
「生きてる意味が分からなくなっている」「生きてても楽しいことを感じられないから、この苦痛な日々に意味を感じない」「私が生きている意味を誰かに教えてほしい」と悩んでいるあなた。
生きる意味を人生の中で常に模索し続けている人は、たくさんいるものです。
人間に与えられた命の中で、生きる意味を見つけ出すことは非常に難しいものではありますが、誰かと悩みを分かち合うことで「生きる意味はあったんだ」と感じられることがいくつもあります。
あなたの生きる意味が見つかるメッセージ、名言とその意味もご紹介するので、何か一つでも心に残り、「もう少し生きてみよう」「こういった考え方もあるんだな…」と感じてもらえることができれば幸いです。
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「生きてる意味がない…意味がわからない…意味がほしい…」と思う方のご相談
「もう私には生きてる意味がない、ただの地獄の日々でしかない」(20代/女性/J様)
「やった!」と心から感じられることがあった時、昔はもっと素直に喜べることができたし、純粋にその事に幸せを感じられている時もありました。
だけど、大人になるにつれて良いことが起こった後には、それ以上の苦しみを受けないといけないということが分かってしまったのです。
そのきっかけとなったのが、就職活動をしていた時。
1年前、私は、就職活動をし、ずっと目標にしてきた就職先に入ることができました。
内定をもらった時には、本当に嬉しくて、涙したぐらい心の底から「頑張って良かった」「ここまで我慢してきて報われた」と感じていたのです。
しかし、その喜びは一瞬にして崩れ散っていきました。
就職活動中までは、両親や恋人、友達との関係も上手くいっていて、悩み事と言えば夢だった会社に入れるのかという不安ぐらいだったのです。
それなのに、私が内定をもらったことを伝えると、周りはどんどん離れていくようになりました。
応援してくれていたはずの両親さえも「給料が入ったらすぐに家を出て」「ここまで育てたんだから」とこれまでの事が嘘かの様に豹変してしまったのです。
両親に突き放されても、夢が近づいたことでどこか自分の中で「何でもできる」という自信があったのか、その時には、親の大切さを感じることができませんでした。
そこからは、恋人とも上手くいかなくなり、高校生の頃からずっと付き合っていた彼氏とこのタイミングで別れることになったのです。
「話をしたい」と言っても、「もう終わりだからいいでしょ」の言葉しか返ってこず、何が何だか頭が追い付いていかなくなりました。
会社の入社式を終えて、初出勤を迎えた日、私は、嬉しさで胸がいっぱいで、色々なことに希望を抱いて、仕事に向かったのです。
ですが、ここからが本当の地獄の始まりでした。
何をやっても上手くいかず、同期で同じところに配属された男性は、すぐに会社の人とも打ち解けられていて、私はそこに居ないかのように扱われていたのです。
その悩みを相談する相手もいなくて、両親の顔を見ては「絶対に辞められないな」と感じる日々でした。
本当に会社に行くのが憂鬱になってきたとき、「これがイジメなんだ」と気付かされる出来事があったのです。
私のデスクに置いておいた仕事で使う必要な道具がなくなり、ロッカーの物が以前から無くなっているのも「どこかに置いたのかな」ではなく、「誰かにやられてたんだ…」と気付き、その場にいるだけでも苦しくなっていました。
それでも会社を辞めることができなかったのは、この頃は家探しも同時に行っていたからです。
これ以上環境を変えてしまうと、誰とも本当に関わり合いがなくなるため、「怖い」と感じていましたが、両親は私が家を出ることを待ち望んでいるように見えて、「もう少し家に居させて」という事を言い出せませんでした。
引っ越しも終わり、落ち着いたころ一人の上司が話しかけてきてくれ、それが何日も続いたことで嬉しくて、頑張ろうと思えることができたのです。
しかし、その人が私の元カレと交際していることを知り、既婚者のその女性は元カレと不倫関係…。
