「親不孝なことしかしていない自分が辛い」「親に対して私なんかが生まれてきてごめんなさいと思うことが多々ある」「親不孝な場合はどうすれば心が軽くなるのか教えてほしい」と悩むあなた。
親不孝な状況を生み出し、自分が生まれてきたことに罪悪感や後悔を抱く人は少なくありません。
こちらでは、親不孝で悩む方、自分の親に対して「私なんかが生まれてきてごめんなさい」と感じている方からの相談をご紹介します。
何か悪いことをしてしまった時、後ろめたさや罪悪感ほど、心の中で一生残り続けるものとなるのです。
その気持ちに対処するための方法、原因となったことが何なのか、また、心理状態までご紹介します。
相談者の方の悩みや僧侶からのアドバイスも併せて参考にし、今後の生活に活かす一つの手段になれば幸いです。
目次
「親不孝な自分が辛い…親に生まれてきてごめんなさい…」と思う方のご相談
「親の希望を全部失わせた」(20代/女性/K様)
お母さんもお父さんも子供が大好きでずっと「孫を抱っこするのが夢だ」って話しは何度も聞いてきた。
それなのに私は、子供を産める可能性が低く、妊娠できない。
両親の話しをこれまで間近で聞いてきたからこそ、不妊だと医者から言われても、なかなか話すことができません。
「なんで私なの?」「どうして子供ができないの?」と思っても自分の中に返ってくる答えは自業自得でしかありません。
特別悪いことをしてきた事もないし、何が欠落しているのかも自分では分からない。
だけど、子供を作ることができない理由には、自分の生活が少なからず影響していることは教えられなくても分かってしまう。
今までずっと孫を抱っこするのが夢で、一緒に旅行に行ったり、買い物にも行きたいと夢を描いていた両親。
こんな期待を抱かれる中で、「子どもが産めないの」なんてどんな顔をして伝えれば良いのかさえ分からない。
自分で不妊だと聞いた時には、「妊娠できない体なんだ…」と思う事よりも先に両親の姿が思い浮かんだ。
だってずっと両親の夢の為に「私は結婚して親が元気なうちに子供を産みたい」と思っていたから。
それが私ができる両親への最高の親孝行だと思い続けていたから…。
それなのに子供を妊娠することができない。
兄にはすでに子供がいるけど、親からすれば娘の子の方を楽しみにしていると聞いたことがある。
だからどうしても産みたかった。
お母さんは優しいからきっと無理してでも「大丈夫」と言う。
お父さんも「気にしなくていい」って絶対に言葉を掛けてくる。
そんな言葉を両親に言わせたいわけじゃない。
ここまで長年夫婦で抱いていた夢を私が簡単に壊してしまう。
「不妊治療すればどうにかなるのかな」とも考えた。
だけど、ネットで見ると不妊治療を行って普通に出産できている人はやっぱり少ない。
不妊治療に望みを託したい思いと、自分が頑張ることでさらに両親の期待を裏切ることの方が辛くて堪らない…。
私の友達が子供を産んだ時でもお母さんがずっと赤ちゃんを抱っこしてあやしている姿。
今だからなのか、目に焼き付いている光景が「あなたは必要じゃない」と言われているようにしか思えなくなる。
きっとお母さんもお父さんもそこまで考えていないこと、思わないことは分かってる。
だけど、優しい両親だからこそ本当の気持ちを吐き出してくれないから辛い。
今は想像でしかない親の言葉だけど、30年近く一緒にいたからこそ、どれだけ望み続けていたのか、夢が大きくなっているのかも痛いほど分かってしまう。
これだけ不自由ない生活を送らせてもらってきたのに、私から親に返せることは夢を壊すこと。
本当に私はどうすればいいの…。
何を言って、次にどんな夢を抱いてもらうことが正解?
