「虚無感を抱いて何をしていても楽しいと感じることができない…」「私は何をやっていても楽しくないから…ここまで心が空っぽになるなら死にたい」と悩むあなたへ。
日々の日常に何も感じることができなくなり、虚しさだけとなり、その状況から抜け出したくなった時にできる虚無感への対処法をご紹介します。
人生に楽しみを感じることができなくなるのは、人間にとっては最大の苦痛とも言えるものです。
楽しみがあるからこそ、日々を頑張る事ができ、楽しみのために我慢できる日常があります。
しかし、虚無感で自分でもどうしたら良いのか分からない時には、虚無の正体や原因、抜け出す方法を参考にしてみてください。
あなたが少しでも希望を持てる、日常に彩りを感じられるようになることを心から願っています。
目次
「虚無感を日々感じる…何をしても楽しくないし死にたくなる…」と思う方のご相談
「俺はどうしていつまでも生きようとしているのか分からない」(30代/男性/K様)
もちろん他人と一緒に居る時には、楽しい振りをするのが当たり前になっている。
そうでもしないと生きていけない気がして…。
だけど、最近気付き始めた。
どうしてこの世にすがろうとしているのか。
何もやりたい事も「楽しい」「嬉しい」と感じられることもないのに、ただ本当に息を繰り返し行っているだけなのに、どうして俺は生きようとしているのか分からない。
夢や希望を持つことができれば、絶対に人生が変わる事は分かってる。
それでも心から楽しいと感じられることが見つからない…。
自分にだけではなく、人の為にも何かをしようとも思えないから辛くなる。
楽しそうに笑いながら会話をしている人、何か目標を持って挑んでいる人を見ることもある。
それが憧れや羨ましいと感じることができれば、今の俺に未来が見えてくる気がするけど、その気持ちすら抱くことができない。
少し前に、昔の自分が何を楽しみにして生きてきたのか、将来の夢が何だったのかと過去を振り返ってみたけど、思い出すことができない。
毎日同じサイクルで、何一つ変わらない生活。
俺は誰のために生きているのか、何をしたくてここに立っているのか分からなくて怖い。
居場所を求めようともがけば、幸せを感じられるのかな?
誰かを心から愛することができれば俺の人生は変わるのかな?
って考えるけど、きっと俺の気持ちはそこにまで達しないところで違う方向に向いてしまう。
俺に感情がないのかもしれない。
これだけの言葉を出しても、本気で「こうなりたい」「こうしたい」と思うことができない。
ただの口から出る言葉なだけで、本心で強い想いを抱くことができない。
だから、死にたいとしか思えなくなる。
死ぬことは、俺の最終手段ではなく、今実行しないと後悔する気がしてならない。
このまま生きていることを続けていたら、もっと自分が分からなくなるから。
何も感じない日々の中でどう生きるのかではなくて、いつ最期を迎えようかと思ってしまう。
俺の心の中は本当に空っぽ。
こんな自分が怖くて、何度も本を買って読み漁って、変わろうと思った時期もあったけど、何一つとして俺の心に残るものがなかった…。
そういう自分に虚しくなる。
もう早く死んで、新しい道に進みたい。
心を捨ててしまえば、自分が何も感じない空っぽの人間という事にも気付かなくて済む。
肉体があるから苦しさを感じてしまう…。
生きないといけないから。
生きている限り、同じ生活を繰り返さなければいけない。
毎日同じ事だけの繰り返しがこれほどまでに辛いものとは思ってもいなかった。
早く死んで、肉体を捨て、生きる意味を失くしたい。
「自分で空っぽの状態にここ数年で気付き始めて苦しい…」(20代/女性/W様)
だけど、テレビ番組で”虚無”の話題を見て、自分に当てはまる項目がいくつもあり、そこから私はもしかしたらこれなのかもしれないと思い始めたのです。
何も感じないし、楽しいと思えることがない、虚しさだけが増していき、息苦しくなる瞬間があります。
何かをしているわけでもないのに、ただ虚しさだけが心を支配することがしょっちゅうで、求めているわけではないのに、どうして虚しさを感じるのか分かりませんでした。
周りの人は新しいものを見れば、「これどうやって作っているのかな?」「これ気になる!」とよく言葉にしています。
私は、そこにある物にさえ興味を抱けません。
ただ、そこにある物は、そこにあって当たり前のものとしか考えられません。
私は、感情が欠落しているの?
