神嘗祭(かんなめさい)とは?意味と歴史&新嘗祭(にいなめさい)との違い
占い師 聖子
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神嘗祭(かんなめさい)という行事の名前を聞いたことがあるでしょうか。

聞いたことはあっても、その内容まで詳しく知っているという人は少ないでしょう。

神嘗祭は古来から伝わる日本の伝統的な神事です。

古来から現代まで伝わっているのには、理由があるはずです。

日本に暮らす者として、その理由について考えていきましょう。

この記事では、神嘗祭の意味と歴史的な背景、新嘗祭(にいなめさい)との違いと当日のスケジュール、遥拝についても詳しく解説していきます。

神嘗祭について知り、より日本を好きになっていきましょう。

目次

神嘗祭(かんなめさい)とは?いつ行われるの?

神嘗祭が行われるのは伊勢神宮、五穀豊穣を願ったお祭り


まず神嘗祭とはどういった行事なのでしょうか。

神嘗祭は簡単に言うと伊勢神宮で行われる宮中祭祀で、その年の収穫に感謝する収穫祭のようなものです。

宮中祭祀とは天皇が行う祭祀で、国家と国民の繁栄を願い行われます。

つまり、神嘗祭が古代から現代まで受け継がれてきたのは、天皇が祈りを捧げ続けてきたということを示しています。

神宮では年間1500もの祭りがありますが、その中で最も重要だとされているのが神嘗祭です。

神嘗祭ではその年に収穫された新穀を天照大御神に捧げます。

そうすることで、その年の収穫に感謝をし、これから先の恵みも祈る儀式となります。

現代ではいつでも安定して食材があるため、食物への感謝という気持ちは薄れているかもしれません。

ですが、昔の人にとって、その一年が豊作となるかどうかは重要な問題でした。

もし、秋の恵みがなければ飢えて死んでしまうこともあったのです。

だから、安定して穀物を得るということは、神に頼んででもお願いしたいことだったのです。

こうした理由で神嘗祭は行われ、ずっと続いてきました。

現代に生きる私たちも、今一度、毎日食べ物に困らず暮らせる現状への感謝の気持ちを思い出してみましょう。

神嘗祭は天照大御神に天皇陛下が祈る宮中祭祀


神嘗祭には天皇陛下も天照大御神(アマテラスオオミカミ)にご遥拝します。

天皇陛下と天照大御神は、どのような関係なのでしょうか。

まずは、そこをひも解いていきましょう。

天照大御神の名前を聞いたことがないという人はいないでしょうが、どのような神様かと聞かれても詳しく答えられる人も少ないのではないでしょうか。

日本は多神教で八百万の神様がいるとされています。

天照大御神はその中でも最高神とされ、日本の神々のトップに君臨しているのです。

そして、天照大御神は天皇の祖先とされています。

古事記の中で天照大御神は、日本を作ったイザナギノカミが左目を洗った時に生まれたと書かれています。

天照大御神は地上世界を治めることを任され、その役割を自分の子孫に託しました。

それが初代天皇の神武天皇です。

太陽神であり皇祖神である天照大神。

神嘗祭は天皇がご先祖様に祈りを捧げているようなものだということがわかりますね。

宮中祭祀は天皇が行う祭祀ですが、その起源は日本書紀にあります。

神嘗祭も日本書紀に記されており、本当に古くから執り行われてきたことが分かるでしょう。

この伝統を私たちは、後世にも伝えていかなければなりません。

神嘗祭が行われるのは10月17日、神嘗祭の日付の歴史


神嘗祭は毎年10月17日に行われます。

神嘗祭の始まりは西暦721年だと言われており、その頃は旧暦の9月17日に行われていました。

しかし、1872年(明治5年)に旧暦から新暦への変更がありました。

その時には日付の変更はなく、神嘗祭は引き続き9月17日に行われていたのです。

しかし、旧暦と新暦には一ヶ月ほどのズレがあります。

神嘗祭は、その年に一番最初に収穫した稲穂を天照大御神にお供えする行事。

旧暦のままの9月17日に行ったのでは十分に稲が育っておらず、稲穂をお供えすることが難しいことが続きました。

そのため、1879年(明治12年)に一月遅れの10月17日に変更されたのです。

だから、2021年も神嘗祭は10月17日に開催されます。

正確にいうと神嘗祭関連の祭祀は10月15日の興玉神祭から始まり、17日の正午に行われます。

この時には普段は非公開のものも一般公開されますので、興味があれば伊勢神宮を訪れてみるのもいいでしょう。

神嘗祭は伊勢神宮で最も重要な祭り


神嘗祭はたくさんの祭りが行われる伊勢神宮の中でも、最も重要な祭りです。

そのことは伊勢神宮のホームページにもしっかりと記されています。

たくさんの祭りが執り行われる伊勢神宮ですが、年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているのだそうです。

