不思議な形が魅力的なひょうたん。
古くから水や酒を入れる容器として使われてきたひょうたんは、全国各地でお祭りが開催されるほど日本人に親しまれています。
「なぜひょうたんのお祭りがあるの?」
そんな疑問が湧いてくるかもしれませんが、ひょうたん祭りが催されるのには理由があったのです。
この記事では、ひょうたん祭りについて詳しく解説いくとともに、ひょうたんが愛されるわけや歴史、ひょうたんのことわざから全国のひょうたん祭りについてご紹介していきます。
日本の歴史や文化に触れてみたい人、観光でひょうたん祭りを訪れたい人は参考にしてみてください。
これを読めば、もっとひょうたんのことを身近に感じられるようになりますよ。
目次
なぜひょうたんは縁起物として昔から愛されている
豊臣秀吉の馬印でもあった「千成ヒョウタン」
ひょうたんが縁起物とされているのは、かの有名な武将・豊臣秀吉が愛していたからです。
戦国時代の武将は馬印と呼ばれる、自分の手柄をアピールするために掲げるものを持っていました。
織田信長の家臣であった豊臣秀吉は、1567年稲葉山城攻略戦で手柄を立てたときに、ひょうたんを馬印とすることを信長から許されました。
秀吉の馬印は槍の先にひょうたんを逆さまにつけた形だったそうです。
そして、秀吉は戦で勝利するたびに、ひょうたんの数を増やしていきます。
中央の大きなひょうたんの周りに、小さなひょうたんが秀吉が勝利するするたびに増えていき、その馬印は千成ひょうたんと呼ばれるようになりました。
こういったこともあり、ひょうたんは必勝祈願や立身出世のめでたい縁起物となっていったのです。
秀吉の他にも多くの武将がひょうたんを旗印や馬印のモチーフとして用いており、ひょうたんが戦国時代から愛されていたことがわかります。
秀吉も馬印として使うだけでなく、ひょうたんの収集家でもあったようです。
大きく素晴らしいひょうたんが手に入ったとき、秀吉はそのひょうたんをわざわざ人を呼びつけ見せびらかしたという逸話が残っています。
また、秀吉が初めて城を築いた地である長浜では、現代でもひょうたんのモチーフを街のいたるところで目にすることができます。
中でも六瓢箪(むびょうたん)は無病の音にも通ずることから、無病息災のお守りとされてきました。
長浜の6つの神社や寺院では、御祈祷済みのひょうたんを授かることができます。
それらを集めることは六瓢箪めぐりといい、今でも行われています。
末広がりは縁起がいい!ひょうたんの形が末広がりだから
ひょうたんの形を思い浮かべてみてください。
ひょうたんは円形が2つ繋がったような形をしていますが、上が小さく下が大きくなっています。
このように下にいくほど大きくなっている形状を末広がりと言います。
末広がりは昔から日本で縁起のいい象徴です。
「末広がりで縁起がいいね」
今でも失われていない価値観ですが、これはどうしてなのでしょうか。
諸説ありますが、日本の伝統芸能である狂言の演目に「末広がり」というものがあります。
その末広がりがハッピーエンドのめでたいお話だったから、末広がりは縁起がいいとされているのだそうです。
また、漢数字の八も末広がりの形をしています。
8は中国や日本でとても縁起のいい数字です。
その8に関連する末広がりもまた、縁起がいいとされるようになっていったというわけなのです。
ひょうたんも末広がりの形をしているので、縁起がいいと言われるようになっていきました。
ひょうたん3つで三拍子、6つで無病息災
ひょうたんが縁起がいいとされるのは、語呂合わせからきています。
ひょうたんが3つあることを三瓢子(さんびょうし)と呼びます。
これは三拍子と音が同じです。
三拍子そろうというのは、すべての条件がそろうことを意味している縁起のいい言葉です。
この言葉の語源は能楽にあり、大鼓・小鼓・笛の三種の楽器でとる拍子のこと。
三拍子がそろうことで調和がとれることから、必要なすべての要素が整っていることを指すようになりました。
今では悪い条件がそろっていることにも使われる言葉ですが、この言葉が生まれた当初はいいことのみに使われていた言葉です。