私と彼の事を知っているから、探りを含めて声をかけてきて、最近の事を「聞きだして来てたんだ…」と知ると虚しくなり、ここまで悪い人生ないよねと感じながらもう心が苦しくて堪らなかったです。
私は何も、誰かの気に障るようなことはしてきていないのに。
両親も元カレも、会社の人達も誰も私の話しを聞こうとしてくれない…。
もう次第に生きている意味がないと感じ、完全に心を閉ざしてしまったのです。
両親からの電話も出れる心境ではなくなっていましたが、だからと言って心配して家に押しかけてくることもなく、その現実が私に「いないのと一緒」と痛感させます。
徐々に会社を辞めるという考えもなくなり、ただ必要最低限の事をして、呼吸しているだけの生活。
誰にも求められない、求める相手がいないことがこんなに苦しくて、生きる意味さえなくしてしまうものだとはこれまで気付くことがありませんでした。
もう今は何をされても、言われても「私はいつ居なくなってもいい」と考えるようになったことで何も感じなくなっています。
私に何も取柄がなく、何も上手くできない事はわかってる。
だけど、生きる意味が何もないのは、もう死んでるのと同じ。
もう何もなくなった私には、希望を持つことも、感情が揺さぶられることもなく、ただ息が途絶えずに続いているだけ。
死ぬのが怖いから、でも生きるのも辛い。
「生きてる意味がわからない…病気は情けない」(50代/女性/M様)
その日、孫が病室に来てくれて、いつもと変わらない笑顔に癒されながら、私自身も頑張ろうと思うことができました。
だけど、入院生活でも食事療法や運動方法などばかりで、特別な治療法はなく、ただの勉強をしに来ているみたいで…。
その現実も情けなくなった原因です。
これまで仕事ばかりで、食事を取るタイミングもバラバラで、帰宅できるのもほとんどが深夜の時間。
この生活をずっと続けていたから苦痛に感じることもなかったのですが、なんの刺激もない入院している今の状況の方が私にとっては死んだも同然だったのです。
徐々にここにいる意味が分からなくなりつつありましたが、この時はまだ、生きていることに苦痛を感じてはいませんでした。
毎日何もすることのない病室でボーっとして過ごすだけ。
退院が決まってから、私は本当に嬉しくなり、その事ばかりを考えていました。
だけど、この考えの甘さが自分を苦しめることになり、娘や孫に迷惑をかけることになったのです。
退院してからちょっとの期間は、薬の服用、自分でインスリン投与や血糖値を測ることもしていました。
ですが、仕事に復帰するようになってから忙しさから薬を忘れることも多く、病院の通院すら行っていなかったのです。
そんな時、私が孫と娘と出かけた時、車の中で急に体調が悪くなり、寒さと手足の震えで恐怖を感じました。
楽しい最中に低血糖を起こしていたのです。
娘の早い処置がなければ私は、大変なことになっていたと思う。
その数日後、動けなくなるまでの腹痛が襲い、それが3日間続いたため病院に行くことにしました。
便秘が原因、ちゃんと噛めていないことで排便がきちんと出ていないことを言われ、もう恥ずかしいのと情けないのとで胸がいっぱいだったのです。
その数日後、便が出ないことで再入院となり、今度こそちゃんと自分の体の為に勉強しようと思っていました。
もうこんな情けないのは嫌だと感じ、前向きに自分の体と向き合うことにしたのです。
だけど、退院してから何もやる気が起こらなくなり、誰にも会いたくないとすら感じています。
娘と一緒に暮らしているけど、孫が久しぶりに来ても笑うことができない。
私の頭の中には、自分の情けないところや出来ない事ばかりが巡り、だんだん自分という存在が恥ずかしくなってきたのです。
病気になっている自分、薬がないと生きていられない自分、薬に管理され自分を保てていない、ストレスを感じると血糖値が悪くなる、食べても飲んでもいつも気にしないといけない…。
こんな疲れる生活を繰り返すことを考えると頭が割れそうなほど、痛くなりました。
自分は、薬に生かされてるけど、本当に生きる意味はあるのかな…
なんでここまでして生きることにこだわっているんだろう。