こんなにも神嘗祭が大事にされるのは、食物が私たちが生きるのに欠かせないものだからでしょう。

世界を見渡してみても、収穫に感謝する祭りはたくさんあります。

食物への感謝の気持ちは、宗教や人種に関係なく誰もが持っているものです。

私たちは食べ物によって生かされており、食べ物なしに生きていくことはできません。

はるか昔の時代には米がとれないことは、生き死にに関わる重要なできごとだったのです。

だから、神嘗祭も最も重要な祭りとされ、毎年行われています。

初穂を奉納するのは、天照大御神が初穂を初めて食べたとされているからです。

日本は昔から豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と言われてきました。

それは豊作の続く瑞々しい稲ができる素晴らしい国という意味です。

稲作を始めるというのも神からの言葉によって始まったとされています。

こんなにも稲とその収穫に感謝するのは、稲が神からいただいた大切なもので、それによって生かされていることをしっかりと自覚していたためでしょう。

昔と違って稲以外の主食の選択肢が増えた現代でも、このことは忘れてはいけません。

伊勢神宮の年間スケジュールと神嘗祭


伊勢神宮では年間1500もの祭祀が行われます。

その中でも恒例祭典と言われるものについて月別に挙げてみましょう。

1月に行われるのは、歳旦祭、元始祭、昭和天皇祭遥拝、一月十一日御饌、大祓

2月、建国記念祭、祈年祭、天長祭

3月、春季皇霊祭遙拝、御園祭

4月、神田下種祭、神武天皇祭遥拝、大祓

5月、神御衣奉織始祭、神御衣奉織鎮謝祭、風日祈祭、神御衣祭、大祓

6月、御酒殿祭、興玉神祭、御卜、月次祭、大祓

8月、風日祈祭

9月、抜穂祭、秋季皇霊祭遙拝、大祓

10月、御酒殿祭、神御衣奉織始祭、御塩殿祭、神御衣奉織鎮謝祭、神御衣祭、興玉神祭、御卜、神嘗祭、大祓

11月、新嘗祭、大祓

12月、御酒殿祭、興玉神祭、御卜、月次祭、大祓

この中で神嘗祭に関係あるのは、4月上旬の神田下種祭、9月上旬に行われる抜穂祭(ぬいぼさい)です。

神田下種祭では神嘗祭でお供えするための、稲の種を田んぼに蒔きます。

抜穂祭では神嘗祭でお供えする初穂を抜き奉るお祭りです。

神嘗祭で供えられる初穂も祭祀で育てているのです。

神嘗祭にはお米以外の食べ物もお供えされる


神嘗祭でその年に初めて取れた稲穂をお供えするのはもちろんですが、それと共に神饌として30ものごちそうをお供えします。

神饌として用意されるのは海と山の恵みどちらもです。

アワビやタイ、伊勢海老など現代でもごちそうとされるものを奉納します。

神嘗祭は伊勢神宮にとって「神宮のお正月」と称されるほどのビッグイベントです。

さらに神嘗祭の行われる秋は、さまざまな食べ物が美味しいとされる季節。

たくさんのものをお供えして、また次の年も美味しいものがたくさん取れますようにと願う。

そんな切実な願いが神嘗祭には込められています。

また、神嘗祭では天皇は初穂をまだ食べるわけではありません。

実際にその年の新米をいただくのは11月23日の新嘗祭(にいなめさい)です。

そして、かつて伊勢神宮で神職に携わっていた人は、天皇が新穀を食べる新嘗祭が過ぎるまでは、自らも新穀を食べることはなかったそうです。

神嘗祭で初穂を奉納する「初穂曳」とその歴史


神嘗祭で初穂を奉納する行事として、初穂曳があります。

神嘗祭が神宮内で行われる厳粛な神事であるのに対し、初穂曳は賑やかに民衆が中心となって行われます。

しかし、初穂曳が毎年行われるようになったのは1972年からです。

20年ごとに行われていた式年遷宮を構成する祭事の技術の伝承のため、毎年開催されるようになったという流れがあります。

初穂曳の日は神嘗祭前日の10月16日です。

その日は神嘗奉祝祭として、全国から民謡や踊りのグループが招待され、踊りや歌が披露されとても賑やかです。

全国から集められた初穂は外宮と内宮に奉納されますが、外宮には陸曳で、内宮へは川曳で行います。

初穂や米俵を乗せ独特な掛け声とともに、伊勢神宮へと向かうさまは一見の価値ありです。

この初穂曳に参加するのは、地元の子供たちや学生、神宮近くの神領民、そして特別に奉曳を許された特別神領民です。

特別神領民になるためには、神社検定に合格するなどの手段があります。

特別神領民に選ばれれば、神嘗祭の関連行事に参加することができます。

神嘗祭への興味が高まったら、新穂曳への参加をしてみるのもいいでしょう。

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毎年神嘗祭を行うのはなぜ?天皇陛下との関係は?

