が大きすぎることもあります。
女性は常に孤独な生き物で、どこに居ても、誰と居ても寂しさや不安を拭い切ることができません。
それはN様が一度本当の幸福を感じられる日々を送っていたことが原因です。
人間は幸せを掴むと、それ以上の幸福を感じない限り、すべてが悪い事のように感じます。
心の余裕や目の前の状況など、あらゆる場面で孤独を感じていくのです。
ローランの言葉には、”女はなんと孤独なものだろう!子供以外には女を支えるものは何もない。そして子供さえ、女をつねに支えるには足りない。”とあります。
この言葉のように女性は自分で幸せを見つけ出してこそ、幸福を感じることができ、それは誰にも壊すことのできないものにするほど、恐怖を抱くのです。
お子様に与えられる幸せがないのならば、「この子がいるから…」「私はこの子のために生きなければならないの?」という考えを捨てましょう。
N様の生き方は、今からでも自分で生み出すことができ、お子様の年齢も大きいことであなたが自分のための幸せを見つけるには大事な時間です。
もう少し外の状況や色々な物事に触れてみてください。
近くに幸福を感じられるものがあります。
女性は幸福を自分で手にしたときには、強くなれるのです。
まずはその一つを見つけ出し、状況を変えていく勇気を持つようにしましょう。
自分の子供が嫌い…我が子を愛せない理由
完璧な母親像が作り上げられている
自分の子供が嫌いで我が子を愛せない理由には、完璧な母親像が作り上げられていることが挙げられます。
「こうしてほしい」「これは絶対にやったらいけない」と子育てをする中で、母親が自分の中でいくつものルールを決めているのです。
その基本になっている事が、世間から自分が母親としてどう見られるのか。
自分が母親として「良い」と評価されなければならない責任感や周囲を気にし過ぎる事でそれに背く子供を嫌いになります。
母親の思い通りにいかないのは、子供の個性です。
しかし、世間体や自分の中で確かな母親像がある人にとっては、それを覆される行いは自分への否定となります。
そのため、どんどん我が子を嫌いになり、愛せなくなり、時に憎く思うようになるのです。
親子関係での深い愛情を知らない
親子関係での深い愛情を知らないと、自分の子供が嫌いで我が子を愛せない理由と言えます。
幼少期時代に自分の両親から愛情を与えられずに育つと、我が子ができても愛せないことがあるのです。
自分自身が愛情を与えられていないから、どう子供を愛せばいいのか、伝えれば良いのか、何を見れば良いのか分からなくなります。
何が正解なのかも分からない愛情だからこそ、自分が親になった時に直面する感情です。
恋愛感情で愛情を深め合う方法は分かったとしても、異性と親子関係では全く愛情の形は違います。
そのため、限られた幼少期時代に両親からの愛情を注がれずに育った母親や父親は自分が親の立場になった時に苦しむことがあるのです。
父親の愛情を受けられないと、男性が子供との関わり方が分からなくなる。
母親からの愛情に満たされなければ、女性が苦しみます。
それは自分が与えられてきたものではないからこそ、我が子という存在を特別視することができず、どう向き合えば良いのかが分かりません。
自分を否定してしまう
自分の子供が嫌いで我が子を愛せない理由には、自己否定が原因に挙げられます。
「どうせ私には…」「私が頑張ったって意味がない」など、自分を否定する傾向の強い人は、自身で育てることにさえ自信を持つことができません。
小さい頃から親に「どうして何も上手くできないの」「あなたがいるから…」などと否定され続けた過去を持つ人に多いのです。
我が子との関係だから自分のやり方で育て方で頑張ろうと意気込むことはあっても、やり続けている途中で急に不安になり、それが自分を否定されている感覚に陥ることで子供を愛せなくなります。
子供の何気ない言葉や行動が自分を否定してきているものだと感じ、それ以上距離を詰めることに苦しさを感じ、嫌いになり、愛情を見失うことも少なくありません。
自分の子供が嫌いで、つい子供に出てしまう言葉や態度
我が子の存在を否定する
自分の子供が嫌いでつい出てしまう言葉や態度には、我が子の存在を否定することが挙げられます。
「生まなければ良かった」「あなたは私が望んでいない子」など、感情に任せて子供に言い放つ親も少なくないのです。
子供を育てる状況では、常に関係性がよく、いつも深い愛情を注ぎ込めるばかりとは限りません。
いつ誰にでも訪れる可能性があるのが、子供への愛情を失いかけることです。
我が子であっても自分の人生とは違い、あなたの思い通りに進むことばかりではありません。
意見が食い違うこともあれば、反抗的な態度を取られることもあります。
それが親子関係ではあるものの、毎日同じ空間で親には責任があるから、子供にきつく言い放つ言葉が出てくるのです。
しかし、聞き分けが悪い、自分の考えにはなかったこと、何度言っても聞かないなどという時にはもっと酷く、我が子の存在自体を否定してしまいます。
ダメな言葉だと分かっていても、親なりに何かを伝えたい時に口走ることもあるのです。
暴力や暴言で傷を負わせる