私には、その答えが見つからない。
「ごめんなさい」としか言えないし、この言葉一つで片付けられるほどの事じゃない気がする。
だってずっと望んで、楽しみにしていたから。
いつまで通用するか分からないこの嘘に気付かれた時、どうなってしまうのかな。
もう辛くて、前を向くことができません。
大好きな両親に対して、こんな事言えないよ…。
お父さん、お母さんこんな娘で本当にごめんなさいとしか言えないけど、言う勇気がありません。
親不孝でしかない私は、許されるのかな。
許してもらうことを考えている時点で自分が弱すぎる。
辛くて仕方ありません…助けて欲しい…。
「親の人生を変えてしまった」(20代/男性/S様)
傷害で捕まり、それから家に帰ることができても俺が離れる前の状況とは全く違う雰囲気になっていた。
面会に何度も来てくれていた母親は、来るたびに泣いて言葉を交わすことの方が少なかったかもしれない。
少年院に入っているときには、どうして母親がここまで泣いているのか分からなかった。
シングルマザーの母親には、俺しかいないことは分かってる。
だけど、死んだわけでもないし、時が来れば家に帰れるのに。
俺の考えが甘かったことは、家に戻った時に気付かされた。
引っ越して前よりも汚い安い家になっていたし、母親の生活感が全くない。
何があったのかよく分からなかったけど、久しぶりに友達と遊んだ時に聞かされた。
俺が傷害事件を起こしたときに住んでいた場所から追い出されたこと。
今でも、暴言を吐かれることがあること。
母親が一人で戦ってきたのだと思うと胸が苦しくなった。
自分がやってきた事が全部母親に集中砲火している現実。
俺には、何一つ誰も言ってはこない。
それなのに未だに母親には、「息子は犯罪者」「ろくな育児をしてないから」など。
それを知った俺は、母親に話しを聞いてみた。
だけど、母親が口を割るわけもなく、笑って「何もないよ、大丈夫」という姿を見て親不孝者だと実感した。
どれだけ辛い思いをこの期間してきたのかは、俺に全部は分からない。
それでも母親の背格好や表情を見れば、以前と違うことは俺にだって分かる。
本当に若い頃にしたことがここまで母親を追い詰めることになるとは想像もしていなかった。
俺が捕まった時には、毎日母親は近所の人達に育児を否定され、息子の存在を貶され続けたらしい。
それなのに、俺が少年院を出るときには、泣いて「おかえり」と言ってくれた。
こんなに親不孝の俺なのに、どうしてあそこまで出来るの?
俺が邪魔なはずなのに、自分の人生を台無しにしている本人なのに…。
母親の優しさなのか、いつも笑って話してくれて、飯も毎日作ってくれる。
もう我が子であっても捨てたい息子のはずなのに、母親が俺に対してどうしてここまでしてくれるのか分からない。
「県外に引っ越しする?」と聞いても、「あんたが今無理することじゃない」としか言ってくれない。
俺は本当に自分の母親に甘えすぎていたのかもしれない。
優しい母親だから何でも許されると心の何処かで思っていたのかもしれない。
ここまで傷つけてしまった母親に俺はどうしたら良いのかが分からない。
母親を見ていると辛くなる。
こうしたのは俺だけど、許される方法よりも、突き放してくれるほうが助かるとも思ってしまう。
こんなにも優しくて、愛のある母親に俺は何をしているんだろう…。
本当にこんな息子で申し訳ない。
俺も反省して出てきたつもりだけで、予想していたよりも酷い現実が今になって苦しい。
絶対に俺を責めない母親を見ていると、「生まれてきてごめんな」「こんな息子で悪い」としか言えない。
この言葉を掛けると母親は必ず「私にはどんな事があってもあんたしかいないから」
「あんたを恥ずかしい息子だと思ったことなんてないし、本当のあんたを見てない奴には言わせておけばいい」と。
これだけ強い母親の元に生まれてこれたことは嬉しいけど、俺から掛けられる言葉は「ごめん」の一言しか出ない。
親不孝で本当にごめん。
「最愛の人を奪ってしまった」(30代/女性/H様)
生まれつき体が病弱で入退院を繰り返す私に、両親の関係が悪化していったのです。
私が生まれるまでは、本当に仲が良い夫婦で残されている写真はどれも愛のあるものばかり。