神嘗祭を行う由来となった神話


毎年神嘗祭を行うのは、日本神話が深く関係しています。

神話の中で天照大御神は高天原で新穂を食したとされています。

高天原とは神々が住む大地のことで、天照大御神は父から高天原を治めることを任されました。

そして、その時に初穂を食したのです。

後年、天照大御神は孫のニニギノミコトに地上の統治を任せる時にも稲穂を渡しました。

この稲を育てて日本を豊かにすることを命じたのです。

つまり稲というのは、私たち日本人にとって神様からいただいたとても大事なもの。

さらに天照大御神はニニギノミコトに三大神勅を託します。

そのうちの一つが斎庭稲穂(ゆにわいなほ)のご神勅。

これは神々の田から稲を分け与えるので、それを地上でしっかりと育てて繁栄していきなさいということです。

稲作は私たち日本人にとって神との約束であります。

毎年の収穫に感謝し、祭祀を行うのは当然なことと言えるでしょう。

神様に言われた通り、稲作を続けてきたから日本人は今日まで生きてこられました。

そのことに毎年感謝し、祈りを捧げるのは当然のことだと言えるでしょう。

すっかり食物への感謝の気持ちが薄れてしまった現代人も、昔の人のように稲への感謝の気持ちを忘れないようにしなければなりません。

神嘗祭の歴史


神嘗祭は毎年行われる、日本人にとってとても大切なお祭りです。

そのことに間違いはないのですが、歴史を振り返ると神嘗祭が行われなかった時期があります。

それが応仁の乱以降の時期です。

古来より神嘗祭には皇室から伊勢神宮に幣帛使が派遣されていましたが、それが途絶えてしまったのです。

しかし、情勢の落ち着いた1647年以降は中断されることはなくなっています。

また、かつては皇室祭祀令で大祭に指定されており、祝日となっていました。

ですが、これは1947年に廃止され、現在の私たちが知るように神嘗祭は祝日ではなくなったのです。

西暦721年から始まった神嘗祭。

現代まで伝わるには紆余曲折がありました。

しかし、私たちにとって大切なお米に関する祭祀は、幾度の混乱を乗り越えて現代にまで受け継がれてきました。

伊勢神宮でも神嘗祭は最も古い由緒を持つ祭祀です。

これがずっと先の未来でも続くように、私たちももっと神嘗祭について知っていかなければなりません。

神嘗祭と天皇陛下との関係


神嘗祭と天皇陛下には深いかかわりがあります。

神嘗祭は天皇陛下が天照大御神に新穀を奉り、収穫の感謝を捧げる神事です。

そして、実は天照大御神は天皇陛下の祖先だとされています。

天照大御神と天皇陛下の関係性は次の通りです。

天照大御神は地上を治めることになったときに、自分の息子を行かせようとしました。

しかし、息子はさらに息子のニニギノミコトに、その任務を任せたのです。

地上へと降臨したニニギノミコトに天照大御神は三種の神器を持たせます。

これは現代の皇室にも伝わっているものです。

地上へ降りたニニギノミコトは一目惚れした木花佐久夜毘売に求婚しますが、その姉に冷たくしたことで寿命ができてしまいます。