そのため、三拍子に繋がるひょうたんは縁起のいいものとなっていったのです。
また、3つだけでなく6つのひょうたんにも意味があります。
ひょうたんが6つあることは六瓢(むびょう)といい、これは無病息災に繋がります。
今でこそ病気をしても治る確率は高くなり病気はそれほど怖いものではありませんが、昔は病気は死につながるものでした。
無病息災は今以上に大事なことで、それに繋がるひょうたんはとても縁起のいいものだったのです。
ひょうたんを6こ集めたモチーフは無病息災に繋がることから、神社でお守りとして売られていることもあります。
ひょうたん自体にも身代わりという意味があるため、病気や災いから守ってくれると考えられていたのです。
三拍子と無病息災、2つの縁起のいい言葉に繋がるひょうたんが縁起のいいものだとされるのも当然でしょう。
植物の種入れとして用いられてきた|ひょうたんに種を入れると必ず芽がでる
ひょうたんは日本書紀にはもう記述があるほど、古くから栽培されてきた植物です。
加工をすれば中身が空洞になることから、何かを入れる容器として重宝されてきました。
特に、作物の種入れとして使われてきた歴史は長く、作物から採った種をひょうたんに入れて保存していました。
種の保存にひょうたんを利用してきたのは、ひょうたんの形状が適していたからというのもありますが、いつからかこう言われるようになったのです。
「ひょうたんに種を入れると必ず芽が出る」
作物が芽吹くかどうかは、生死を分ける大切なことです。
だから、少しでも芽吹く確率を上げるために、昔の人はひょうたんに種を入れて保存をしてきました。
そして、ひょうたんはいつしか幸福や成功のシンボルとされるようになったのです。
ひょうたんに種を入れると必ず芽が出るという言葉の信ぴょう性は分かりませんが、そのことが信じられていたために、ひょうたんは縁起のいいものとなっていきました。
「瓢箪から駒」ということわざに表されているひょうたんの可能性
瓢箪から駒ということわざがあります。
このことわざの意味は、思ってもみないことが起こることです。
語源は中国の東遊記の中にあります。
このお話の中で仙人は、ひょうたんの中にろばを出したりしまったりして行動していました。
これが日本へと伝わり、日本では室町時代から仙人を描くときにはひょうたんからろばが出てくる図が描かれるようになりました。
この構図が広く用いられたことで、瓢箪から駒は知られるようになったのです。
駒は将棋の駒などではなく、ろばを指しています。
ひょうたんのような小さなものから、人が乗れる大きさのろばが出てくるなんてとても信じられないことです。
だから、瓢箪から駒ということわざは思ってもみないことが起きるという意味になりました。
しかし、このことわざが成立したのは、ひょうたんに対する人々の期待値の高さがあったからではないでしょうか。
「仙人という不思議な力を持った人が持てば、ひょうたんにろばを収納することも可能だろう…」
皆がひょうたんにはそのくらいの可能性を感じているからこそ、ことわざとなり定着していったのです。
ひょうたんは古くからモチーフに使われている
西日本で愛された「秀吉の家紋・馬紋」「大阪府の府章」
ひょうたんは世界最古の栽培植物だと言われており、世界中で愛されている植物です。
飲料を運ぶのに重宝されましたが、その愛らしい形もあってモチーフにも多く用いられています。
日本でひょうたんのモチーフを使用した有名な人物としては、豊臣秀吉が有名です。
秀吉の家紋としては桐紋が有名ですが、秀吉は桐紋よりも前にひょうたんを自分の印として使っていました。
秀吉の紋は千成ひょうたんと呼ばれるもので、秀吉の派手好きな性格がよく表れています。
そして、秀吉が親しまれているのが大阪という地です。
大阪城を築いた秀吉は大阪では「太閤さん」と呼ばれ、非常に愛されています。
それは大阪府の府章にひょうたんが用いられていることからも分かるでしょう。
大阪府章は一つの〇から上方向に三つの〇が生えているような形をしていますが、これは千成ひょうたんをモチーフにしています。