だから私が32歳になった今でも、母親は「あなたが生まれてきたから大好きな人と別れることになった」と言われます。
私が病弱じゃなければ、本当に家族が仲良くいられ、お父さんもお母さんも離婚せずに済んだのかもしれません。
入退院を繰り返す私のせいで夫婦がゆっくりいられる時間が減り、お父さんが耐えきれなくなったのです。
退院できたと思ったらすぐに調子が悪くなり、入院の日々。
私が2歳の時に離婚した両親。
それからは母親に何かがある度に言われる「大好きな人を奪った」って。
私は奪いたくてお母さんの大好きな人を奪ったわけじゃないと小さい頃は思っていました。
だけど、成人して社会人になり、自分が本気で恋愛するほど、お母さんの苦しみが痛いほど分かってきたのです。
実際には、お母さんの何十分の一しか分かってあげられていないのだろうけど、誰かを本気で好きになり、手放したくない感情を抱くことは一緒。
それを愛情がなくなったわけでもないのに、引き離されてしまうことほど残酷な事はないと思います。
ましてや、私に付きっきりだったお母さんは最後にお父さんときちんと話せないまま離婚に至っているから許せない思いが強いのも仕方ありません。
お互いに納得のいかないまま、出来損ないの私なんかを産んでしまったから残酷なものとなってしまったのです。
許してほしくても絶対に許されることじゃないのは、今になってやっと気付けたこと。
私が今、結婚したいほど大好きな彼氏を見つけることができたから、お母さんに対して申し訳ない思いでいっぱいです。
お母さんのことを考えると、自分だけ幸せになる道を選ぶことができません。
お母さんは今でもお父さんのことを思い続けているからです。
ここで私が大好きな人と結婚してしまえば、きっと前よりも憎くなり恨むのだろうな。
こんなにも親不孝者の私は、お母さんに何を返してあげることができるの?
どう償えばいいのか分かりません。
親不孝者の私には、何が与えられるのかも、何を失えばいいものなのかも見えてこない。
何もお母さんの為にできることが見つからないから余計に苦しいのかな…。
どうしたら親孝行と呼べるものができるのかな。
私にはその権利があるのだろうか。
生きていることが親不孝な私には、死ぬことが一番の親孝行なのかもしれない。
もちろん死ぬことも考えてきたし、お母さん前から去ることも考えた。
でも私が今お母さんの目の前から居なくなっても、お父さんは帰ってこない。
じゃあ、何ができるのか分からない。
お母さんにとって大事な最愛な人を奪って生まれてきてしまって本当にごめんなさい。
自分は親不孝だと思う方への僧念師匠のアドバイス
K様へ「ご両親の夢を叶えることだけが親孝行ではありませんよ」
K様はご自分が最も傷つき、悩むであろうことを人の為を考え、誰かの期待に応えるようにと必死なのですね。
それは、K様がご両親の事を心から愛することができている証です。
しかし、ご両親がお孫さんを抱きかかえるのが夢だということは、必ずそこにはK様の存在があってこそのお話。
決してK様の変わりを務められる人はいません。
お兄様のお子さんにも深い愛情をご両親はきちんと抱いています。
そして、愛娘であり、大事に育ててきた我が子の子供だからこそ「可愛い」と思うことができるのです。
ご両親はK様がお子さんを産むことに期待を抱いていと言えば嘘になりますが、それはあなたが健康であるからこそ、強い望みを抱けるもの。
K様の体に異変が起こっている中では決して望むことはしません。
お母様もお父様も一番の願いは、K様が幸せであることに尽きます。
それ以上を望まなければ、それ以下の状況は選択肢にすらありません。
親というのは、子供が苦労することや体を傷つけることこそ恐ろしいものはないのです。
それが心の傷であるほどご本人様と同じように、それ以上に苦しむものとなります。
K様が愛情のある中で大事に育てられてきた状況には、ご両親の魂が込められているのです。
「幸せになってほしい」という願いの元、K様はいつ何時も手を加え続けられています。