これが天皇陛下が神の子孫であるにもかかわらず、寿命がある理由だとされています。

そして、木花佐久夜毘売は三人の子を産み、その子供が授かったのが初代天皇である神武天皇なのです。

天皇が神嘗祭で天照大御神に祈りを捧げるのは、自分のご先祖さまに感謝を告げるということでもあります。

大切な食物への感謝は子孫が自ら行うというのが、神嘗祭の意味でもあるのでしょう。

神嘗祭は戦前は休日だった、現在では平日の理由


今でこそ神嘗祭は平日ですが、戦前は休日として扱われていました。

神嘗祭が休日になったのは、明治6年のことです。

同年制定された「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」の中で、祭日と定められました。

この時には神嘗祭は9月17日でしたが、明治12年の法改正で10月17日へと変わりました。

年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ムが廃止された大正元年、代わりに制定された「休日ニ關スル件」の中でも神嘗祭は引き続き祭日とされています。

神嘗祭が平日となったのは昭和23年のこと。

この年に制定された国民の祝日に関する法律で、神嘗祭は祭日ではなくなりました。

この理由はアメリカにあります。

祭日というのは皇室の大事な行事が行われる日のことでした。

その天皇崇拝を問題視したGHQが問題視し、祭日をすべてなくしてしまったというわけなのです。

祭日があると国民に天皇崇拝の気持ちを呼び起こしてしまいます。

だから、アメリカは戦後、祭日をすべてなくしてしまったのです。

しかし、同じ祭日であったはずの新嘗祭(にいなめさい)は現在でも祝日となっています。

それは祭日をすべてなくすと休みが減ってしまうため、国民のアンケートによって祝日を決めたからです。

その証拠に日付は新嘗祭のままですが、祝日の名前は勤労感謝の日というように皇室を連想させないようになっています。

当時行われたアンケートの結果次第では、神嘗祭も今でも祝日だったかもしれないというわけです。

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神嘗祭と新嘗祭(にいなめさい)|違いを知ろう

神嘗祭と新嘗祭の共通点と違い


神嘗祭と新嘗祭はどちらも五穀豊穣を願う祭祀で名前も似ていますが、その二つには違いがあります。

宮内庁のホームページの主要祭儀一覧によると、神嘗祭は「賢所に新穀をお供えになる神恩感謝の祭典。この朝天皇陛下は神嘉殿において伊勢の神宮をご遙拝になる。」

新嘗祭は「天皇陛下が,神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって,神恩を感謝された後,陛下自らもお召し上がりになる祭典。宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。」とあります。

