「私の最近考えている事の多くが死です」「寝る前に目を瞑ると死を考えて怖い…」「死ぬ事を考えて怖いと感じてしまう時の対処法ってすぐにできるものもあるの?」と気になるあなた。
普通に過ごしている中でのふとした瞬間に死を想像して恐怖心が芽生えてしまい、悩み、苦しむ人へのアドバイスと対処法をご紹介します。
死の恐怖は突然心の中で抱き始めることも。
しかし、まだ経験していない命が絶えずある方にとっては、死の世界やそこに辿り着くまでの恐怖には計り知れない思いを抱くことがあるのです。
一度、自分が死ぬ事を考え、それが毎日のように考えることになれば、日々の生活に支障をきたす可能性も少なくありません。
死を感じ、怖さやどういった時にあの世に行くことを考えてしまうのかを、相談者の方のお話を交えながらアドバイスをお伝えします。
死を感じる恐ろしさは年齢別で違ってくるもの。
その違いを知り、あなたが人生を進める時に感じる一つの参考にしてください。
対処法をぜひチェックしてもらい、あなたの精神的に抱えている不安を取り除くことができれば幸いに思います。
目次
「死ぬのが怖い」と思う方のご相談
「人の死から自分の事を考えるようになりました」(20代/女性/H様)
今までは毎日が楽しくて、感情の起伏があったとしても、自分に命があるからできるという当たり前のことにすら、恥ずかしながらこの歳になり気付かされたのです。
亡くなった友達とは、よく遊びにも出掛けてきた相手であるからショックで立ち直ることができていません。
自分の中で整理がつくどころか、大事な友達を失ったショックが大きいです。
事故で亡くなった友達には、大好きな彼氏もいて、彼女が大切にしてきた大きな夢もありました。
彼女との別れの日には、今までたくさん話してきたことが走馬灯のように私の脳裏に流れ、「どうして…」という気持ちばかりが浮かび、掛ける言葉が見つからずその場で泣くことしか出来ませんでした。
彼女の死をきっかけに私は、睡眠の質が悪くなったのです。
私は今まで死ぬことを自ら望んだことはありません。
できれば考えたくもなくて、今は死なんて自分が受け入れられないことだからこそ、脳裏には浮かんでほしくないことです。
考えたくないと思っても、自然と目を瞑れば自分が死ぬ前の出来事やその瞬間、後のことまで考えが巡ります。
今でも毎日この事が続いていて、時には朝起きた時点で、「生きてたんだ」と錯覚を抱くこともあるほど。
「こうはなりたくはない」「あの人を失いたくない」「今やっていることがすべて失われるもは耐えられない」という死への恐怖心。
それとは別に「私が旅立ったことに気付いてもらえるのかな」「悲しんでくれる人は誰なのかな」「誰か一人でも良いから私の死に目を触れてくれる人はいる?」などと考えてしまいます。
自分の気持ちが死ぬことに向かっているような感覚に陥ることもあるのです。
誰も助けてくれないような気がして、孤独だと感じてしまいます。
何をすれば自分が死なないのかをいくら考えても答えは見つかりません。
まだ24歳の私には、死ぬことほど現実からはかけ離れているもので、何処かでは自分には関係のはないことだと考えていました。
それなのに、ここにきて私が考えをめぐらせ続けていることが死への恐怖。
その気持ちはどんどん大きくなっています。
いつかの日に考えてしまったことが起こる気がして、思いっきり楽しむことができなくなりつつあるのです。
人はいつか孤独になることは知っています。
「病気になったら…」「事故に遭ったら…」「誰かに殺されたら…」と様々なことを考えて眠ることができません。