もう十分色々してきたんだから、何も求めることは今更ない。
生きる意味が分からなく、ただ薬に生かされている自分が惨めで情けなくて、辛いです。
「何も考えないでいい、ただ生きてる意味が欲しい」(30代/男性/F様)
何も辛い経験がないことを「良いね」と感じる人はいると思う。
だけど、俺からすれば何もない人生ほどつまらないことはない。
何をしても普通に人並にこなせる、努力しなくても大抵のことはできる、全部が普通だから欲張って一番を狙いたいと思うこともないのです。
今までは、この人生でも自分なりに楽しくやっているつもりだった。
だけど、30代になり、みんなそれぞれ沢山の経験をしてるから、それがあることで魅力的だとも感じるし、「この人、気になるな」と相手を知りたくもなる。
その人と出会って、俺は自分が生きている意味があるのか考えるようになったのです。
小さい時から様々な経験を積んできている彼に比べ、俺は何もできないし、自慢できることも失敗談もない。
そのことが恥ずかしくなって、普通ならそれでいいのかもしれないけど、俺はこの現実が本当に嫌になり、生きている意味がないんじゃないかと考えるまで至ったのです。
本当に生きている意味が見つからなくなり、特にしたいことも叶えたい事もない。
それをその人に相談した時には、「経験を積んだら、これをやりたい、叶えたいという欲が自然と湧き出てくる」と言われた。
俺は、本当に欲を何も感じないし、ただ生きているだけで、意味もなく、やりたいこともなく、ただ生きているだけ。
そんな自分が恥ずかしくて、何か欲しいと願ったけど、そんなのすぐに与えられるわけでもなく…。
何かに挑戦しようとしても意味を見つけられない…。
もう自分には何も可能性がなく、生きている意味を見つけたくても見つけることが出来ません。
何かの為に自分が一生懸命になれること。
何かを全力で守りたい。
そういうのを見つけたいけど、もう叶えられないのかな。
生きている意味を探すのは本当に難しいよ。
だから欲しくなっているんだと思うけど、意味がないと生きる気力って失われていくんだよ。
ただ無駄な人生になってしまうから。
もう終わりでいいかって…。
「生きてる意味がない…意味がわからない…意味がほしい…」と思う方への僧念師匠のアドバイス
J様へ「今からがあなたを変える希望に変えられる」

J様が経験されていることは、簡単に忘れることのできない、癒されるものでもなく、決して許すことのできないことだと思います。
しかし、今のJ様は、以前よりも苦しい状態というよりも、どこか過ごしやすさを感じている部分もあると思うのです。
それは、これまでの経験が辛くJ様の生きる意味を失わせてしまった原因だとしても、これまでの人間関係はすべて切れている状態。
つまり、あなたはここから再スタートを切ることができます。
いくら苦しい中で生きる意味を探しても、なかなか見つけることはできません。
新しい環境までとはいかなくても、過去を捨てる勢いで、J様の心を解放しましょう。
辛いことも、苦しいことも、一度ここで全て捨ててしまいます。
そこから新しい未来に向けてゆっくり歩んでいきましょう。
生きる意味は、誰かがもたらすのではなく、自分から見つけ出すために行動を行うことも大事です。
それが、過去に縛られないということ。
嫌な思い出が頭を巡ることで、本心を隠し続けてしまうことがあり、J様が素直に生きることができなくなります。
誰かに怯えて、苦しんでしまうばかりは、自分を見失ってしまう原因になるので、早めに心を解放していきましょう。
心を解放することで、新しい感情が芽生えてきます。
それが生きる意味を見つける一番の近道となるのです。
キャロル・バーネットの言葉に”私の人生を変えられるのは私だけ”という名言があります。
J様の人生は誰かの手によって染められることもなければ、あなたが誰かの人生を染めることもできません。
それは、行動ではなく、心である魂の動きです。
その時の感情に流されることはあっても、あなたの魂は常に同じことを求め、それだけの為にどんな苦しいことも乗り越えられる力を秘めています。