この説明文を読むと、まず神嘗祭と新嘗祭は行われる場所に違いがありそうです。

神嘗祭は天皇陛下はご遥拝されるのに対し、新嘗祭は神嘉殿(しんかでん)で行われます。

皇居には宮中三殿があります。

宮中三殿とは賢所、皇霊殿、神殿の総称で、賢所と呼ばれることも。

宮中三殿のうち、中央が天照大御神を祀る賢所、東側が天神地祇を祀る神殿、西側が歴代天皇皇后や皇族の霊を祀る皇霊殿です。

神嘉殿は宮中三殿のさらに西方にあります。

神嘉殿は普段は何もありませんが、新嘗祭の時にだけ使われます。

また新嘗祭は宮中だけでなく、全国の神社でも行われる神事です。

神嘗祭と新嘗祭、天皇陛下が初穂を食べるのは新嘗祭

お米
神嘗祭と新嘗祭にはどちらも稲が欠かせません。

ですが、実際にお米を食べるのは新嘗祭の時です。

神嘗祭ではその年に初めて取れた初穂を神に供える行事ですが、新嘗祭はその年に収穫した新穀を神に供え感謝をし、そのお供え物を神から贈られたとして天皇自ら食する儀式です。

新嘗祭の意義については諸説あり、収穫への感謝がメインだとする説、天皇陛下が新穀を食することに意味があるとする説、天皇陛下が神前で新穀を食することで天照大御神のちからを宿すことという説などがあります。

天皇陛下は天照大御神の子孫であり、国に豊穣をもたらすパワーを宿しているとされていて、神と食事を共にすることでその力を更新することができるという考えがあったのです。

新嘗祭は11月23日の夕方に新嘉殿に天照大御神とすべての神々に食事を供え、天皇も神々と食事を共にします。

翌24日の早朝にも同じように食事をし、神々をもてなすとともに感謝し、お見送りをします。

このように新嘗祭は天皇陛下が神様と交流する大事な祭祀です。

その歴史は神嘗祭よりも古く、西暦677年には行われていたという記録が残っているのです。

記録が残っているのが677年というだけで、弥生時代にはこうした祭りの原型はあったのではないかと言われています。

新嘗祭も神嘗祭と同じく応仁の乱の混乱時には中断されたこともありましたが、その後は復活しています。

新嘗祭の歴史、飛鳥時代に起源あり


新嘗祭の歴史は古く、初めて行われたのは飛鳥時代だとされています。

皇極天皇が642年に初めて行われたそうです。

しかし、その当時は毎年行われるものではありませんでした。

新嘗祭が毎年行われるようになったのは、1688年の東山天皇の時代からです。

明治時代になると神嘗祭も新嘗祭も神事の中でも重要な大祭に指定され、祭日となりました。

神嘗祭が旧暦が新暦になるにあたって一ヶ月遅れたのに対して、新嘗祭の日付はそのままです。

新嘗祭は現代では勤労感謝の日


現代の日本では11月23日といえば、新嘗祭の日というよりも勤労感謝の日を思い浮かべる人が多いでしょう。

実は新嘗祭と勤労感謝の日はまったく無関係ではなく、勤労感謝の元となったのは新嘗祭なのです。

勤労感謝の日は、祝日法で勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日とされています。

ですが、11月23日が祝日となったのは、もともと新嘗祭があったからなのです。

第二次世界大戦後、GHQは天皇と国民を切り離さなければならないと考えました。

日本が戦争に突き進んだのは、天皇崇拝が大きかったと考えたのです。

そして、そのために天皇の宮中行事と国民行事の切り離しを行いました。

皇室の大切な行事が行われる日だった祭日をすべて廃止したのです。

ですが、すべての祭日を廃止すると休みの日が少なくなってしまうため、11月23日は祝日としては残りました。

このような経緯で新しく制定された祝日が勤労感謝の日だったのです。

1年で最後の祝日である勤労感謝の日には、もともとは新嘗祭だったことも思い出してくださいね。

神嘗祭の当日のスケジュールとは?