今の状況が苦しくて、死を考えながらも前向きに自分の事を意識させることができれば簡単に打ち砕けることだと思います。
余裕のない心に、見たこと、考えたことが自分の中にスッと入ってきて、そこから逃げ出すことができません。
死ぬことが怖いし、何も残らなくなることが辛いです。
ただ茫然と今は自分を見失いかけている気がします。
人の生きることには死が隣り合わせになることは分かっているのですが…。
考えが巡る自分の思考を他人に話すこともできません。
ただ日々を繰り返すだけ…。
そこに何かを求めることを忘れてしまいそうで、本音は誰かにこの日常から引き離してほしい。
死に怯え、ただただ自分の心が腐り続けるようなことはしたくありません。
私にはなりたい事も楽しみにしていることもたくさんあります。
確かに、友人の死は悲しく立ち直るには時間も必要で、一人では難しいのかもしれません。
だけど、死を考えない私にとっては現状が心を苦しめています。
「死を受け入れるというのは年齢ではないのかもしれない」(50代/男性/J様)
悪性であるため、もう死と向き合う覚悟が必要であることは承知の上。
がんを宣告されてから、奥さんや子供たちとも色々な話しを重ねてきましたが、自分の中で死を想像することだけは避けていたのです。
この世に何としてでも魂も肉体も残しておきたい思いと、今の状況をこのままにして私が先立つことはしたくない思い。
これが私の我儘であることは承知です。
しかし、がんになって初めて、「自分が明日にでも死ぬかもしれない」と考えると、反対に「まだ生きていたい」と考えるようになりました。
ドラマや映画で見ているように自分の死を受け入れて笑顔なんて浮かべることはできないし、「申し訳ない」という気持ちが強くなるばかりです。
自分が死ぬことで家族に与える影響は何があるのか。
私のすべてが死で終わるのならば、ここから何をしておくべきなのか。
自分の欲が出てきて、気持ちを保つことも出来なくなります。
病室のベッドで一人になればふと考えるのです。
「この先私はどうなるのか、家族の未来は?」と。
私が弱いと言えばされまでだけど、自分の命が経つことを考えられずにいるのも事実です。
死ぬ痛みよりも、自分がどうなるのかという恐ろしさとここに居させてほしいという寂しさ。
我が子の将来を見ることができないことを考えると不甲斐なさでいっぱいになります。
まだまだ家族は一緒にいるのに、私だけがそこにはいられない辛さも正直苦しいです。
私が死んだあとは、本当に家族の事を見守ることができるのか、それでも死ぬことは孤独以外の何ものでもなく、一人ぼっちになるように感じます。
一人になると深い部分にまで考えが行ってしまい、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまうこと、そして私は何をすれば良いのか分からなくなるのです。
病気に打ち勝つことはできないし、それならば死を一刻も早く受け入れる必要があるのかもしれません。
死ぬことで私の何もかもを、家族に押し付けてしまうようで。
人間は体がなければもうどうしようもありません。
だから、死にたくないし、死がすぐそこにあることを考えると怖くて仕方ないのです。
死んだことで報われる何かがあるのかを知りたい気持ちがあります。
何もわからない世界に行くことほど恐ろしく、反抗したくなる気持ちを抱くことはありません。
どんな行いをしたとしても必ず人には死が来るから、抜け出せないものですよね。
それでも死を怖いと思う人は、どんな事を希望として抱けばいいのですか?
家族を置いていくのは苦しい。
私には受け入れるほどの器量がありません。
どのようにしたら死を理解できますか?