他の人とは違って、何も感じられない心なの?
どうして楽しいとは感じないのに、虚しい気持ちばかりが強くなるの?
テレビで自分と重なり合う虚無を知ってからは、私は心が空っぽで何もないと思うようになりました。
自分を知ってしまったから、今が辛くて堪りません。
これまでを振り返っても、自分は確かに周囲の人とは明らかに違う点がいくつもありました。
だけど、それを深く考えてこなかったから、自分の状態を知る事もなかったのです。
それなのに、自分と同じような人がたくさんいることを知り、それが普通ではない事のように感じました。
どうすればこの虚しさから解放できるのだろうか…。
私が虚しさを感じて、それが徐々に大きくなる理由はなぜなのか…。
答えが自分では出てきません。
物事への執着がないから、興味を抱かないとばかり思っていました。
私は、他の人とも何も変わらないと思っていたのです。
それなのに、テレビで知ってしまったから、これからもこの状態が変わらないのかと思うと怖くて堪りません。
何も感じることがなかった時期には、自分の事をこれほど考えることさえしてこなかったのに…。
私がここで生きている意味はないと思っています。
生きていても、死んでいても、この世は何も変わらないし、意味がないとさえ思えます。
意味も感じられずにこれまでひたすら生きてきたけど、もう生きることを頑張らなくてもいいとさえ思ってしまいます。
自分の感情がこれほどまでに他人とは違う事に気付けませんでした。
でも、気付いてしまったから、これまで以上に周囲と理解し合えることがないと感じてきたのです。
ただ、私の感じていることを上手く誰かに伝えることができない苦しさがあります。
他の人とは考え方も感じ方も違うから、言葉にすることができません。
今の状況が怖くて堪りません。
死ぬことで絶対に楽になれる気がしています。
だから死にたい。
本当にただそれだけなのかもしれないです。
「一人の環境に疲れたから…もう人生を終えたい」(30代/女性/F様)
どうしてみんな生きることに必死になっているの?
私は、この世にいてもただ寂しさが募るだけだから、自分という存在をここに置いておくことが罪だと感じる。
何かを感じて、何かを思うことができれば、それで十分に幸福を感じられることは分かっている。
私は、社会人になり、周囲の人に自分がやってきた事を「どうしてこうしないの?」と否定され続ける日々だった。
この時には、凄くストレスを感じ、考えたくなくても「また、こう言われるかもしれない」と考え、ただの日常も楽しめなくなった。
それは、毎日のように必ず言われることから、私の心がどんどんと落ちていき、自分の価値を見出せなくなってきたことによるもの。
それが続いたことで、過去の自分はもっと色々なことを楽しみ、興味を抱くことができていたのに、それすら出来なくなった。
今の自分の感じ方を思うと、本当の私ではないみたいで、何に囚われているのか分からない。
他人に何かを指摘されればされるほど、自分の考えが言えなくなる。
やっている事自体が間違っているように思えて、何もできなくなる。
私の心が弱いだけなのかもしれない。
でも、人間そこまで強くはいられない。
一度心を閉ざしてしまうと、その状況から抜け出す術を見つけ、行動を起こすことが難しくなる。
毎日言われ続けてきた言葉、指摘してくる人が醸し出す雰囲気、どれもが私を傷つけるものでしかなかったのです。
私に関わる人がみんなそういう人ではない事は分かっています。
だけど、言葉が強い人、自分の行動を否定してくる人の言動こそ、私の脳裏に焼き付き忘れられなくなる。
自分が自分でいられなくなる瞬間、何かもがどうでもよくなる。
どうでも良いと思えているのに、心は寂しさを感じている。
この世界に私の気持ちを理解してくれている人が存在しないような気がして、誰も分かってくれようとしない気がして、言葉に出来ない。
今では、ここに生きていることに一生懸命になっている自分自身がいる。
生きていることに謎を感じます。
ご飯を食べることは生きるために必要なものだと分かっているけど、私にとってはただの日常のサイクルでしかない。
ご飯がなければ食べなくてもいいし、食べることに意味があるとは考えることができない。
何が大切なのかが分からない…。
私は何がやりたくて、何を望めば良いの?