神嘗祭当日のスケジュール「外宮」


伊勢神宮では外宮先祭といって、外宮(豊受大神宮)から先に祭りが行われるならわしがあります。

そのため神嘗祭も外宮から始まります。

外宮(げくう)は、衣食住を始め産業の守り神とされる豊受大御神を祀っているところです。

神嘗祭の始まりは10月15日。

天皇陛下が伊勢神宮に来る2日前から外宮で始まります。

外宮で行われる神嘗祭のスケジュールは次の通りです。

10月15日 午後10時 由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)

10月16日 午前2時 由貴朝大御饌(ゆきのあしたのおおみけ)

10月16日 正午 奉幣

10月16日 午後6時 御神楽

二回にわたって由貴大御饌が行われます。

由貴大御饌とは神宮神田で清浄に栽培された新穀の御飯・御餅・神酒や、海の幸、山の幸をお供えすることです。

そして、正午には勅使を迎えて奉幣の儀が行われます。

御神楽では実りへの感謝、五穀豊穣、国民の平和などが祈願されます。

神嘗祭当日のスケジュール「内宮」


神嘗祭の時、内宮(皇大神宮)でも外宮に引き続いて同じ行事が行われます。

内宮(ないくう)は天照大御神を祀るところです。

内宮のスケジュールは次の通りです。

10月16日 午後10時 由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)

10月17日 午前2時 由貴朝大御饌(ゆきのあしたのおおみけ)

10月17日 正午 奉幣

10月17日 午後6時 御神楽

外宮先祭のならわし通り、外宮が終わった後で内宮でも祭りが行われます。

神嘗祭当日の皇室「神宮ご遥拝」


神嘗祭は天皇陛下が天照大御神に五穀豊穣を祈願する祭りです。

天皇陛下も神宮をご遥拝されて、神嘗祭は執り行われます。

天皇陛下が神宮ご遥拝するのは10月17日です。

自身の先祖でもある天照大御神に、その年に取れた初穂をお供えし五穀豊穣を願います。

ご遥拝とは遥か離れた場所に祀られている神様に拝礼することをいいます。

天皇は神嘗祭の時には、宮中から神宮に向かってご遥拝するのです。

神嘗祭当日の賢所では親祭が行われる

神嘗祭当日は伊勢神宮だけではなく、皇居内にある賢所でも大祭が行われます。

天皇陛下は神嘗祭のための稲を水から育てています。

皇居内の水田で育てられた稲は刈り取られ、瑞垣の柱に懸けられます。

天皇陛下が育てられた御初穂を先頭に、全国から献納された初穂が瑞垣の周囲にかけられるのです。

神嘗祭当日の天皇陛下の動きは次の通りです。

神嘉殿にて神嘗祭神宮遙拝の儀
賢所にて神嘗祭賢所の儀(賢所)
皇后陛下が赤坂御所にて神嘗祭に当たりご遙拝・お慎み
賢所にて青年皇族が神嘗祭賢所の儀ご参列

天皇陛下は午前10時に神嘉殿南庇において、はるか伊勢に向かって神宮をご遥拝されます。

これが神宮遥拝の儀といわれるものです。

この祭典には皇后陛下、秋篠宮皇嗣殿下同妃殿下をはじめ青年以上の全皇族が参列して行われます。

神嘗祭は一般の人は参加できる?遥拝式とは?