死を考えることが今の私に伝えてきていることは何なのか教えてください。
前向きに頑張りたい気持ちはあります。
「病気が絶対に治る方法」とまでは言いませんが、気持ちを保つ続ける支えが欲しいです。
「自分の人生の終わりが見えることがこんなにも苦しくて辛いものだとは知らなかった」(30代/女性/E様)
私が「死にたい」という願望を持つわけでもないのに、どうしてこんなにも死を考えるのかが不思議でなりません。
普通に生活をしていて、身近な人の死に直面しているわけではないのに、死が目の前にある感覚があります。
望んでもいないことを考えてしまう私の思考に追いつかないと感じることも少なくありません。
酷い時には、死ぬ直前に私が娘に対してかけている言葉や夫に対して話さないといけないことも考えています。
どうして自分が死ぬことを普通の生活の中で突然考え始めたのか…。
最初の頃は、子供を産んだことによる責任感としてのことなのかなと考えることも。
しかし、もう子供を産んで7年が経ちます。
これをしている最中という限定された時ではなくて、何気なく会話をしている時や家族で出掛けて楽しくしている時など、本当に様々な所で考えます。
「死が目前」「身近な人がそうなったから」と死を感じたことによる考えであれば納得できることです。
ですが、私には思い当たる節がなく、毎日毎日と続けば、本当に自分が息をしているのかと疑うことも増えてきました。
子供の体を掴んで生死を確認したり、私に痛みを感じさせてもらうように促したりなど、不安が付いて回ります。
私も年齢を重ねる事に不安が募る状況です。
どうにかして変えたくても、無意識のうちに考えている事をかき消すことが難しくなかなか上手くいきません。
「ストレスからなのかな?」と病院に相談に行ったこともありますが、何も対処してもらえることはありませんでした。
心が疲れてしまいます。
「お母さん大丈夫?」と娘に聞かれても不安を煽るような言葉を言うこともできず一人で考えるばかり。
ただ楽しく毎日の生活を送ることができるようになりたい。
普通に日常生活を送ることはこんなにも難しく、考えなければならないものだったのかな?
以前の自分を思い出せなくて辛くなる時もあります。
それが大切なものを失っているわけではないからこそ、私が私でいられなくなることに恐怖を感じているのです。
どうにかして状況を取り戻そうとしても、訪れるのは死の考え。
このまま本当に私の命は途絶えるのではないかと不安でなりません。
助けて欲しくても、どこに駆け込めばいいのかすら分からない現状に嫌気が指します。
もうどうにもならない現実を失ってしまった方が良いのかな…。
死ぬのが怖いと思う方への僧念師匠のアドバイス
H様へ「あなたの人生は今がすべてとはなりませんよ」
H様はご友人の死をきっかけに少し早いご自分の死を考えるようになられたのですね。
あなたの今後の人生で後悔なさらないようにとご友人が残された一つのメッセージでもあります。
人はご自分の経験のない未知なる世界にほど、恐怖心は強まり、それを解消できないからこそ不安や孤独が起こるもの。
しかし、今普通に生きている実感を得られているH様にとっては、死を考えるほど耐えがたいものはありません。
想像もつかない、だけどそれが現実となりいつかは自分の身に起こること。
だからこそ、他人事では済まされなくなります。
”毎晩眠りにつくたびに、私は死ぬ。そして翌朝目をさますとき、生まれ変わる。”というガンジーの言葉。
朝の目覚めはあなたの一日のスタートではなく、人生の始まり。
そして、眠るときには、十分やり切った気持ちで寝ることが大切です。
一つあなたの考え方を変えてみる事をしてみてください。
死を考えることは決して不幸を感じさるためのものだけではありません。
H様がたった一度きりの今しかない自分だけの人生の中で何を残すことができるのか、または、何を求め、吸収しようと志すのかが大事なことでもあります。
人は人生に目的を持ち、この世に生を受けるのです。
一日を大事にしながら、生を全うするということがどれほど大変な事なのか、思い通りとはいかないものなのかを今身を持って経験している途中。
H様の一日ずつ過ごす日々をその時間が限りあるものの中にあることを意識しましょう。
一日の終わりには、H様が大事にする日常を進めることができます。