秀吉が使用していた縁起のいい千成ひょうたんを、府のシンボルとして使用するほど大阪府民は秀吉のことを愛しているのです。
府章の意味は大阪のイニシャルである「O」を基礎にして、上に伸びる3つの円が希望・繁栄・調和を表しています。
この府章が定められたのは、昭和43年のこと。
戦国時代から愛されてきたひょうたんは昭和になっても愛され、令和の世になっても大阪府章は残っています。
ひょうたんには神が宿る!神道でも重宝された
中が空洞であるひょうたんは、古来より神が宿る特別なものとされてきました。
そのため、神道ではさまざまな場面でひょうたんが用いられています。
例えば、熊本県の山鹿市小坂ではひょうたんを用いた雨乞い踊りが伝承されています。
この地に伝わっているのが、その昔、雨が降らずに困ったときひょうたんを持って踊り明かしたら雨が降ったというものです。
それ以降、神社では右手にうちわ、左手にひょうたんを持ち踊るという雨乞い踊りが行われるようになりました。
また、神が宿るとされたひょうたんは、数多くの神社でお守りにも使われています。
開運効果が高いひょうたんは、人々の運を高めるとされてきたのです。
ひょうたんを祀る神社も多く、京都の豊国神社ではいたるところでひょうたんを見つけることができます。
というのも豊国神社は、豊臣秀吉を祀るための神社です。
秀吉のモチーフであるひょうたんは、豊国神社では絵馬にもなっています。
御朱印にもひょうたんの印があったり、ひょうたん守りがあったりとひょうたんのご利益を感じることができるでしょう。
ひょうたんは風水でもラッキーアイテム!邪気を払ってくれる
中国で約四千年前に生まれた気の流れに関する思想である風水。
そんな風水においても、ひょうたんはラッキーアイテムです。
ひょうたんは置いておくだけで邪気を払ってくれるとされています。
ひょうたんには気の巡りを良くする働きがあり、悪い気を吸収し鎮めてくれる「化殺」の力を持っているのです。
中国の縁起のいい風景を思い浮かべるとき、金色に塗られたひょうたんがいくつも吊られているのが思い浮かんできませんか?
それはひょうたんのご利益を求めてのものだったのです。
風水的に見てひょうたんの化殺の力を高めるには、柱や梁などにぶらさげておくのがベスト。
家の角に置くと邪気を払ってくれ、家の中に良い気が満ちるようになります。
ひょうたんの末広がりの形も大変縁起が良く、ひょうたんの中には良い気が溜まっているとされています。
ひょうたんがラッキーなモチーフとして用いられているのは日本だけではなく、中国でもだったのです。
6つのひょうたんで無病息災につながる
ひょうたんをモチーフにしたお守りが、たくさんの神社で売られています。
これはひょうたんが好まれているモチーフだからということもありますが、ひょうたんが無病息災につながるからです。
6つのひょうたんは六瓢箪と呼ばれ、病気が無いという意味の無病と音が同じです。
このことからひょうたんは、各所で愛されるモチーフとなっていきました。
6つのひょうたんとして描かれるだけでなく、ひょうたん型のものを6つ集めるのもいいとされています。
そのためひょうたんは、箸置きや皿のモチーフなどとして用いられることも多いでしょう。
箸置きや皿も家族の人数にかかわらず、6つ揃えるといいとされています。
無病であることを望まない人はいません。
いくら望みを叶えても大金を手に入れても、健康でなければそれらを使うことはできません。
健康があってこそ私たちは幸せでいられるのです。
だから無病でいられることにつながる音を持つひょうたんは、こんなにも日本で愛されているのでしょう。
ひょうたん祭り 大分県豊後大野
毎年12月第一日曜日に行われる奇祭| 霜月祭りが起源
ひょうたん祭りは大分県の豊後大野で行われている伝統的なお祭りです。
豊後大野の千歳町にある柴山八幡神社で、毎年12月の第一日曜日に行われています。
大分県の無形文化財にも指定されている祭で、ひょうたん様が主役の祭です。