ここにいるのに、誰にも見られていない虚しさを拭うことができず、どんどん孤独を感じていく…。
誰かに助けてほしいのかもしれないけど、私がここに存在する意味がないから、周囲は手を差し伸べることをしないとも考えられる。
生きていることが怖くて、不安で、もっと一人だと感じさせられるような気がして苦しい…。
私が楽になるには、死んで自分の心を捨てることしか思い当たらない。
もう一人でいることに疲れた。
これ以上自分を保つことができない。
人生を終えてしまいたい…。
他人にダメだと言われても、楽になれる死を選択しない理由が私にはない。
だから、疲れた私には死ぬことで満足ができるのかもしれない。
こういう考えばかりに陥る心を捨てるために、死にたくなる。
虚無感を感じると思う方への僧念師匠のアドバイス
K様へ「人間は生きていることが試練」
K様は何も変わらない日常に苦痛を感じ、心が動かされない事に悩みを感じているのですね。
「人間は生きていることこそが試練だ」という仏教の教えがあります。
人間は生きているだけでいくつもの試練を乗り越え、何かを考えながら生きているのです。
それは、肉体があり、魂があるからこそできるもの。
肉体を失えば、考えることも自分の判断で動くこともできなくなります。
人によっては死を迎える方が何百倍も楽だと考える人も少なくありません。
しかし、今K様の命がまだ途絶えることなく生き続けているのは、まだ試練の途中であり、乗り越えなければならないものがあるからです。
苦しい過去を持つ人ほど、人に優しくでき、行動を起こすことができる。
人生の中の経験は、必ずK様の価値観や考え方を変えます。
今は虚無感という辛い状況で苦しむ瞬間の方が多くあっても、この先一人で抱える虚しさから抜け出せた時には、大きく変わる事ができるのです。
人間は試練を乗り越えようとする度に苦しくなり、辛くなります。
それが人間に与えられている試練だからこそ、心が追い付いていかないことの方が多いのです。
苦しいと感じる時ほど、心をゆっくり休めることを心掛けてみましょう。
常に物事を考えたり、「自分はこうだから」と感じていると心は疲れ果ててしまいます。
心を休めてみると、新しい何か自分が得られるものや希望を抱けるものが見つかることもあるのです。
「楽しい」という感情を焦って見つける必要はありません。
K様のペースで心を休めながら周りを見ていくことも悪くないことであり、それは個性でもあります。
虚無はマイナスに考えてしまう事の方が多くありますが、時に冷静な判断をできるというプラスの面も必ず出てくるのです。
自分にある虚無を悪い方向にばかり考えないようにしましょう。
W様へ「他人の考えを鵜呑みにする必要はありませんよ」
W様は、メディアで見たことで、自分が周囲と少し変わっていることに気付かれたのですね。
しかし、人間だれしもが同じということはありません。
人間はみな、それぞれ違う部分を持ち、それはあなたにとっての大きな個性となるのです。
個性は良いことにも悪いことにも、どちらにでもなる可能性はあります。
W様は、虚無の心を持つ自身を悪い事の方に考えているのです。
オスカー・ワイルドは”あなたが自分だと信じている人間は他人である。思想は他の誰かの意見であり、生活は模倣であり、情熱だと思っているのは借り物だ。”という名言を残しています。
人間は生まれた時から誰かの理想に追いつこうとしたり、他人に合わせることを選んだりと、本当の自分自身を表せることはなかなかありません。
他人が言葉にすることによって自身の心が流され、悩みを抱え、苦しむ状態が訪れます。
人の言葉に左右されすぎてしまうと、W様がご自分に自信を持てなくなるのです。
たとえメディアで「私に当てはまっている」と思うことがあっても、それが絶対に自分だと思い込まないようにしましょう。
W様が、今生きていることを辛く感じているのには、他人の言葉が大きく心の中に留まっていることで「自分はダメな人間」「生きている意味がない」と感じています。