目覚めた朝には、自分の人生が新たに始まるという気持ちを大切にしましょう。
大変なことは、あなたの日常が何も変わらないと感じる、小さな幸福を感じること。
H様が「気持ちいい」と感じられる行動を持つことで、恐怖心を抱いていたことへの考え方が変わり始めます。
己の人生に大切なものを残すために欠かせないものだという心を保つことをしましょう。
J様へ「人はみな欲を抱き、欲望の中で大切なものだけを宝物にしていく」
J様にとっては、欲を抱きながらも今求めていることがご自身の死を受け入れる覚悟。
しかし、人はいつか必ず死を迎え、生きてきた道のりに考える時間がもたらされます。
それでも死を迎えることでJ様がこの世で貫いてきたことも、後悔していることも冷静に判断することができるのです。
人間は死を考え、最も人生の中で苦しいことを受け入れる時ほど、自分自身の欲が勝り、何かに縋りたくなる思いを抱きます。
誰かに甘え、自身の欲を吐き出すことは決して行ってはいけないものではなく、それがかっこ悪いことにもなりません。
”たくさん経験をしてたくさん苦しんだほうが、死ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。逃げていたんじゃあ、貧相な人生しか送れませんわね。”という瀬戸内寂聴の名言。
一生懸命生きている人ほど、人生の終わりが見え始めた瞬間に、果たしたい事やこの世に残るものに欲を見せます。
J様が抱く深い愛情です。
人生に対する欲望は、J様が逃げていることにはなりません。
愛情を抱けるものは、さらなる幸福を感じさせたいと願うのです。
奥様という人生を共にしてきた人。
病を克服できない現実であっても、J様だけが残すことのできるもは必ずあります。
その一つ一つを決して見失うことなく、大事に伝える愛情を抱き続ける精神を忘れないでください。
病気になって気づいたことがあるように、種類は違うものですが、死から学ぶ人生においての素敵な教訓があります。
J様が悔いのないように、今感じている欲をきちんと伝えなければならない相手に言葉にして伝えることをしてください。
愛情深いJ様だからこそ、決して自分の気持ちを吐き出さないことをしてはいけません。
これまで出来なかったことにどれほどの気持ちで向き合うことができるのか、そこに自分自身がどこまで食らいつけるのかの大切さ。
J様が周りの人との絆を再確認する時となります。
大切にしている事は個々に違いがあり、そこには思い入れも確かに違うものが込められているのです。
J様の強い思いが大切な人にしか届かないように、あなたの愛情は深くかけがえのないものとご家族は感じます。
だからこそ、愛のある行動だけでなく、言葉や伝えようとする意思を見せておくようにしましょう。
その気持ちはいつか伝わり、J様の存在が見えなくなっても相手の中から失われることはありません。
愛情は大きな奇跡を呼び起こし、魂だけとなっても決して失われないものが存在します。
E様へ「生きることへの関心をより抱くことを意識しましょう」
死を考えることがご自身の中でどのような徳になるのかとE様は考えているのですね。
確かにご自身の生きている事に「どうして」「何がいけなかったの?」と考えが及ぶ事もあるのです。
生きるために必要なことを今は見ているのだと考えるようにしましょう。
E様の人生に大きくて大事な物事が目の前に運ばれてきたことで考え直すきっかけを仏に与えられています。
”人は決して死を思考すべきではない。ただ生を思考せよ。これが真の信仰である。”ベンジャミン・ディズレーリの言葉。
人の思考はありのままに感じると余計な気持ちが膨大するだけ。
ただ、考えを真逆に変えることで見えてくるものが変わります。
死を考え苦しむのではなく、「死の恐怖」を感じたのならば、生きる意味を深めていきましょう。
生きる意味を深めることで、死を考えることもE様のプラスとなるのです。
死ぬのが怖い理由
たった一人取り残される
誰も知らない何も見えない世界にたった一人取り残されるのは、死ぬのが怖い理由。
「死が怖くないと言ったら嘘になる」と考えたくもない人。
人生に終わりを告げ、新たな道に進むという考えを持つことができるのも死。
しかし、人間の多くは死ぬことで自分がどのようになるのかが分からずに心を傷めつけるのです。
目に見えない、何なのかも分からないものにほど恐怖心を強くします。