お祭りの日は屋台が並び、お神酒も振る舞われるのでたくさんの人が集まります。
ひょうたんの縁起のよさにあやかれるお祭りとなりますので、機会があればぜひ参加してみましょう。
ひょうたん祭りの起源は霜月祭りだとされています。
霜月祭りはその名の通り、旧暦の11月に行われていた民間の祭りです。
どの地域でも行われていることが多く、収穫祭や氏神祭の役割を果たしています。
旧暦11月は現代でいうと12月あたりの時期のこと。
だから、ひょうたん祭りも12月の第一日曜日に行われているのです。
続いて、ひょうたん祭りの具体的な内容について見ていきましょう。
長さ80㎝のひょうたんに1,2ⅿのわらじをかつぐ「ひょうたん様」
このお祭りがひょうたん祭りと呼ばれているのは、ひょうたん様が活躍するお祭りだからでしょう。
ひょうたん祭りではひょうたん様と古武士たちが、柴山八幡神社の周りを練り歩きます。
ひょうたん様がひょうたん様と呼ばれているのは、その派手な見た目が理由です。
真っ赤な着物を着たひょうたん様は、頭には長さ80㎝のひょうたんを載せ、1.2mのおおわらじをかついで進みます。
わらじは縦が1.2m、横が50㎝、重さは8㎏というものです。
これに加えて肩には3升のお酒をひょうたんに入れて持ち運び、お神酒を振る舞います。
これだけのものを身につけていれば、当然、ひょうたん様は重くて進むことができません。
芝杖をついてひょうたん様は歩きますが、一人では大変です。
そこで、両側にいる付き人がおおわらじの先端のひもを引き、ひょうたん様のサポートをします。
人の助けがあってやっとひょうたん様は進むことができますが、それでも1キロを進むのに2時間ほどかかってしまうそうです。
一歩ずつ「よいしょ」という声を上げながら進むひょうたん様の後ろには、古武士、馬、みこしが続きます。
進むのが遅いのは荷物の重さもありますが、沿道の人たちにひょうたんからお神酒を振る舞っているからでもあります。
ひょうたん様が持つひょうたんに入っているお神酒は、無病息災・五穀豊穣・家内安全のご利益があるとされているのです。
このお神酒を求めて多くの人が集まりますが、焦ってひょうたん様に駆け寄る必要はありません。
「いくら大きなひょうたんであっても、多くの人に振る舞ってしまうとお神酒がなくなってしまうのでは…?」と考える人もいるでしょう。
しかし、ひょうたんの中のお神酒がなくなると補充されますので、なくなる心配はしなくて大丈夫です。
ひょうたん祭りではひょうたん様の行列が見られるだけでなく、三か所ある鳥居では獅子舞を見ることもできます。
屋台に獅子舞にひょうたんと、盛りだくさんなひょうたん祭りをぜひ体験してみたいものですね。
ひょうたん祭りの歴史|12世紀末に始まった
大分県豊後大野のひょうたん祭りの歴史は古いものです。
その始まりは12世紀末、建久年間からだと言われています。
ひょうたん祭りはもともと氏神祭でした。
氏神とはその土地を守ってくれている神様のこと。
氏神祭とはその神様に感謝を伝える行事を指しています。
そこから段々とひょうたん祭りへと変化をしていくわけですが、ひょうたん様は氏神様を表していると考えられるでしょう。
この地の神様がひょうたんを持っていると考えられており、それが誇張され今の形になっていったのです。
氏神様が守る範囲に生まれた人のことを氏子と言います。
もともとの氏神祭を主催していたのは、氏子の中から交代で決められていた座組という組織です。
ひょうたん様の役をやるのは、座組の中で一番の年長者です。
年長者がひょうたん様をやるのは、ひょうたん様がとても名誉な役割だから。
ひょうたん様に選ばれた人には、その1年幸福なことが起きるとされています。
ただし、ひょうたん様は重い荷物を背負い、大きなわらじを履いて歩くというなかなかな重労働を行わなくてはなりません。
だから、座組の中で年長者といっても体力のある人限定で、体力に自信のない人が選ばれることはありません。
12世紀から現代にまで受け継がれてきた伝統的なお祭りであるひょうたん祭りを、その歴史に思いを馳せながら楽しんでいきましょう。