メディアで見たものも、他人の言葉もすべてを素直には受け入れず、一つの考え方としてあなたの中に留めておきましょう。
他人が発する言葉がすべてW様の絶対ではありません。
良いものは吸収し、悪いものは一つの考え方として、自身で選択していくことを心掛けてみてください。
あなたの生き方をすれば良いのです。
悩む時には思いっきり悩み、悲しい時には思いっきり泣く、その時に抱く感情をありのまま出すことは自分に素直になるということ。
自分を信じてまずは、心を整えてみてください。
そうすれば自身を徐々に好きになれるようになるのです。
F様へ「物事の捉え方を変えることで気持ちが軽くなります」
F様にとっては、生きることの意味が分からなくなり、その背景には辛い経験をしていることがあります。
人間は生きようと思えば生きれるわけではありません。
それなのに、死のうと思えば簡単に死を迎えることができるのです。
仏教には”四苦”という教えがあります。
”生””老””病””死”
この四つは、人間が生を授かった時点で必ず訪れるもの。
人間はこの世に生まれた以上、老いを迎え、病気になり、やがて死を迎えることになるのです。
これは人間に与えられた使命であり、絶対に避ける事のできない苦しみとも言えます。
もう一つの仏教の教えの中には、”一切皆苦”という言葉があるのです。
この言葉の意味は、この世の営みは、すべてが思い通りにはならないから苦しくなるということ。
人間は、この世にあるものに必ず執着の心を強くします。
老いは絶対的なものであっても、自分が老いたと感じるのは今までが若く居れたからであり、受け入れられない現実です。
だから考え方を変え、努力の仕方を変えます。
人間は変えられないものを受け入れるために自分の考え方を変えて行動を起こす。
その途中には、必ず現実と直面する苦しい状況は訪れます。
それでも自分が「こうなりたくはない」とさえ強い信念を抱くことができれば、底力を発揮できるのが人間の良さです。
人は、いくつも失敗を繰り返しながら成長を行います。
他人に指摘されたことは、必ず一つもF様にとって無駄なものとはなりません。
相手の言葉の使い方に傷つけられたのであれば、あなたは他人にやらなくなります。
悪い人を前にすると、あなたは自ずと成長していくことができるのです。
「嫌だな」と考えるのではなく、放たれる言葉に傷つけられても、「私はこういう人間にはならない」と考え方を変えてください。
言葉一つを自分にだけ向けるから苦しさが増す一方となるのです。
あなたが他人に向けてしないことのお手本だと考えましょう。
孤独を感じるのは、F様が心から言葉を交わせる相手を見つけられていない部分が大きくあるのでしょう。
F様の考え方が今後変わるようであれば、周囲から行動を必ず変えてきます。
F様が考え方を変えるという良い方向に方向転換する場合には、あなたに合った人が寄ってくるようにもなるのです。
同年代に限らず人生経験を多く積み重ねてこられた人など、あなたに悪影響をもたらさない人が集まってくるので、まずは行動を意識して変える努力をしてみてください。
虚無感とは?虚無の正体や本当の意味
何事に対しても無意味なものだと感じてしまう
虚無感と言われる虚無の正体や本当の意味は、何事に対しても無意味なものだと感じてしまうことです。
「みんなと同じように楽しむことができない」「どうして周りの人は色々なものに興味を持つことができるの?」と悩みを感じ、苦しむ人は少なくありません。
虚無は不安や孤独を感じながら虚しさを抱くようになります。
決して感情が欠落しているのではありません。
感情が欠落していると思わない事が大事です。
虚無の正体は、何事に対しても意味がないと感じます。
それは、何かに対して自分の考えを抱くことができないから、「意味がない」と感じてしまうのです。
その物事に意味さえ持つことができれば、虚無を感じることはありません。
生きるために必要な事だから栄養を摂取するために食事を取る。