神嘗祭は参拝時間内の行事は見学可能


神嘗祭への関心が高まったら、神嘗祭に参加したい気持ちが高まるでしょう。

それならば、神嘗祭への参加を検討してみましょう。

ですが、参加や見学をする前に頭に入れておきたいのは、神嘗祭は神様のためのものであって参拝者のためのものではないということです。

そのことを忘れ、神事の邪魔をすることがないように注意しなければなりません。

神嘗祭の中で見学ができるのは、奉幣のみです。

神嘗祭の日も伊勢神宮は参拝が可能です。

そのため参拝時間に行われる行事は見学が可能となります。

神嘗祭の日である10月17日の伊勢神宮の参拝時間は午前5時から午後5時までです。

その間に行われているのは奉幣だけなので、奉幣の見学は一般人でも可能なのです。

見学方法は参道から見るというもの。

奉幣の儀は天皇の勅使が奉納を行うものです。

参道で見守っていれば、昔ながらの装束に身を包んだ勅使や祭主、神職たちを目にすることができるでしょう。

この厳かな雰囲気を実際に体験すれば、神々の存在や日本の歴史を深く体感できるはずです。

外宮と内宮の両方で行われる奉納を見学することができますので、正午を目指して伊勢神宮を訪れてみてください。

夜間や早朝に行われる他の神事は一般人は見学することができませんので、神嘗祭を体験するなら奉納の儀を見学するしかありません。

伊勢神宮までいけないのなら近くの神社の遥拝式を体験しよう


神嘗祭では天皇陛下もご遥拝されますが、全国の神社でも神嘗祭遥拝式が行われています。

「神嘗祭に興味はあるけれど、伊勢神宮まで行くのは遠い」

という人は、ぜひ近くの神社で神嘗祭遥拝式が行われていないかチェックしてみましょう。

遥拝式と共に、神嘗祭奉祝祭が行われることもあります。

神嘗祭が行われるのは伊勢神宮だけと決まっていますが、その神嘗祭をお祝いする神嘗祭奉祝祭は全国の神社で行われているのです。

神嘗祭は日本人にとってとても重要な祭りです。

昔は祝日でもあったので、その存在は広く国民に知れ渡っていました。

だから、その神嘗祭が行われることをお祝いする祭りまであるということでしょう。

神嘗祭遥拝式と神嘗祭奉祝祭の行われる時間や方法は、各神社によってさまざまです。

一例を挙げると兵庫県にある湊川神社では、10月17日の午前10時から神嘗祭遥拝式が遥拝所で行われます。

遥拝とは遥か遠く離れた場所に祀られている神様に拝礼することを指しています。

つまり伊勢神宮からどれだけ離れていようと遥拝は誰にでもできるというわけです。

そして、神嘗祭遥拝式に続いて本殿で神嘗祭奉祝祭が行われます。

全国の神社で行われており、天照大御神の御神恩を全国民挙げて感謝する日とされています。

そして、遥拝は神社に行かなくても自宅で行うことも可能です。

感染症の問題などで出かけたくないという人でも、自宅から祈りを捧げることができます。

自宅での遥拝のやり方は次の通りです。

自宅に神棚がある場合は、まず神棚に拝礼します。

屋外でも屋内でも神様がいる方に向かって、二拝二拍手一拝をするというのが遥拝の作法です。

伊勢神宮の方角を調べる必要はありますが、簡単に行えるので神嘗祭の日にはぜひやってみましょう。

神社の情景を思い浮かべると、遥拝の気分は高まりますので、伊勢神宮の画像や動画を見るのもポイントです。

神社検定壱級取得者なら神嘗祭に参加できる可能性がある


神社検定という検定があるのを知っていますか。

神社検定は日本文化をもっと知りたい人や神社好きのための検定で、神社本庁監修の検定です。

神道は日本文化の宝庫、神嘗祭に関心を持つあなたなら受験を考えてもいいかもしれません。

その合格者にはさまざまな合格者優待企画があり、その中に神嘗祭に関するものがあります。

神社検定の中でも一番難しい壱級に合格した人100名限定で、10月15日に行われる初穂曳に参加することができるのです。

また先着20名という狭き門ではありますが、外宮の神嘗祭由貴夕大御饌を参拝することもできます。

このような枠を設けているのは、伊勢で新穀感謝の心と神嘗祭に触れ、合格者間の懇親を深めるため。