K様が不妊治療をするにも、子供を作らない決断をするにも、ご両親はあなたの意思の元で決めたことであれば、それに反論すること、「親不孝者だ」と言うことはありません。
ありのままの現状を明かせば、きっとご両親はK様を支える側に立ってくれる最強の心のパートナーです。
ご両親にとっては、K様が一人で悩み続けている事や目の前から居なくなることの方が不幸だと感じます。
イチローに言葉に、「こちらが考える行動が、イコールにはならない」と。
K様がご両親を思いやった事は、必ずしも良いものとはなりません。
ご両親が最愛の娘に最も求め続けていることを知れば、それがK様の親孝行の方法です。
状況が変われば、求めることに違いがでてくることは必然。
K様の状況を伝えた後のご両親の一番の望みが何なのかを知り、それを心に抱くことが大切であり、あなたを救うものとなるのです。
S様へ「あなたといることが最大の幸福」
S様は自分の犯した罪を償い、自身の愚かさに気付けたはずです。
しかし、S様のお母様はあなたを信じているからこそ、日々の浴びせられる言葉でさえ心に突き刺さる言葉もあるけれど、前を向き続けることができています。
お母様はS様に何かを期待し、何を望むわけではありません。
ただ生きて、積み重ねた悪事に反省してくれることだけを願い続けているのです。
それが母親の勤めであり、唯一願えることだから。
母親というものは最愛の我が子に対して多くは望みません。
一番失いたくないことともう一つ生きるために苦労しないように願う事。
我が子が自分の見えないところで生きていくようになれば、ずっと心配で気になって仕方ありません。
傷つかないように、苦しまないようにとこの世に生まれ時から手を掛けているのです。
人生の途中で道を逸れることがあっても、それはあなたの生き方であり、反省すればいいもの。
お母様は、何よりも生きている事、S様を信じることが希望になっています。
アントニオ猪木が残した言葉には、”花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ”があります。
子を愛する母親は、子育ての最終的な成功を望みながらも、我が子の生きやすい環境、そして幸福がより感じられる場所に置きたくなるのです。
だからこそ、我が子に対してはいつまで経っても心配事がなくなるわけもなく、現状よりも少しでも良い場所へと望み続けるもの。
それは、幸せになってほしいからであり、目に見えた成功ではなく、内面の幸福を感じてほしいからなのです。
ただこの世に生きてくれている事だけで満足することができ、母親にとってそれ以上の親孝行はありません。
母親の為に自分が身を削る考えを持ち出すことは間違いで、本当に望むことは生きていてくれるそれだけでお母様は安心できるのです。
H様へ「お母様が育ててくれた意味を知ることも大事なことですよ」
H様は、お母様とお父様を引き離した罪悪感から、他のことが薄れてしまっていることがある気がします。
お母様でも一人の母親でありながら、一人の女性です。
時には、弱音を吐き出し、子供に感情的に当たってしまうこともあります。
しかし、愛のある親子関係であれば、お互いに傷つけ合った仲だとしても切れることはありません。
反対にお互いの気持ちを知ることができている状況の方が安心できることもあります。
お母様は大好きなお父様と一緒に居続けることを選択することもできたはず。
それでもH様を手放すことなく、懸命にここまで育ててこられたのには、異性に与える愛情とは違うものがあなたに注がれているからなのです。
良いものばかりを見ようとすれば、現実ほど酷い事のたくさんある世界はありません。
良いものを見るときは、心が弱ってしまっている時なのです。
自分自身でも傷ついている時期や試練を与えられているときには、周囲のことが良く見えることがあるはず。
それは、良いものしか見えていないからなのです。
ビートたけしの名言の中に、”人生に幸せなんて求めること自体間違いなんだよ。世間じゃよくどうせ死ぬんだから楽しく生きようなんて言うけど、オイラは逆でどうせ死んで身軽になるんだから、生きてるうちにひどい目に会おう、辛く生きようと思ってる”とあります。