未来に残したいひょうたん祭り|おおいた遺産にも選ばれている
ひょうたん祭りは大分で愛される祭りです。
その証拠にひょうたん祭りはおおいた遺産に選ばれています。
おおいた遺産とは2006年に大分合同新聞社が創刊120周年記念事業に選定したものです。
選定といっても大分合同新聞社が勝手に選んだのではなく公募によって選ばれました。
「未来に残したい大分はありませんか」
という言葉とともに公募の始まったおおいた遺産。
およそ1100もの有形無形の多ジャンルなものが寄せられ、その中から120件が最終的に選ばれました。
ひょうたん祭りも大分に暮らす人々から愛されていたから、おおいた遺産に選ばれることになったのでしょう。
おおいた遺産には多種多様なものがありますが、この遺産を選定したのは大分の未来を考えてのこと。
人口が減っていく厳しい未来が見える中、何ができるのかと考えた大分の人々。
そんな時に大分の人々が大切にしたのが、過去を見つめ大切にし未来へと伝えていくことです。
地域とともにある文化を大切にし、未来へとつないでいく。
そんな思いの中にあるひょうたん祭りだと知れば、もっとひょうたん祭りへの興味が湧いてくるのではないでしょうか。
ひょうたん祭り 神奈川県足柄上郡大井町
ひょうたん祭りの歴史|昭和45年にひょんなことから始まった
神奈川県足柄上郡大井町で行われているひょうたん祭りは、それほど歴史のあるものではありません。
はるか昔から信仰の対象であったひょうたんですが、この地でひょうたん祭りが始まったのは昭和45年のことです。
正式名称は「大井よさこいひょうたん祭」といい、今では神奈川県西地域でいちばんの踊りの祭典となっています。
お祭りといえば神社や信仰が中心となり始まるイメージがありますが、この大井よさこいひょうたん祭はまったく違うきっかけで始まりました。
昭和45年、JR御殿場線上大井駅の駅員さんが待合所の日除けにひょうたんを植えました。
そして、その様子が当時の国鉄の時刻表の表紙を飾ったのです。
このことがきっかけで大井でひょうたん祭りは開催されることとなりました。
国鉄の時刻表の表紙を飾るということは、とても大きなことです。
しかもひょうたんという印象的な植物が写っているとなれば、それは大井の人々に新しいイベントを作らせる動機となるものだったのでしょう。
もし、上大井駅の駅員さんがひょうたんを育てていなかったら、このひょうたん祭りは存在していないことになります。
そう考えると、このひょうたん祭りが開催されるためには、いくつもの奇跡が重なったと言えるでしょう。
まず、1つには日除けの植物にひょうたんを選んで栽培していたということ。
弦が伸びる植物は他にもあり、ひょうたんは決してメジャーな植物ではありません。
それなのに駅員さんが栽培していたという奇跡がなければ、大井にひょうたん祭りは生まれなかったでしょう。
そして2つ目の奇跡は、そのひょうたんの様子が国鉄の時刻表の表紙になったということ。
ご存知の通り、国鉄にはたくさんの駅があります。
それなのに、その中から表紙に選ばれるという奇跡がなければ、新たなイベントを作るというムーブメントは起こらなかったでしょう。
このような奇跡が重なって生まれたイベントである大井よさこいひょうたん祭を、ぜひ近くまで来た際には楽しんでみてください。
大井よさこいひょうたん祭は毎年8月開催!町内一のお祭り
大井よさこいひょうたん祭は毎年8月に開催されるお祭りです。
町内外から多くの人が訪れる大井町で一番のビッグイベントです。
特に盛り上がるのがジュニア&キッズダンスフェスティバルとよさこい踊りコンテストですが、これに参加したい場合には8月まで待っていてはいけません。
例年、祭への申込は5月頃から始まり6月中には締め切られてしまいます。
ひょうたん祭にただ遊びに行くのではなく、チームとしてダンスで参加したいという場合には申込を忘れないようにしましょう。
祭り会場へのアクセスもいいので、遊びに行くにもちょうどいいお祭りです。