脳と体を休めるから睡眠は欠かせない。
この世に意味のない行いはありません。
物事を見る時に、その本質を知ることで意味のあるものだと感じられるようになることもあります。
意味を見つけられないものだと感じてしまうのは、そこにあなたの好奇心が抱けないからであり、興味を持つことができずにいるのです。
何も感じないのではなく、知らないものだから好奇心を抱けない事の方が多くあります。
孤独は強い虚しさを生み出す
孤独は強い虚しさを生み出すのが、虚無感という虚無の正体や本当の意味になるのです。
「私は周りの人と変わった考え方をしているのかな…」「誰も私の言いたい事を分かってくれない」と思う事。
これは、虚無の特徴です。
虚無はその人にマイナスな感情を強くさせます。
「私は孤独」「誰も理解者にはなってくれない」と日常で自分と他人が違う感覚を持つことを知れば、それを孤独に感じていくようになるのです。
強い虚しさを抱く虚無では、自分自身の感情を保ちたくても上手く感情をコントロールすることができなくなります。
人と感じ方が違っても、孤独を感じる必要はないのに、虚無感を抱く人がこの世で一人ぼっちだと感じるのは、虚しさが心を支配していることが原因です。
何か物事が起こった時にだけ虚しさを強くするだけではないから、虚無は恐ろしいものと考えられます。
突然虚しさだけが心を支配し、周囲が自分を排除してきているように感じるのです。
この状況は、経験した人にしか分からないほど、辛く苦しい状態とも言えます。
物事が進む状況で虚しさを感じれば、その事が原因だと逃げることが可能です。
しかし、突然迫りくる虚しい感情には、何が原因なのかすら無いため、一人で苦しむことになる孤独との闘いとなります。
全てにおいて存在する意味を見失い自分の価値が分からなくなる
虚無感と言う虚無の正体や本当の意味は、全てにおいて存在する意味を見失い自分の価値が分からなくなることです。
「私はどうしてまだ生きているのかさえ分からない…」「私って存在価値ないよね」というのは虚無の特徴でもあります。
物事に対して意味を見失った時、次第に自分自身の価値を見出せなくなることは少なくありません。
人間は何事に対しても、意味があるから行動を行い、そのものの為に情熱を抱きます。
しかし、この世の全てにおいて存在する意味を見失った時、自分がここにいること。
どうしてここに立っているのかさえ分からなくなるのです。
物事に意味を感じないから、自分自身にも価値がないと思うようになります。
自分の存在価値が分からなくなれば、死を考え、行動に移す人も少なくないのです。
この世の全てにおいて存在する意味を見失えば、いくつもの事が自分の中から排除されていきます。
「これはいらない…これもいらない」と自分の中で物事を整理していくのです。
そのため残されるものがなくなり、存在価値を完全に見失い、ただ虚しく辛い感情だけが心に残されるようになり、生きている意味さえ分からなくなります。
生きている意味さえ分からなくなれば、どんどん虚しさは強くなり、自分を蔑むことばかりに考えが及び、悪い方向に進むことになるのです。
虚無感を感じる原因
やりがいを感じられなくなる
虚無感を感じる原因は、やりがいを感じられなくなることが挙げられます。
大きな目標を達成した時や見失った時に、虚無感を感じやすい人は大勢いるのです。
目標に向かってひたすら一生懸命努力してきた毎日から、達成したことで自分の行くべき場所を見失った時、心にぽっかり穴が空いたような感情。
この状態が虚無感を抱く原因になります。
何を目標にすればいいのか、やりたい事を見失った。
その事にだけ集中して行動を起こしている人には、虚無感を抱くことが多くあります。
やりがいを感じられる物事を行った後だからこそ、物事に意味を感じられなくなることも。
やりがいを感じられないことは、自分はやる必要はないのではないか、本当にこれは意味があるものなのかと考えます。
考えが最終的な結果に向かって進むほど、虚無に襲われてしまうのです。