J様はその力があることを知り、もっと自分自身の魂を誇りに感じ、信じてみましょう。
そうすると、生きる意味を探すことばかりでなく、今の自分自身の生活を守りたくなるのです。
M様へ「病を患った時こそ改めて感じられる大切なものが近くにはあるのです」

病気を抱え、それでも常に平常心でいることは大変で、時には弱音を吐き出し、一緒に笑い合ってくれる存在は必ず必要になります。
”人生は辛いことの繰り返し。でも一瞬の喜びや瞬時の楽しみの為に皆一生懸命生きている”という、中居正広さんの名言が残されているのです。
人生の中には、思い通りに行かないことが山ほどあります。
それが訪れる人生だからこそ、M様に周りにはこれまでたくさんの人が集まり、心配してくれる人々がそこにはいるのです。
そのすべてを病気の現実と向き合うことで忘れてはいけません。
病気になってからも、M様には喜びを感じられる瞬間がいくつもあったはずです。
その喜びは、きっと病気を患わなかったら気付けていない感情だとも考えられます。
病気や怪我は、どんなに症状が軽いものでも重たいものでも、新しい感情を呼び覚まし、あなたに本当に大事なものを気付かせてくれる大切な時期となるのです。
あなたが入院中に感じた、いつもと全く違う生活では、何が苦しくて、何に喜んでいたのか。
その答えは、きっとあなたの生きる意味を示すものなのです。
入院中は自分自身の事で頭がいっぱいで気づくことが出来ない人は、たくさんいます。
しかし、本当に大事な人、大切に守りたいものは、自分自身が一番苦しい時こそ、心に中に訪れ、姿を見せているのです。
これに気付くことができない人が多いため、人生に苦しみや苦痛を感じ、生きる意味を見つけ出そうとしてしまうようになります。
人間は、生きる意味がなくても、感じた思いに気付くことができると精一杯生き抜くことが出来るのです。
M様も薬に生かされているのではなく、あなたは周りの大切な人たちによって生かされている命だと強く感じていきましょう。
F様へ「人間に生まれてきたことを喜びだと感じることを心のどこかに残しておきましょう」

人間は、いつの間にか生きる意味や生まれてきた意味を探す、贅沢な思考を巡らせるよういなっているのです。
そもそも人間に生まれてこれたこの事実が、本当に喜ばしいことであり、きちんと喜びを感じないといけないこと。
何もできなくても、人間に生まれたこの事実が何よりの生き抜く意味だと感じます。
仏教では、人間に生まれた時にしかできない事があると言われているのです。
仏教では、”六道輪廻”と言い、生死を繰り返す6つの世界があります。
人間、地獄、餓鬼、畜生、修羅、天上。
この6つの世界を生死を繰り返しながら生きているのですが、その中でも心を動かすことできるのは人間にだけ与えられたものでもあります。
目標も何もない状態で生きることに苦しさを感じていても、そう感じられるのは、人間だけ。
人間に生まれてきていることに喜びを感じましょう。
「この気持ちを抱けるだけでありがたい事なんだ」と感じることで、F様が生きる理由になります。
絶対に何かを成し遂げるための目標を立てることだけを、生きるための意味にしなくてもいいのです。
目標を達成してしまえば、また新たな事を見つけ出さなければなりません。
そんな難しいことを行わなくとも、人間は有難い命を授かり、生きているだけで喜びを感じられる姿なのです。
どう生きようか、何を感じようかで悩み、苦しむのではなく、今F様の目の前にあるものを心で感じてください。
あなたが生きていることは、魂が前世から繋がっていることで生まれてきた命です。
そのような当たり前に感じていることこそ、生きる意味を持つものだと考えられるものになります。
生きてる意味がわからなくなる瞬間や出来事
人生の目標を失った時
生きてる意味がわからなくなる出来事は、人生の目標を失った時に多くあるのです。
「大好きな人と別れてしまった」「この夢を叶えられなかった…」と、これまで追い求めていたこと、常にあなたの頭の中を支配していた物事が打ち砕かれたとき、自分が抱えるショック状態から抜け出そうとします。