何気なく過ごしている人生でも、死が迫った時には、「怖い」「死にたくない」と藻掻くもの。
死が何なのか、何を意味するのか、どこにいるのか、ハッキリとした答えが一つとはならいなからこそ、人は不安に駆られます。
何も見えてこない真っ暗な世界に一人だけ取り残されることは誰も望まないこと。
自ら命を絶つ者であっても、恐怖心が消されることはありません。
何一つ知らなくて分かることも何もないあの世に潔く逝くほど、人間は逞しくなく、一人で立ち向かうほど強い心を保ち続けることはできないから、自然と眠りに着く手段を最終的に使うことも。
考えが深くなるほど分からない死後の世界には、興味本位で向かう人はいないのです。
何も見えない世界に一人で立ち向かうことほど恐ろしいと感じることはありません。
恐れだけではない見えないものは怖いと感じる十分な理由です。
生きることへの執着心
生きることへの執着心というのは、死ぬのが怖い理由に挙げられるのです。
生きていると人生の中で楽しいことや大切なものが徐々に見つかるようになります。
「まだ楽しみたい」「結婚だけはしたいし、その先の孫も見たい」と物事への追い求めるものの質が変わるのです。
色々な経験を経て、ある物事に辿り着いたとしたら、あなたが見える景色は当初のものとは別物。
人間は執着を強めながら人生を謳歌します。
「生きている今こそ楽しい時だから」「死ぬことが怖すぎて考えたくもない」と気持ちがはっきりしてくることも。
日々の行いから常に人間は、生死を考えることになるのです。
誰の記憶にも残らないと感じる
死ぬのが怖い理由、それは誰の記憶にも残らないと感じることだと言えます。
「誰にも求められない結果が記憶に残らないことだと感じてしまう」「私がそこに存在したことを覚え続けて居てくれる人なんているのかな」と考えてしまうのは当然のこと。
人間は誰かの為だけに生きることをしなくても、この世に「自分」という存在があったことを失いたくはありません。
自分の息が途絶えた時、誰が葬式に来てくれ、その後に手を合わせに来てくれるのかまで考えが至ることも。
肉体が消えることでこの世への言葉を掛けることができないからこそ、見えなくなる自分の存在の大きさを知ります。
存在がそこにあれば、求められるのです。
存在がなくなり、日数が経てば今ほど求められることはなく、誰かの心の中に残り続けていく自信を持つことができません。
人の心の中が本心としては見えてこないからこそ、あなたの気持ちが乱れるようになります。
年代別に感じる死ぬのが怖いと思う瞬間
10代が死ぬのが怖いと思う瞬間:希望に溢れている
希望に満ち溢れている10代は、死ぬのが怖いと思う瞬間にやり残したことを考えるのです。
10代は、まだまだ人生がこれからという時期で、周囲の大人の姿を見て、憧れの気持ちを大きく膨らませている最中。
そのため、いざ目の前に死が訪れてもこれまでの行いを後悔することはありません。
まだまだ経験不足で何も手にできていない10代は、死を考えることが自らの思考としてあったとしても、周囲で気を惹くものがあれば気持ちを持っていかれるほど心は純粋です。
だからこそ、死ぬという瞬間を想像しても、「まだ私はこの世界で生きたい」と気持ちを保つことができます。
10代が抱く望みは、生きる力となりそれが勇気になることも。
死ぬことが迫ると、この世に対する念が強く残されるのも事実です。
そのため10代は希望を念として残し、この世を去るものが多くいます。
怖くてもまだ掴めていない望みに気持ちが集中していておかしくないこと。
20代が死ぬのが怖いと思う瞬間:少しずつ大きくなりつつあるのが大事なもの
20代が死ぬのが怖いと思う瞬間は、大事なものが少しずつ大きくなる過程にあるからです。
「やっと自分が会社の人から信頼を得られるようにまでなれた」「ここ最近で私が本当に大事にしたい、守りたいと心の底から感じられる相手に出会うことができた」と20代で感じられる成長があります。
20代は徐々に大人になる成長や経験を重ねながら自分の中で改めて感じることのできる瞬間がいくつもあるのです。
その最中に人生が終わることを想像するのは悔しくて堪りません。
「私はここからが頑張る時だ!」と自身に喝を入れたと同時に終わりを告げられるようなもの。