頑張っているから満足できるのではなく、やりがいを感じてこそ、自分の存在価値がそこにあると考えます。
そのような考え方をする人は、虚無になりやすい人と言えるのです。
誰もが虚無感を抱くものですが、やりがいのある事を強く望んでいる人ほど何もない状態になると「自分は必要ないのかな」と感じやすくなります。
あなたにとって大事な人や物を失った時
あなたにとって大事な人や物を失った時は、虚無感を感じる原因です。
「長年連れ添った妻を失った…」「ずっと大事にしてきた車を手放した」という状況で人は虚無感を抱きます。
あなたの中で存在の大きいものほど失った時に感じることは、目の前からいなくなったことに対して心の中が空っぽになったように感じることです。
これまで時間や労力を費やしてきたものほど、失った時には虚しさが心の中を埋め尽くします。
それは次第に「悲しい」「他の物事に考えが至らない」という状況から、「私がここにいても何もならない」「ここで生きている意味があるのかな」と悪い方向に考えが働くこともあるのです。
あなたが情熱を注いできたものだからこそ、失った時の代償が大きくなります。
物事の感じ方や自分の行動など、確実に変わる物の方が多く、虚しさばかりが募ることになるのです。
あなたの中には、「もっとこうすれば良かった」という後悔を抱くことで、「私にはやっぱり」と自分の価値を下げる考え方に至る事もあります。
大事な人や物を失った時の虚無の感情は、その時だけとはならず、月日が経つごとに徐々に虚無感が強くなることも。
そのため、なかなか失った虚しさから抜け出すことができずに自分を責め立てる思考に変わります。
落ち込む時、人間は他人を傷つけるよりも自分を傷つける傾向があり、それが自身にとって大事なものほど、自分自身に向けてしまうのです。
考えや行動が現実と理想で全く違う
虚無感を感じる原因には、考えや行動が現実と理想で全く違うことが挙げられます。
人は、成長するにつれ物事に理想を抱き、そのものの為に全力を尽くすことが増えることは良くあること。
しかし、何もかもが努力したことによって叶えられるとは限らず、見ていた理想とは全く違う形になることも少なくありません。
思い描いていた理想と現実が大きく違うことに気付くと、そこで心が満たされない思いが募ります。
「どうすれば良かったのだろうか」と行きつく先に希望を持つことができれば、虚無感を抱くことはありません。
しかし「これ以上、どうしようもできないのか」と思う物事は必ず訪れます。
自分の能力不足であれば、それはモチベーションを上げるもの。
虚無感を抱く原因には、自分の力では変える事のできない理想と現実の違いです。
変える事のできない現実には、自分がどう行動しようと変える事ができません。
そのため、その場に立ち止まり、気持ちが追い付いてこないのです。
理想を抱き努力を積み重ねてきたものが、理想と現実で大きくかけ離れていた時、心にぽっかりと穴が空いたような感覚を抱きます。
それは、自分が目標としてきた夢見ていたものだからです。
虚無感から抜け出す方法。虚無感から脱出したい人への対処法
肉体的な休息よりも心のリフレッシュを行う
虚無感から抜け出し脱出したい人への対処法は、肉体的な休息よりも心のリフレッシュを行うことが挙げられます。
肉体的な休息は、誰もが毎日無意識に行えていることでもあるのです。
睡眠を取ったり、体が重たい時にはいつもより楽に行動を行ったりできています。
しかし、肉体的な休息は行えていても、心を休められていない人は少なくありません。
虚無感を感じ、苦しくなっている時には、心を十分に休息させる必要があります。
自分の好きな場所に出向き、大きく深呼吸をする。
パワースポットに行き、色々なエネルギーを吸収する。
匂いで心を満たす。
リフレッシュできる状況を一日に一度は取り入れるようにしましょう。
心が疲れ切ってしまうと、人間の思考は悪い方向にばかり進む傾向があります。