人間みな平等に与えられる命には、何を感じ、何を経験したかによって積み重ねられる物事の重みに違いがでてくるのです。
どれだけ日々を一生懸命に生きている人でもあっても、他人を傷つけ、それを自分の快楽として楽しむ人には、自身の得にもなりません。
人間は与えられた命の中でどれだけの感情を抱き、どれだけの経験をするのかで人生を全うすることができたのか、次の未来に繋げていくことができるかが決まります。
それは日々の生活の中で、苦しい経験に向き合っているほど、重みのある人生。
H様がお母様に掛けられ続けている心に突き刺さる言葉を、気にしないことも、自分の生きたいように生きることもできたはずです。
しかし、それを真っ先に行わなかったのは、H様が苦しい状況に挑む強さがあり、そこには深い愛情や心があるから。
人間は自分の感情で言うことにも行動にも相手を選び、時間が経てば違うことを発することがあります。
それは、心の弱さではなく、自分自身を守るために必死だからです。
H様は自分のためではなく、相手の為を常に考え悩み続けているからこそ、考え方を変えることができず、苦しい状況で立ち止まったまま。
H様のお母様が何を求めてあなたとここまで歩んできたのかという思いを大事にしてあげることが最高の親孝行になるのです。
自分が親不孝だと感じてしまう原因
罪悪感を感じること
自分が親不孝だと感じてしまう原因には、罪悪感を感じることが挙げられます。
「私は親にいつも迷惑をかけているから」「俺はこれをやってしまった最低だ」と感じること。
人生の中で失敗をしない人などいませんが、強い罪悪感を感じるほど反省する人はたくさんいます。
子供は親に対して罪悪感を抱くことも最も多いのです。
それは、自分が何をしても親の責任になる、あるいは傷つけてしまう可能性があるからだと言えます。
人間は、ダメなことや罪悪感を感じて後悔している時には、真っ先に両親の顔が思い浮かび「ごめんなさい」と謝る気持ちが湧き出てくるのです。
それは、これまでずっと一緒にいた人であり、自分に期待を抱いてくれていると感じることができているから。
罪悪感を感じるほど「親不孝者だ」と思える人は多く、その後の心の向かわせ方が分からないから、「私なんかが生まれてきて」という考えに至るのです。
それは、あなたが親の求めていることに添えない状況ほど、期待を裏切る行為が目の前にあるほど思うもの。
罪悪感を親に向けるのではなく、自分の反省とすれば心は軽くなります。
親孝行することが絶対条件だと思い込んでいるから
親孝行することが絶対条件だと思い込んでいるから、自分が親不孝だと感じてしまう原因です。
あなたの人生に中で「いつかは親孝行をしなくてはいけない」「これが親孝行になることなのかな」と感じている瞬間は多くあります。
その一つ一つが強い思いとなり、親孝行することが当たり前で、できない事が悪い事だと感じている人は少なくありません。
親孝行を物事が起こる度に考えていくことで、自身の不甲斐なさや愚かさを感じることも。
「どうして私はきちんとした事ができないの…」とやがて大きな悩みへと変わってくるのです。
しかし、親孝行は考えてするものでなければ、親の為にと思って一生懸命することではありません。
あなたが自分らしく生きること、人生を諦めずに努力することこそが最大の親孝行となるのです。
子が親に対して責任を感じるという考え方に至るのは、親孝行は絶対にしなければならないという固定概念に縛られているから。
この考え方を打ち消すことでより良い未来を歩めるようになり、親孝行が自然に行えるきっかけにもなるのです。
親を一番幸せにしないといけないという使命感
自分が親不孝だと感じてしまう原因には、親を一番幸せにしないといけないという使命感が挙げられます。
親が子供に尽くすことは、自然と行うことができる愛情です。
しかし、子供から親に対しては自然にではなく、頭で考えてから行動を起こすことが大半。
この違いは、使命感を抱けば抱くほど、考えるものとなります。
親が子の為に一生懸命愛情を注ぎ、育てるのは自分が産んだ責任。
責任と感じながら子育てを行っている親は少ないものです。
自然と愛情を膨らませることができ、自分の命にも変えられるかけがえのない存在であるから。