人生の目標を失った時に一番考えやすいのが、生きている意味を模索しようとする事なのです。
これは、人生の目標を失っても、自分がこの世で生きていてもいいのだと感じるための人間ならではの考え方でもあります。
そのため、生きる意味を見つけられるとその事に突っ走り、時に周囲が見えなくなるほど没頭してしまうこともあるのです。
反対に生きる意味を見つけ出せなかったとき、人は、自分の小ささ、何の役にも立たないことをヒシヒシと感じてしまいます。
生きている事だけで本当は人間は十分なほどです。
一生懸命「生きよう」とすることが何よりも、生きる意味であり、人間にとって魂の差を感じるものは何もないことを受け入れましょう。
人生の目標を失った時があなたの人生の終わりではありません。
そこからが、あなたが本当の命と向き合う大事な時間となるのです。
自分の存在価値を感じられなくなった時
自分の存在価値を感じられなくなった時、生きている意味がわからなくなる瞬間となります。
「私はなんでここにいるのかな?」「今、私はここで必要とされているのかな…」と自分の存在価値を考えてしまう瞬間は誰にでもあることです。
誰かと自分を比べてみたり、相手にとってどれだけ必要だと思われているのか知ろうとしたりと、そこに存在する意味があるのか知りたいと強く思っています。
しかし、本当はそこに正しい答えなどありません。
あなたの存在を大事にしてくれている人は、あなたに関わる人。
あなたが関わりを持つ人は、その人を頼り、その人に会いたくて、声が聞きたくて、顔が見たくてそこに来ているのです。
それは十分あなたがそこに存在しなければならない価値となります。
それでも人間は、欲を求めるため、「もっと必要とされたい」「もっと愛されたい」と願い、望んでいくのです。
自分自身の欲望が形を変えてしまうことで、存在価値を必要以上に求め、その事が生きる意味を考えさせるものに発展していきます。
存在価値を見出すことは、あなたが納得できる答えを探している状態でもあるのです。
あなた自身が受け入れることが出来なければ、自分自身がどれだけ素晴らしい人であっても、存在しないのと同じになってしまうことでもあります。
生まれた意味を考え始めた時
生きてる意味がわからなくなる瞬間や出来事には、生まれた意味を考えた時に強く感じることになるのです。
自分にとって良くない出来事が起こった時、生まれてきた事の意味を考える人はたくさんいます。
人は、誰かに求められたくて、必要とされたいものだから、孤独を感じると寂しくなり、辛くなり一番の苦痛だと感じるのです。
そのため、悪いことが起こった時には、自分にどうにか希望を持たせようと、生まれた意味を探ろうとします。
自分自身にある運命や宿命、ありとあらゆる道を考えて自分には何が残されているのか考えるのです。
しかし、自分の生まれた意味が本当にわかる人は、なかなかいません。
能力者の方や霊の見える人は、あなたの魂との対話を行い知ることはできても、自分自身で見つけ出すことはできないことでもあります。
人間はそれぞれ生まれてくる意味を持ち、必ずこの世に生を預けるのです。
生まれてくる意味を持たない命など、この世には存在しません。
あなたが生まれてくる時には、前世にやり残したことを、今生で叶えようと誕生します。
それが、運命の出会いを引き寄せたり、大きな夢を叶えたりということ。
誰もが意味を持ち生まれてくるから、その一生を一生懸命生きようとするのです。
しかし、魂は長い間、自分自身を作り上げています。
魂は、今生だけあなたということにはならず、これまでの過去ずっと自分自身を作り出そうとしているのです。
そのため、途中で目的が分からなくなり、心が彷徨ってしまう瞬間があります。
その時には、自分自身の前世、来世に向けて考えを持つようにしましょう。
何のために生きるのか…と「鬱(うつ)」になる必要のない理由
自分の居場所を見つけようとする
何のために生きるのか…と鬱(うつ)になる必要のない理由は、自分の居場所を見つけようとすることです。
人は、常に自分がどこで存在するのか、必要とされるのか常に感じていたいものでもあります。