楽しみという癒しが少なくても、何かを改めて実感できることや新しい発見がある毎日。
出来ることがあなたの中でも増えてくる段階というのは、何をしていても期待を抱き、自分が評価されるために全力を尽くせるのです。
20代はたくさんの経験を今だからこそ大事にしたい時であり、今この瞬間でしか得ることのできないものを秘めています。
手放したくないものを失わないように力を尽くし続けるのです。
30代が死ぬのが怖いと思う瞬間:敏感になることが「失う」という事
失うことに敏感であり、その怖さを知り始めるのが30代。
手放すことが自分自身に起こればそれは怖さを感じる瞬間だと言えます。
30代からは、人生で今からがあなたの成果を積み上げる時。
30代に差し掛かるまでには、色々なものを与えられながらも失ってきているものの方が多くあります。
人生は最初から上手く進められるほど簡単なものではありません。
だからこそ、苦い経験が糧となります。
30代は、知らないことや未経験ということが何よりの恐怖。
その中でも見えない何かに恐ろしさを感じます。
失い続けることは、誰もが望んでいないことであり、慣れることはありません。
藻掻くことで今のあなたがいます。
見失う出来事があっても、そこで終わらせずに立ち向かうことのできる精神を持つ年代だからこそできること。
途中で解消できる気持ちがあるのです。
他人からの助言も受けられない世界に立ち向かうには勇気が必要で、避けたいもの。
怖さしか抱けなくなり、自分を見失うほどの恐怖心を与えられるのです。
心を完全に失う絶望を引き連れます。
絶望を感じ、死は受け入れがたいものになるのです。
40代が死ぬのが怖いと思う瞬間:苦しみも楽しさも振り返るとする時間には早い
40代が苦しみも楽しさもここで振り返ることは簡単そうで、非常に難しく、死ぬのが怖いと感じる要因になります。
人生を振り返ることを40代ではしてしまうこと。
まだこの先の自分の生きる道を作り上げていく40代という年齢。
それでも、死ぬのが怖いと思えた時に苦しんできたことも「楽しい」「幸せ」「嬉しい」と感じてこれた出来事を真剣に振り返るには、早すぎる年齢です。
「死に年齢は関係ない」というのも誰もが当然のことのように感じています。
不慮の事故や病など。
しかし、最期に人は、どうしても自分自身の人生を振り返ることをします。
若いと捉えられる40代は、「良い人生を歩めたな」と感じるところまで気持ちを抱けないもの。
やり残された自分のやるべき事が目の前に明確にあるからです。
ここまでの自分の経験や感じてきたことや大切なもの。
それはあなたの価値観を作り上げてきたものであり、魅力となり自身の強みと感じさせるものとなっているのです。
生きたい思いと死への覚悟は両極端のように見えて、同じ場所を指します。
すべてがあなたの人生の中に詰め込まれているものだから、生死を意識すると生きることに強い精神力を見せることも。
40代は最も生きてきた人生の中で落ち着きを保つ時期でもあります。
それは、40代になったことである程度の生きることへの楽しさを感じることができるようになっているから。
苦しい、悔しいの感情が強い若い年代とは違い、楽しみ方をやっと自分の力で見つけられた段階です。
自分の積み重ねに感じられるものがあるから、死への恐怖を拭うことができなくなります。
50代が死ぬのが怖いと思う瞬間:老いを感じているからこそ身近に感じる
老いを感じているからこそ死を身近に感じてしまうのは、50代が怖いと感じる瞬間です。
「あの頃は本当に若さだけで何でもできていたのに…今は老いしか感じない」など。
自身の年齢に誇りを感じる半面、着実に迫っている人生のタイムリミットを感じている人は少なくありません。
人は、人生で折り返し地点と呼ばれる50代になるのは、その意味が死へのカウントダウンであるからこそ身近に感じてしまいます。
自分に死を感じさせる物事がなくても、老いたと感じる人生から様々な方向に考えるようになるのです。
その時には、「あとの残された時間をどう過ごそうか」と考えたり、「もう私は老いてきているからこの先何があっても不思議に感じない」と考えたり。
自分自身の脳裏のどこかに潜んでいる考えだからこそ、死を身近に感じ、怖さも倍増してしまいます。
60代以上が死ぬのが怖いと思う瞬間:周囲が還らなくなることを目の当たりにしてきている