一度、あなたの中にある感情を感じる時間を解いてください。
ずっと考えている状況から、一度解放してあげましょう。
あなたが苦しいと感じている時は、心も苦しい状態が続いているのです。
心の休息は、あなたの魂を守る行動であり、虚無感を緩和させる行いになります。
まずは、あなたに合った心の休息方法を探してみましょう。
「気持ちが良いな」「ゆっくりした時間が流れている」と感じられるのは、その方法があなたに合っているサインです。
泣くことで自分の感情を思いっきり外に吐き出す
泣くことで自分の感情を思いっきり外に吐き出すことは、虚無感から抜け出す脱出したい人への対処法と言えます。
虚無感を抱く人は、自分の中で解決できない感情が心の中を支配している状態です。
そのため、自分の感情を表したくても、思うようにできない事が多々あります。
虚無感から脱出したい人への対処法は、あなたの感情を思いっきり外に吐き出し、心を軽くする行いです。
感情を表に出すために大声で叫ぶことも良いですが、場所や時間を選ばなくてはなりません。
家にさえいればできる方法では、思いっきり感情的に泣くことです。
ただひたすら泣くことは、心を整えるための大事な行いと言えます。
泣くことは、あなたが心の中で知らない間に積もらせていた感情を流しだすことができるのです。
泣くことで自分自身の心を解放し、自身でも気付くことのできなかった感情を吐き出します。
いくつもの考えを人間は同時に行っているのです。
そのすべてを吐き出し、あなたの心を一度浄化しましょう。
感情的になれないことで、悪い考えがあなたの中で大きくなっている場合もあります。
自分でさえ気付くことのできない感情に気付けることは、自分自身と向き合うことになり、それは、蓄積された古い考えをクリアにすることもできるのです。
古い考えはあなたを支配するものへと徐々に変わり始めます。
そのため新しいものを目にしても、「でも私はこうだから」と頑固な考えを持つようになる原因です。
感情的に泣き、思いっきり心を解放してスッキリさせましょう。
適度な運動で脳の神経を刺激する
虚無感から抜け出し脱出したい人への対処法は、適度な運動で脳の神経を刺激することです。
人間は悩みを抱え、苦しい状況にある時は、体を動かすことができなくなります。
動く気にならず、家に閉じこもったり、必要以上に体を動かすことを避けたりする傾向があるのです。
しかし、虚無感から抜け出したくなった時には、運動を行うことで神経に刺激を与えることができます。
脳の神経に刺激を与えない状態は、何も自分を変えられない状況に追い詰めるものに成り兼ねません。
激しい運動をする必要はないので、適度に体を動かすようにしましょう。
いつもより少し早めに歩く、ストレッチを行う、30分だけランニングする。
あなたが身体を傷めない方法で無理なく、毎日継続させることをしてください。
体を動かすことで、衝撃を脳に伝えることができ、刺激を与えます。
また、運動中は自然と目の前の事だけに集中できるため、心に抱いている感情を一度手放すことができるのです。
考えていることを一度数分間でも手放すことができれば、新しい考え方や思い付きが起こります。
そのため、あなたにとって良い影響をもたらすものになるのです。
僧念師匠のワンポイントアドバイス
虚無感を抱くことは、生きている限り誰の元に訪れてもおかしくない感情。
虚無感を抱くと自分を否定したり、他人が分からなくなったりとどんどん悪い方向に考えが及んでしまいます。
しかし、どれだけ苦しい状況となっても、抜け出す方法は必ずあるので、あなたの心を守るために意識した生活から始めてみてください。
虚無感の対処法を毎日続けることは、それがあなたの一日の目標になります。
自分の存在価値は、周りやあなたが感じるものではなく、生きている時点で意味を持つものです。
生きていることに悩み、意味がないことだと感じた時には、自分の中にある感情を吐き出してみましょう。
そうすることで考え方を変えられるようになります。