しかし、子供は親に対して使命感を抱く必要はありません。
あなたは、親にではなく、自分の子供に向けて最大の愛情を注ぐべきなのです。
「親を幸せにしないといけない」「私が親を裏切る行為をしてはいけない」という考えを払拭しましょう。
親への恩返しをするのであれば、あなたがまずは幸せを掴むことが大切です。
誰かのためではなく、自分の為に人生を全うしましょう。
自分が親不孝だと感じている人の心理状態
人生に不安を感じている
自分が親不孝だと感じている人の心理状態には、人生に不安を感じていることが挙げられます。
「私はどうなるのかな」などと考えている人は、自分の事を考えると同時に将来に大きな不安を抱いていくのです。
そのため、考えもネガティブになり、行動も積極的に行えないことが多々あります。
それは、自分の将来だけに留まらず、あなたの大事な人を考えの中から引き連れてくるからこそ、親不孝という考えに至るのです。
自分がどうしたらいいのか分からない時や不安で目の前が真っ暗になり、閉ざされてしまった時など。
不安を抱くほど、自分の大切にしている家族のことを考えます。
それはあなたの優しさであり、愛情です。
だからこそ、悩み続け、自分を責め立てることに繋げてしまいます。
人生の中は、経験したことのない試練がいくつも立ちはだかり、その度に乗り越えることを求められるのです。
それが、自分の中で上手く解消しきれず、負けそうになり、立ち止まりそうになった時ほど、不安が募り「自分は親不孝者だ」と感じる心理状態に陥ります。
人生を丁寧に生きようとするほど、考え方も深くなり、思う気持ちの強さも増すのです。
人生を丁寧に生きる中でも、自分にとって最も良い方法や選択肢を「ただ自分のために」と考えながら不安を拭い捨てることで親不孝だという考えを打ち消すことができます。
親の幸せは自分の行動にかかっていると感じている
親の幸せは自分の行動にかかっていると感じることが、親不孝だと感じている人の心理状態です。
子供は、無条件に両親への愛情が募る瞬間が訪れます。
しかし、子供は親のために幸せになることは、両親ほど望んでいないもの。
あなたが幸せになるためには、自分がより幸福を感じられる選択をしてほしいと願っているのです。
親不孝だと感じている人の心理状態に、自分の行動が最もカギになることだと思い込んでいる場合も。
子供は、親のために責任を負う人生を歩まなくてもいいのです。
未成年のうちに与えられてきた愛情、そして、社会人になってからも受け続けている大きな愛を実感しながらも、自分の行動を大事にしなければなりません。
行動で親へ責任を取るのではなく、自分自身のための行いに変えていきましょう。
親不孝者だと感じてしまう人は、大切な親の存在だからこそ考えてしまう事の方が多いのです。
それでも、あなたの行動を起こした結果、生きていることで得られるものが親孝行に繋がるということを意識するようにしましょう。
自身の幸せばかりを追及してはいけない
自分が親不孝だと感じている人の心理状態は、自身の幸せばかりを追及してはいけないというもの。
本来であれば、誰かの幸せを望むよりも自分の幸福を願います。
しかし、親不孝だと感じている人の心理状態は、心のどこかで自分の幸せを抑え込んでいるのです。
「もっと幸せになりたい」と思っているのに、「私は望んだらいけないことなのかもしれない」と幸せを自分の為に追及してはいけないと感じています。
そのため、自分のことを考えるよりも親のことを考えるようになることも。
自分自身の幸せを最大限に望めない人生には、どこかに自分の感情を分散させるようになります。
それが「両親の為に」となるのです。
自分の人生のどこかで諦めている気持ちがあるから、誰かに注ぎたくなります。
それだけのエネルギーがあなたには残されているからです。
自分に向けられない感情を大切な人の為にと考えることは当たり前のもの。
それでも、自分のことに最大限のエネルギーを使い果たせば、それで不安をかき消すことができ、親不孝者だと感じないようにもなるのです。
自分が親不孝だと感じたと時の対処法
親からの愛情を感じる