車で行く場合には徒歩2分の場所に駐車場が用意されているし、公共交通機関を利用する場合もシャトルバスが運行されています。
気軽に遊びに行ってみてください。
お祭りのメインイベントは「よさこい踊りコンテスト」
大井よさこいひょうたん祭りはただ踊りたい人も、練習の成果を披露したいという人も楽しめるお祭りです。
お祭りのメインイベントはよさこい踊りコンテストです。
よさこい踊りコンテストには、たくさんのチームが参加し非常に盛り上がります。
よさこいとは高知県のよさこい祭りが発端のお祭りで、踊りが主体となっているものです。
高知県のお祭りであったはずのよさこいが全国に広まったのは、札幌市でYOSAKOIソーラン祭りが成功したからです。
これをきっかけに、2000年代には全国各地で広まっていきました。
よさこい踊りは夏祭りで行われるような盆踊りにダンスの要素を加えた独自の文化です。
地域によって細かな違いはありますが、よさこいに共通したルールは鳴子を持つこと、地域の民謡や曲をアレンジしたもので踊ること、よさこいメイクをほどこすこと、和風の派手な衣装を身にまとうことなどが共通しています。
大井よさこいひょうたん祭りでも、ステージ形式とパレード形式のよさこい踊りを楽しむことができます。
よさこいは老若男女が楽しめるイベントです。
大井よさこいひょうたん祭りのよさこい踊りコンテストにも2019年は20を超えるチームが参加していました。
神奈川県知事賞や副賞があり、たくさんのチームのダンスが見られて楽しい気持ちになれるでしょう。
出場した全チームには敢闘賞としてひょうたんにちなんだ品が贈られます。
大井よさこいひょうたん祭りの意味|ふるさとへの誇りと内外の交流が目的
大井よさこいひょうたん祭りが開催されるようになったのには、大井町への愛がいっぱいつまった理由があります。
大井よさこいひょうたん祭実行委員会によると、このお祭りの意味は「町民のふるさとへの誇りと愛着を醸成すること」「町内外の交流の輪を広げ、町の発展と観光振興につなげること」です。
さらに、よさこいという地域色の出せるダンスを町内外のチームが大井に集まり披露します。
こういった場を作ることで踊り手と観衆が一体となって感動を共有し魅力ある祭りとなっていきます。
そういった素晴らしい祭りを愛する大井で行いたいとの気持ちから、大井よさこいひょうたん祭は生まれたのです。
太閤ひょうたん祭り 神奈川県箱根 宮ノ下温泉
太閤ひょうたん祭りの歴史と由来|1590年豊臣秀吉の小田原城攻め
太閤とは豊臣秀吉の愛称ですが、神奈川県という一見、秀吉とは関係ないと思われる地で太閤ひょうたん祭りが行われているのはどうしてなのでしょうか。
それは1590年に秀吉が小田原城を攻めていた時のこと。
持久戦に持ち込もうと考えた秀吉は宮ノ下温泉近くに城を築きます。
そして、そこで今でも現存する石風呂を作り将兵の傷を癒し、盛大な茶会を開くなどして過ごしました。
秀吉はこの地に二か月ほど滞在していたので、徳川家康や淀君、伊達政宗が訪れて非常ににぎわったとされています。
この出来事に由来して、ひょうたん祭りは開催されることとなりました。
現在の太閤ひょうたん祭りも、当時の秀吉が開催したような盛大なステージとなります。
歌に落語に大道芸とさまざまなジャンルのステージが催され、夜には花火大会も開催されます。
秀吉たちの軍勢も茶会を開き、湯治をしたこの地で、同じように楽しめば歴史の流れを感じられるでしょう。
ひょうたん祭りという名がついているのは、太閤さんのシンボルであるひょうたんにあやかってのことです。
楽しいステージに花火が見られて、温泉も近くにある。
温泉地箱根を訪れるなら、太閤ひょうたん祭りの時期を狙ってみるのはいかがでしょうか。
太閤ひょうたん祭りは毎年8月3日開催
太閤ひょうたん祭りが開催されるのは、毎年8月3日のことです。
開催場所は箱根宮ノ下富士屋ホテル菊華荘上駐車場です。
このお祭りの主催は箱根宮ノ下観光協会で、この地に残る秀吉が作ったとされる岩風呂などの史跡と秀吉の偉業を永く後世に残すため、毎年開催しています。