自分の居場所がないことは、この世に自分自身がいなくても、何も世界は変わらないことだと感じるからなのです。
現代では、自分の居場所を見つけることが困難になり、どこに心を素直に吐き出せばいいのか、誰に打ち明ければいいのかさえ全く分からずに苦しんでいる人はたくさんいます。
それは、今の世界は人間が動いて言葉にして行動を起こさなくても、簡単にその代わりをしてしまうロボットや機械があるため、徐々に居場所を見つけることが難しくなっているのです。
誰かに必要とされることで、「ここが私の居場所なんだ」と感じ、やりたい何かを本気で見つけた時、その場所が本当の居場所になります。
自分の心が安らぎ、癒され、解放できる空間は今どこにでもあるものではないから、鬱病になる人が多くなるのです。
しかし、現代だからこそ身近にいる人以外でも、同じ境遇にいる人、同じ考えを持つ人といつでも繋がることが出来る環境があります。
ネットの中だけの交流だとしても、そこはあなたの本音が吐き出せ、痛みを共有し合える居場所になるのです。
逃げ道はいくらでもある
逃げ道はいくらでもあるため、何のために生きるのか…と鬱になる必要はありません。
人間は、何かトラブルがあった時の為に必ず逃げ道を必要とします。
逃げ道があるのか、ないのかで気持ちの向け方は大きく変わってくるのです。
何かがあなたの目の前で起こった時には、必ずすぐ傍に逃げ道はあります。
現代こそ逃げることは簡単にでき、それはネットの世界にもあるのです。
現実逃避できる場所。
全ての人が、本当の私を知っているわけじゃないから、ネットの中は心を癒す逃げ道になるのです。
「誰かが聞いてくれるかもしれない」「同じ感情を抱く子はこの中に必ずいる」と思えることで少なからず前を向くことが出来ます。
それはあなただけでなく、ネット上で会話している人、人の本音を聞いた人、あらゆる人が逃げ場を求め、誰かの逃げ道になればと望んでいるのです。
お互いに助け合っている現実、鬱にならなくてもいい最大の理由となります。
求められ、あなたも求めているのだから、一人で苦しんでいる人と分かち合う勇気を持ちましょう。
自分から愛することを学ぶ
何のために生きるのか…と鬱になる必要のない理由は、自分から愛することを学んでいくことです。
「もっと愛された幼少期を過ごしたかった」「なんで私は愛されないの…」と誰かに愛されることを求める人は、たくさんいます。
誰もが愛されたくて、誰かの目に留まりたくて、一生懸命になっていることもあるのです。
それが親の前であったり、好きな人の前であったりと様々。
しかし、人に愛される事ばかりを望み、自ら深い愛情を注ごうとしない人はたくさんいます。
誰かに愛されることばかりでなく、自分から「あの人のここ好きだな」と思いを抱くことからでも愛することを学んでいきましょう。
人の良いところ、好きになれるところを探すことは簡単に出来ることではありません。
自分とは全く違う人を受け入れ、そこを良いと思えることは、誰かを受け入れることのできる心の持ち主です。
悪い方向に物事を考える習性を身に着けるのではなく、人と自分の違う点を見つけ、そこで何が違うのか感じ、生きている実感にしてください。
そして、愛を持ち接することができれば鬱にならずに気持ちを前に向かわせることができます。
難しい心の変化ですが、一つでも出来るようになれば、苦しむことなく進んでいけるものでもあるのです。
難しく考えすぎずに、「あなたのここが魅力的」「この仕草、私好き」と相手に伝えなくても自分の中で見つけて秘めておくところから始めていきましょう。
素直に自分の好きなところを発見できることは、一人で悪いことを考えすぎない為の予防にもなるのです。
生きている意味に対しての知識人の答え・名言【あなたの生きる意味が見つかるメッセージ】
江原啓之
生きている意味に対しての知識人、江原啓之の答えは
「誰にも理解されない…とふてくされてはいけません
あなた自身がまずあなたを理解し一番の味方になることが大事なのです」
と名言を残しています。
自分の考えややりたい事を理解されないと、ふてくされてやる気が起こらなかったり、全く違うことを考えてしまうことがあるのです。