自分が親不孝だと感じた時の対処法には、親からの愛情を感じることが挙げられます。
親不孝だと感じている時には、自分自身で納得のいかない出来事があり、それが親に対して「申し訳ない」という気持ちを抱くからです。
しかし、親不孝だと感じた時こそ、両親の愛情をしっかりと感じることを行いましょう。
両親はあなたが生まれた時から、毎日欠かすことなく無償の愛情を注ぎ込んでくれています。
手を繋いでくれたり、話しを聞いてくれたり、嬉しい時には一緒に喜んでくれたりと。
あなたが知らないうちたくさんの愛情を注いでくれています。
幼少期からあなたが与えられてきた親からの愛情を実感することで、自分の気持ちが前向きに変わり始めるのです。
「これだけの愛情を注いでくれたから、私は頑張らないと」と自分の人生の為に気持ちを切り替えられます。
それは、親不孝だと感じ続けてきた気持ちを親孝行に変えることができるのです。
愛情表現の仕方は様々ですが、あなたが親に注ぐ愛の表し方は、生き方そのものとなります。
それが親に対する感謝を表す生き方であり、安心させるものとなるのです。
責任感を背負わない事
責任感を背負わないことが、自分が親不孝だと感じたと時の対処法に挙げられます。
親不孝だと感じた時には、自分の責任があると悩む人は少なくありません。
しかし、親は子に対して責任を感じて生きてほしいとは思っていません。
また、あなたが責任感を抱くことで自分らしくない生き方となっている場合も。
それは親にとって辛い現実になるのです。
「好きなことをして欲しい」「幸せになってほしい」と子どもがいくつになっても願い続けるのが親。
「自分の行動で親を苦しめるかもしれない」と責任を感じ続けることは辞めましょう。
責任ではなく、希望を抱き続けることを意識し、前向きに人生を歩む方法を選びます。
そうすれば自然とあなたの表情が明るくなり、それだけで親は救われたような気持ちを抱くことができるのです。
親は大きな物事で子供から何かを得ようとはしていません。
子供が幸せそうにしている姿を見ることが最高の親孝行だと感じているのです。
人生経験の多い両親だからこそ、子供に期待を抱き言葉を掛けてくることもありますが、傷つき苦しみ続ける我が子を見るよりも笑っている姿を見る事のほうが幸せだと言えます。
出来事を話すなど会話を中心とする
自分が親不孝だと感じたと時の対処法には、出来事を話すなど会話を中心とすることです。
親はいつまで経っても子供が可愛くて仕方ありません。
子供が年齢を重ねれば、親と話す機会も減り、会話をしなくても「分かってくれる」という期待をどこかで抱いている事もあります。
しかし、親はどんな状況でも子供の生活や考えていることを気にしています。
両親との何気ない会話を増やしていきましょう。
家を出ている人は定期的に、親へ連絡を取り、声を聞かせてあげる。
これは親だけではなく、あなた自身の気持ちにも変化をもたらすことができるのです。
声を聞き、話しを行うことで気持ちに余裕が生まれます。
それは、大事にしている相手であり、自分の大切な人だからこそ効果のある方法です。
あなたが連絡して喜ばない親はいません。
要件がなくても、「最近どうしているの?」と会話を持つことで、自然とあなたの抱く感情にも変化が訪れるのです。
気持ちを行動に移すことは、どれもが大きなものでなくて構いません。
小さな事であっても幸福を感じられるにが、親子関係にある特別な愛情なのです。
僧念師匠のワンポイントアドバイス
親不孝者だと感じ、そこから抜け出すことができずにただ苦しむばかりの人は少なくありません。
しかし、親不孝だと感じている子供の大半は難しい状況で、親を幸せにしようと考えています。
これまでの考え方を変え、新たな考え方を持つことでさらに親子関係を深めることも叶えられるのです。
親不孝だと感じているのは、子供の方だけだと感じている状況は珍しくありません。
親は、子供が生きている、この世で頑張ってくれている事実がそこにあるだけで十分な親孝行だと感じられています。
あなたの親に対する愛情の向け方、考え方を改めてみると、もっとお互いに幸せを感じ合えるようになるのです。