60代以上が死ぬのが怖いと思う瞬間、それは周囲が還らなくなることを目の当たりにしてきているからです。
「あの人は今も元気にしているのかな?」と60代以上の年齢の人が普通に会話に放り込む内容。
しかし、これは本当に元気にしているのかを確認するためではなく、自身の周りで死を迎えて還ってこない人が多くいることで気になるもの。
誰かの生存確認をしながら生活を送るつもりはないのですが、突然還らぬ人となることが多いからこそ、自然と思考が生死へと向かうのです。
「近いうちに私もそうなるかもしれない」という思いがある半面、「どうにかして自分だけはその現実から逃れたい」と願う人もいます。
60代以上が願うことの多くが「健康であること」を望むのです。
生きることに健康であることは欠かすことができないからこそ、真剣に念じます。
若い年代となれば、その時の状況で願いが変わることは当たり前のこと。
しかし、死が身近にあり、周囲の人が旅立った辛さを感じているからこそ、たった一つの願いに心を込めます。
還らぬ人を見続けることで、「次は自分なのかも」という思いが募ることで死への怖さが次第に大きくなるのです。
死ぬのが怖い時の対処法
恐れる理由をきちんと考える
死ぬのが怖い時の対処法は、恐れる理由をきちんと考えるようにしましょう。
「死が怖いのに、理由を考えたら余計に不安を感じてしまいそう…」と疑問を抱く人もいます。
死ぬことを恐れる理由を考えるということは、あなたが何を望んでいるのかをハッキリさせられるものになるのです。
死が怖いと感じている理由で「あの人の目の前から私だけが消えてしまうのが嫌だから」など。
あなたが死を恐れることに何が挙げられているのかをしっかりと考えてください。
そこに出てきた答えが、今あなたが生きるために必要なこと。
死を考えることは、同時に生きるための気力を見つけるものへと繋がります。
自分が大事にしたい事や今から望もうとしていることがある時には、それがあなたの生命力を高めるものとなり、不安を払拭するための行いです。
はっきりとした答えを追い求めない
はっきりとした答えを追い求めないということが、死ぬのが怖い時の対処法だと言えます。
「この世から去り、死んでしまったら自分はどうなってしまうのかな」「死んだ後の事を詳しく知りたいし、私のその後を見せてほしい」と気になるものです。
しかし、あなたが死んだその後を知ったとしても、人間の死で与えられるものがすべて確実なものとはならないのです。
仏教では、人生の過程で死後の世界の行方が決まると言われています。
それでも、人生の一握りだけを見て判断することはととはならないのです。
そのため、今この世にいる人間が不確定な事を信じてしまうことほど恐ろしいものはありません。
死んだ後の事を考えることよりも、それまでに積み上げられる努力はまだまだ残されています。
大切なものはさらに突き詰める
死ぬのが怖い時の対処法は、大切なものはさらに突き詰めることです。
あなたにとって大事なことは何かをまずは一つ考えてください。
人生を通してでも、今のあなたに欠かせないことでも構いません。
「私は今自分の周りいてくれる人たちをこれからも大切にしていきたい」と感じることが出来た時。
あなたが今やるべき事は、いつ訪れるのかも分からない死ではなく、目の前にある幸福です。
周囲の人を大切にしたいのならば、付き合い方はこれまでと同じで良いものなのか。
もっともっと相手を大事にするためにあなたが尽くすことは何か。
死を考え怖くなるのは、あなたがこの世でやり残していることがあるからとも言えます。
人生を終える時には後悔したくありません。
大切だと感じたものに今のあなたが力を尽くすことで、人生を変えられることもできます。
死よりも失いたくないものを見つけることができるのです。
僧念師匠のワンポイントアドバイス
自分自身の死期が迫って来ているわけではないのに、ふと死を考える瞬間が訪れるという人は珍しくありません。
生きている中で自分の希望を絶たれる考えが及ぶほど、精神的に辛く感じるものはないのです。
あなたが死を感じた時にどのような行動を起こすのかが重要であり、新たに気持ちを保つ行いをするのかが運命を変えます。
「辛い」と感じる中にも気持ちを保たせることがあれば、あなたが生きる為に必要なことを見つけ出せる大切なものとなるのです。