せっかくこのような特典があるのだから、神社検定に合格したら応募するのを忘れずに。

募集は毎年8月頃の予定なので、忘れずにチェックしてください。

神社検定には初級、参級、弐級、壱級があり、壱級を受検できるのは弐級に合格した人だけです。

壱級は指定のテキストから四択問題が100問出題されます。

70問以上で合格となるので、しっかりと勉強をして臨みましょう。

合格者にはひのき製の絵馬型認定証が送られてきます。

また神嘗祭への参加以外にも、神社巡りツアーに参加できたりといった嬉しい特典もあります。

昨今の神社仏閣ブームで受験者は増えているので、興味が湧いたら気軽な気持ちで受けてみましょう。

検定はオンラインで行われるので、気楽に受検することができます。

新嘗祭を過ぎたら新米が食べられる


新嘗祭の日まで新米を食べてはいけないという考えがあります。

昔は実際に天皇陛下と神々が新米をいただく新嘗祭を過ぎるまでは、新米を食べないという人が多かったようです。

特に神職に携わる人は、そのことを守っていたそうです。

しかし、これは現代の日本では現実的ではありません。

新嘗祭は11月23日に行われます。

これは現代の暦で考えると12月頃になります。

ですが、現代の日本で新米が食べられるのは9月頃で、12月まで新米を食べないというのは無理があるように感じられるでしょう。

昔の日本では、当然のことながら稲作はすべて人の手で行われていました。

稲刈り機を使って一気に収穫できる現代とは違い、手で刈り取るのはかなりの時間がかかることです。

そして、刈り取った後も天日干しをしなければなりません。

天日干しをした後で、さらに脱穀精米を何の機械の助けもなく行わなければならないことを考えると新米が食べられるのは収穫からかなりの時間を要したことでしょう。

ですから、昔は新嘗祭の日を待ってから、新米を食べるというならわしがあったのです。

たくさんの人の手や天の恵みがあって無事に育った新米。

その新米を天皇陛下自らがお供えし、神々と食事を共にされます。

この神事は神様への感謝だけでなく、天皇自身も新米からパワーを得るという意味合いがあるのです。

新嘗祭の日は昔は祭日でもあり、広く国民に知られていました。

だから、その日まで新米を食べるのを我慢していた人が多いというのもうなずけますね。

新嘗祭は五穀豊穣に感謝する日であると共に、天皇陛下にとっても国民にとっても新米を食べられる嬉しい日でもあったのです。

占い師 小鳥のワンポイントアドバイス「神嘗祭は皇室も関わる神聖で最も重要な祭祀」

占い師 小鳥
神嘗祭は一年の中でも最も重要な祭祀だとされています。

今でこそ、神嘗祭は身近な神事というわけではなくなりましたが、昔は祭日とされていたほど重要な日でした。

現代では神嘗祭はそれほど知られていない神事ですが、皇室も関わっており歴史のあるものです。

食生活も多様になりましたが、日本に生きる私たちの主食はお米です。

そして、そのお米が食べられることへの感謝を忘れてはいけません。

神嘗祭は食べ物への感謝をするいい機会です。

その年に取れた初穂をお供えし、これから先の五穀豊穣を願う。

その気持ちをずっと持ち続け、神事を執り行ってきてくれた人がいることを忘れてはいけません。

どんなに科学技術が発達しようと、私たち人間は食べ物がなくては生きていくことができないのです。

そして、食べ物が私たちの口に入るまでには、さまざまな恵みがあったことを忘れてはいけません。

神嘗祭は伊勢神宮が一年の中でも最も重要だと位置付けているお祭りです。

それは神嘗祭の日に伊勢神宮を参拝すれば体感することができるでしょう。

参拝をせずとも、自宅や近所の神社からでも遥拝によって祈りを捧げることはできます。

まずは、神嘗祭の意味を知って、少しでも行動を始めてみましょう。

私たちが毎日美味しいお米を食べられるのは当たり前ではありません。

いくつもの奇跡が重なって、私たちはお米を食べられているということを自覚し、そのことに対する感謝の念をもって生きていきましょう。

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