太閤ひょうたん祭りでは蛇骨川・太閤石風呂前で神事も行われる
太閤ひょうたん祭りは、楽しいステージを行うだけのお祭りではありません。
太閤ひょうたん祭りは15時の神事から始まります。
神事は底倉の蛇骨川にある太閤の石風呂の前で行われます。
これは実際に秀吉が作り使ったとされる石風呂です。
この場所に祈りを捧げることで、お祭りの無事の開催、そして箱根の繁栄を願っているのです。
この他にも箱根には縁起のいい場所がたくさんあります。
箱根の七福神巡りといって、箱根の七つの神社を巡るとご利益があるとされています。
七福神巡りは室町時代の末期ごろから広まった風習で、日本独特のものです。
箱根で七福神巡りを行うことは、単に神社を巡るだけでなく、箱根を観光しながらできるもの。
名所がたくさんの箱根なら、楽しみながらご利益を得ることができるのです。
太閤ひょうたん祭りも神事とともに行う神聖なお祭りです。
そのお祭りとともに箱根の他のご利益があるところも巡ってみましょう。
第一部と第二部の二回の芸能ショー
太閤ひょうたん祭りのメインイベントとなるのが、芸能人がたくさん出るステージです。
15時からの神事が終わった後で、16時半から第一部のショーが富士屋ホテルの菊華荘上駐車場のステージで行われます。
呼ばれる芸能人は毎年違っていますが、お笑いあり、歌あり、伝統芸能ありのバラエティに富んだステージを観ることができます。
このステージの嬉しいポイントが二部制になっているところです。
夜の花火を見ようと思うと一部のステージを観に行くのは早すぎると考える人も、18時45分からの二部のステージならちょうどいいでしょう。
一部と二部の間は一時間ほど間が空きますが、納涼屋台も出ているので楽しんで時間を過ごすことができます。
太閤ひょうたん祭りに行くなら、ステージでのライブやショーは見逃がさないでくださいね。
ひょうたんの形にライトアップ
「ひょうたん祭りと言われるのにひょうたんが出てこない!」
ここまで太閤ひょうたん祭りの情報を読んできた方の中には、そんな感想をお持ちになった人もいるのではないでしょうか。
ですが、安心してください。
太閤ひょうたん祭りでは、宮ノ下の山にひょうたんの形のライトアップがなされます。
ひょうたん型のライトアップが見られるのはこの日だけ。
縁起のいい末広がりのひょうたんのライトアップを見れば、きっとご利益があるはずです。
太閤ひょうたん祭りではライトアップにも注目してみてくださいね。
夜空を彩る花火大会
太閤ひょうたん祭りではお祭りの締めくくりとして花火大会が行われます。
時間は20時15分~20時40分まで。
大迫力の花火を近くで楽しむことができます。
また、この花火は近くで見る以外にも楽しみ方があります。
海で行われる花火大会と違って、箱根の山で行われる花火大会なので、さらに高いところから見れば花火を見下ろすような形で鑑賞することができるのです。
これは、他の花火大会ではなかなかできない楽しみ方。
ぜひ、太閤ひょうたん祭りでは花火をどこから見るかということにもこだわってみてください。
占い師 小鳥のワンポイントアドバイス「ひょうたん祭りは縁起担ぎと歴史を感じさせる祭り」
ひょうたんは私たち人類が初めて栽培したとも言われているほど、歴史のある植物です。
加工をすれば中が空洞になることから、液体を入れるのに重宝されてきました。
しかし、ひょうたんは便利なだけではなく、縁起のいいものとして日本では好まれていくようになりました。
それには末広がりの形や語呂合わせなどの理由があり、古くから現代に至るまでひょうたんは縁起のいいものとして私たちの身近にありました。
ひょうたんはたくさんのモチーフとして選ばれているだけでなく、ひょうたんのお祭りも数多く開催されています。
ひょうたん祭りは古くは800年ほど前から行われている伝統的なものです。
ひょうたん祭りに参加すれば、歴史を感じるとともに、ひょうたんのご利益を得ることができるでしょう。
古くから日本人に親しまれ信仰されてきたひょうたんの力を、お祭りに参加し実感してみましょう。