暴言や暴力で傷を負わせることは、自分の子供が嫌いでつい出てしまう言葉や態度と言えます。
子育ては毎日のことで、親が感情的になり子供に当たることは多いものです。
子供が自分の思い通りにしてくれない時には、段々感情を抑えきれなくなり、暴言や暴力を振るい、心や体に傷を負わせます。
どの親子にもあり得ることです。
しかし、我が子が嫌いで愛せない親は、暴言や暴力が当たり前になり、毎日子供を傷つけることも少なくありません。
子供に当たることで自分自身の心を少しでも保とうとします。
我が子が求めることを一切受け入れない
自分の子供が嫌いでつい出てしまう言葉や態度は、我が子が求めることを一切受け入れないことです。
子供にとっては唯一甘えられる相手が親。
しかし、我が子が嫌いな親は、子供が求めてくる愛情や触れ合い、会話でさえも遮断します。
子供が話しかけてきても無視したり、近寄れば避けるように逃げたりなど、我が子の存在がそこにはないかのように扱うことも。
この行動は、子供にとって最も辛いことです。
話しを聞いてもらえないだけでなく、親が自分に向けて発してくれる言葉が一つもないという状況は孤独を感じ、どんどん精神的にも弱る原因になります。
親子関係が精神的な問題を抱えやすいのは、与えられてきた愛情ではなく、経験してきた辛い現実が原因です。
親にとってはその時の気分や面倒くさい、鬱陶しいからと子供に取る態度でも、子供からすれば不安を抱え、大きな傷を負うものとなります。
我が子を愛せない…どうすればいいかわからない時の対処法
子供が本当に求めている事が何かを知る
我が子を愛せない、どうすればいいかわからない時の対処法は、子供が本当に求めている事が何かを知ることです。
小さい子供は何があっても泣いて訴えてきます。
どれもが同じ意味で子供が泣いているわけではありません。
本当に訴えてきていることや求めていることをあなたが理解しようとすれば、親は気持ちが楽になることも少なくないのです。
違う捉え方を続けるままだから、子供の行動にイライラし、何をしていても許せないと思うようになります。
「どうしてそういう事をするの」「すぐに泣くばっかり」と親の方が子供の思いに触れようとしないことで見えていないものがいくつもあるのです。
あなたの心に少しでも余裕がある時には、「何が嫌なの?」「どうしたかったの?」とまずは聞いてみてください。
子供は自分なりの思いや考えを大人と同じように持っているのですが、それを表現する方法がまだまだ少ないため、いつも同じ行動を行います。
子供の心を少しでも理解する行動を取れば、「お母さんは分かってくれた」と自信や安心に繋がり、徐々に子の方が変わり始めるのです。
一度子供を自分の肌で感じる
一度子供を自分の肌で感じることが、我が子を愛せない、どうすればいいかわからない時の対処法と言えます。
我が子を愛せない時、どのような物事が起きても子供に触れることはありません。
子供に触れる事をしなくなった時、親よりも子の方が心が乱れている事の方が多いのです。
何かでぶつかり合った時や子供が少しでも良い事ができた時、我が子を抱き寄せて肌で感じることも悪いものではありません。
遠ざけていた我が子をいきなり抱きしめることは勇気がいること。
しかし、子供にとってはいつまでも変わらない親であり、一番身近な存在です。
肌を触れさせ合えることは、お互いに癒しを与え合う大事な行いになります。
何もない時に急に抱きしめてあげることも良いこと。
それでも親には理由が欲しいから、何か物事が解決した時や褒めても良いと感じられる時にまずはやってみましょう。
そこに言葉はいりません。
自分自身の心の中を整理する
我が子を愛せない、どうすればいいかわからない時の対処法が、自分自身の心の中を整理することです。
大人になり、子を育てる親でも心が満たされない状態や色々な考えが頭の中を埋め尽くす状況では、良いことが見えてきません。
大人になるほど問題は多くなり、家庭や家族を持つほど頭がパンクしそうな程悩まされます。
自分の気持ちに余裕が持てないときには、我が子であっても愛情を与えることができません。
自分のことで精一杯になるため、我が子には「どうしてやってくれないの」「どうして困らせようとするの」など、自身の感情だけで言い放つことが出てきます。
同時に物事を考えようとせず、一つ一つ解決に進むために心を整理することが大切です。
どうしても上手く行かないときには、瞑想や深呼吸など、ストレスを感じた時こそ難しいと感じる行いに挑戦しましょう。
一度無心になり、心を空っぽにすることは気持ちを入れ替える大事なものとなります。
僧念師匠のワンポイントアドバイス
我が子を愛することができずに「苦しい」と感じる親は、実は少なくないのです。
しかし、「子供を愛せない」「どう接していいのか分からない」とあなたが思えている時点で、我が子を愛することができています。
子供のことを考えるから、愛情や接し方に悩み、どんどん自分の感情も我が子の気持ちも分からなくなるのです。
愛せるように努力するのではなく、まずは自分の心に余裕を持つことを意識してみると子供との関わり方が楽になります。