それは自分自身が一番信じないといけない、自分を信じていないからでもあります。
自分の考えはあなただけが本当に強い思いを抱き、突き進む勇気を持っていれば何も問題はありません。
しかし、誰かに認められようと自分よりも先に他人に目を向けてしまうから、あなた自身は自分は理解されないと不貞腐れてしまうのです。
まずは、あなた自身が一番の自分の理解者であり、味方となってください。
そうすれば生きる意味を問う事よりも、先にあなたが思い描くことを叶える希望を全うすることを望むようになります。
自分を信じることができ、味方になれる勇気が出てくれば、自然と生きる意味を考えなくても「生きよう」と感じるようになるのです。
ハーバラ・ブラハム
「たいていの人は ほんとうになにがほしいのか、
心の中でわかっています。
人生の目標を教えてくれるのは直感だけ。
ただ、それに耳を傾けない人が多すぎるのです。」
という言葉。
人間の大半は、自分が何を望み、何を得たいのかは分かっています。
しかし、それに気付かないふりをし、誰かの目に止めることができたのであれば、それは一つの望みでもあるのです。
人間は欲深いからこそ、誰かを求め、そこに執着してしまうことがあります。
自分で感じていることも、相手に何を望んでいるのかも、自分自身できちんとわかっているのです。
直感で感じられることがあっても、それに気づこうとしないのが人間。
人生の目標を教えられるという事は、その事実から逃げられない気がして恐ろしいから、人は、その直感を言葉にすることを拒絶します。
直感が教えてくれる言葉に耳を傾ければ、あなたの人生の目標を簡単に見つけ出すことができ、それが一番の生きる意味になるのです。
しかし、それを知ってしまえば、それを成功させなければいけない、自分の目標として達成しなければいけなくなると感じてしまうため、逃げ道を選択してしまいます。
どれだけ逃げてもいいけど、最終的には、自分の感じている心の声を届ける大切さを感じてほしいのです。
武者小路実篤
「人生は むつかしく解釈するから 分からなくなる。」という言葉があります。
人生の中で生きる意味を探し求めるという事は、何よりも難しい自問自答となるのです。
単純に考えることができれば、命を授かったから生きていると考えればいい。
しかし、そこに難しい問いを向けることで、「私には何の為にいきているの」「私に残されていることはなに?」と出るはずのない答えを探すことになるのです。
それが生きるために必要なものであり、自分自身を守るものになるから、その答えが欲しくなります。
それでも難しく考えすぎて、分からなくなるよりも簡単に考えてみる方が、安心できるものを得られる可能性はあるのです。
人生の目的にはっきりとした答えはなくても、死を選択することが怖いから生きている。
息をしているから、今を生きることができている。
という言葉はよく見かけます。
本当に簡単に考えれば、このような答えになるのです。
生きる意味を探すことよりも、目の前にある命を大切にすることを真っ先に考え、行動を考えてる余裕を持つことも大切になります。
人は、心の余裕がなくなると一気に感情が失われ、気持ちが追い付かなくなります。
そのためにも難しく考えないことが救う道となるのです。
僧念師匠のワンポイントアドバイス

生きている意味は、今を生きる人々の誰もが想像しがたい現実でもあります。
仏教では、生きる意味そのものを知るためにお釈迦様が残されているものはいくつもあるのです。
仏教こそが生きる意味を示すものであり、それを見つけ出すために力を尽くしたのがお釈迦様となります。
人間の生きる意味には、それぞれの捉え方によっても違ってくるのです。
まずは、あなたが人間としてこの世に生まれたことに感謝しましょう。
同じ魂であっても、必ずしも人間に生まれてくるとは限りません。
六道のどの世界に向かうのか分からないため、ここ、人間で生まれてこれたことに感謝し、前世からの願いを唯一叶えられる力を与えられているのです。
この魂が来世にも続くことを心に秘め、今を生きる意味にしてください。